最果てまでワルツ | ナノ
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 母に着付けてもらった浴衣の色は淡い菜の花色。優しい色の紫陽花が咲いていて、一目見て気に入った。ふわふわとした桃色の帯をきゅっと締めれば、心躍らずにはいられない。
 もらったお小遣いを入れた財布は、帯の色に合わせて買った巾着へ。玄関のたたきに揃えていた新品の下駄に指を通し、戸を開いて「いってきます」と母に告げる。

「遅くならないようにね」
「はーい」

 慣れない下駄のためゆっくり、けれど集合時間に遅れてはいけないと心持ち急いで、神社へと向かう。上の方で丸くまとめた髪に挿している飾りが落ちていないか、心配で何度も手を伸ばした。
 今夜は里の神社で七夕祭りが催され、わたしはリンとオビトと三人で行こうと約束している。放課後のいつものところでの修業も、お祭りに備えて体力を温存しなければいけないし、浴衣の準備もあるからと今日はなしだ。
 仕事を終えて帰ってくる母を待って、ようやく家を出られた今、見上げた空はもう暗くなり始めていた。こんな時間に出歩くことは滅多にない。堪えきれないわくわくで、胸が高鳴る。
 集合場所は神社の本殿に続く長い階段の前。もう二人とも来ているかなと、ようやく見えてきたそこは、わたしたちと同じ考えなのか、浴衣姿の人たちが集まっていた。
 その中に二人の顔はないかと探していると、向こうから「サホ、こっち」と声がかかる。リンの声だ。

「リン――」

 名を呼び返しつつそちらへ向かうと、浅葱色の浴衣を纏ったリンの姿があった。その傍に人影が立っていて、オビトももう着いていたんだと胸をときめかせる直前に、それがオビトではないと気づいた。

「はたけくん?」

 リンの隣で腕を組んでいるのは、木ノ葉隠れの里の忍の証である額当てをつけたはたけくんだ。いつもと違う格好のリンとは異なり、はたけくんはいつも通りの忍服。

「リンに連れて来られた」
「ちょうど任務が終わって帰るところだって言うから、七夕祭りに行きましょうって誘ったの」

 訊ねる前に本人から説明され、なるほどと納得する。ただ、どことなくはたけくんは楽しそうではないので――そもそも楽しそうなはたけくんを見ることは皆無だけれど――無理して付き合ったのではないかと、なんだか心がひやひやする。

「あとはオビトね」
「断言してもいい。あと30分は来ない」

 スッと鋭い目つきではたけくんがきっぱり言うと、リンは苦笑いを浮かべ、わたしは反論できなかった。


 はたけくんの予言は大当たりで、結局オビトが来たのはそれから30分以上経ってからだった。もちろん意図して遅れたわけではなくて、迷子の捜索に協力していたからであり、オビトが待ち合わせに遅刻するのに慣れているわたしたちは労いの気持ちもあった。
 ただ、オビトにとって予想外であり、『なんでお前がここに居んだよ』と語気を荒くしてしまう存在であるはたけくんは、わたしたちのようにオビトに対し心は広くない。

「毎度毎度、ヘラヘラ笑いながらよく遅れて来られるな」
「うるせーな! お前に関係ねーだろ! つーか誘ってねぇし!」
「えっ、だめだった?」

 リンが驚いた声を上げ、オビトへ戸惑いの表情を向けると、途端にオビトは慌てて、

「だめっていうか、だってカカシはさぁ……」

と、もごもごと何か言おうとするけれど、周囲のざわめきもあって全く聞き取れない。勝手に人を増やしたことが不快だったかと、不安気なリンからじっと見つめられるオビトは、頬を赤くして頭をバリバリと掻いたあと「別にいいよ!」と返し、神社の階段を上がり始めた。
 ホッとしたリンが続き、わたしもその後に続こうとしたけれど、はたけくんがその場から動かないので足を止めた。

「行かないの?」

 先に行っちゃったよ、と階段の上を指差すと、はたけくんはズボンのポケットに手を入れて、仕方ないとばかりに石段に足をかけ上って行く。最後方についたわたしは、下駄が抜けないようにと足の指先に力を入れ、三人に続いた。


 神社の広い敷地は混雑していた。七夕祭りなので、目立つ場所には立派な笹が何本も用意されている。短冊に願い事を書く机や筆記具も備えてあり、わたしたちも願い事を書いて笹に結んだ。少し悩んだ末に、短冊はみんなに見られてしまうから、『丑の印がもっとうまく結べるようになりますように』と当たり障りない願い事を綴った。
 会場の両端には出店が並んでいて、夕飯を食べていないわたしたちは早速覗き、何を食べようかどれから食べようかと話しながら回った。
 アカデミー生として外せないのがクナイ打ちのお店。配られたクナイを打って、景品に当てて落とせばそれを持ち帰ることができる。もちろん渡されるのは本物ではないゴム製のクナイだけど、いつもと勝手が違うからか、打ち慣れているはずなのにどうにもうまくいかない。
 わたしとリンの狙いは、小箱の中に収められている、花の飾りがついた髪留め。でもその箱をかすめることすらできなかった。オビトも協力してくれたけれどやっぱりだめで、本職の忍はお断りのため下忍であるはたけくんに頼ることもできず、お財布を少し軽くしただけになってしまった。

「ちえっ! なんで当たんないかなぁ」
「ヘタクソだから」
「お前に聞いてねぇ!」

 頭の後ろで腕を組むオビトに、はたけくんがすかさず答えると、いつもの口喧嘩が始まる。いつもなら止めないで放っておくけれど、ぶつからないように気を遣って歩かなければならないほど、この場にはたくさんの人が居る。あんまり騒ぐと目立つし邪魔になると、止めようとしたわたしたちの後ろを顔も知らない子どもたちが駆けて行き、その勢いに押されたわたしとリンは二人して体勢を崩してしまった。

「わっ」
「きゃっ」

 お互い何とか手を付いて転げてしまうのは防げたけれど、膝も地面に付けてしまった。浴衣を汚したと慌てて立とうとしても、少し前から下駄の鼻緒でこすれた部分がヒリヒリと痛んでいた上、膝をつく際にその部分をさらにこすってしまい、ツンと痛みが走るので思うように足を動かせない。

「リン、大丈夫か?」

 わたしたちの様子に気づいたオビトはそう言って、リンの傍へ屈んで声をかける。

「大丈夫よ。ちょっと押されただけ」
「立てるか?」
「うん」

 オビトはリンに手を差し出し、リンはその手を借りて立ちあがった。わたしも何とか自力で立ち上がり、地面についた膝の部分の砂を払ってみるけれど、やはり汚れが染みとなって残っている。淡い色の浴衣だったから余計に目立ち、母から怒られるだろうかと不安が過ぎった。

「汚れちゃってんじゃん」
「でも洗えばきっと落ちるから」

 リンの膝辺りを見たオビトは焦った顔を見せるけれど、当のリンは平気な表情で返した。確かに、家に帰ってすぐに洗えば落ちるかも。母ならきっと落とし方を知っている。
 浴衣の汚れへの不安はすぐに解消されたけれど、わたしの胸の中はモヤモヤしたまま。リンを気遣うオビトを見ていられなくて逸らした先にははたけくんが居て、ぱっちりと目が合った。

「大丈夫?」

 一応訊ねておこうか。きっとそんな感じで問うただけなのだろう。はたけくんならきっとそうだ。わたしは「うん」とだけ返事をして、膝の辺りを何度も払った。何度払っても、染みついた汚れも、鼻緒ずれの痛みも落ちなかった。


 わたしとリンの今夜の門限が近づいて、四人で神社を後にする頃にはすっかり夜が更けていた。暗いのは少し不安だけど、下忍のはたけくんの存在が心強い。
 楽しかったねと振り返りながら歩く速度は、普段よりずっと遅い。まだ帰りたくないから自然と、というより、カラコロと音を立て下駄で歩くわたしやリンに合わせるからだろう。
 下駄だから歩みが遅いのは間違っていないけれど、わたしの場合は鼻緒ずれがどんどんひどくなって、歩く速度が落ちてしまっているだけ。リンの足捌きはスムーズで、自分だけが鼻緒ずれしていることが何だか恥ずかしい。気づかれたくないからリンと同じ速度を心掛けているけれど、足を進めるたびにピリッと痛みが走って、堪えるためにぐっと口を閉じ続けた。

「リン、ごめんな。クナイ打ち屋のやつ、とれなくて」
「え、そんな、いいよぉ。とっても難しかったもの。一緒に練習して、来年また挑戦しましょう」

 景品の髪留めを獲得できなかったことをオビトが詫びると、リンは気に病まないでと、共にこれからも頑張ろうと返す。それだけでオビトの頬は緩んで色付く。リンが向けてくれる『一緒に』という言葉が、『来年』という未来の約束が、オビトにはたまらなく嬉しいのだ。
 道の端に植えられているような街灯をいくつも通り過ぎて、わたしとはたけくん、リンとオビトで分かれる道までやってきた。

「じゃあな、サホ!」
「カカシが居るから安心だけど、二人とも気を付けてね」

 オビトとリンが手を振って、別の道を歩いていく。二人に背を向けるよう、はたけくんがわたしたちの家に続く道を進むので、後ろをついていった。
 最初の街灯が照らす場所で、はたけくんが足を止める。

「サホ。下駄脱いで」

 いきなり言われ、悪いことをしてしまったことがばれたときのような気になって、心臓が一度跳ねたあと駆け出した。

「足、痛いんでしょ? ずっと変な顔してた」

 変な顔って、なんて失礼だろう。失礼だけど、今はそこに意識は注がれない。鼻緒ずれがはたけくんに分かってしまったこと――はたけくんしか分からなかったことが、何だかとてもやるせない。
 言われるがまま、黙って下駄から足を抜いた。街灯の光で浮き上がるのは、親指と人差し指の間や、甲の擦れた傷。薄皮が剥けた赤い肌を目にすると、余計に痛みが増した気がする。

「ちょっと足上げて」

 はたけくんは腰のポーチから手拭いを取り出すとわたしの足下で屈み、足裏に手拭いを通してぐるぐると巻き付けた。傷に触れるとかすかに痛むけれど、下駄を履いていたときほどではない。
 両足とも、はたけくんの手によって簡易的に保護された。

「それ、返してくれなくていいから」
「……ありがとう」

 足を痛めたわたしを気遣ってくれる優しさは素直に嬉しかった。はたけくんと別れるまで我慢するつもりでいたけれど、本当は一刻も早く下駄を脱いでしまいたかった。裸足で帰れば母から怒られるだろうけれど、それより鼻緒ずれの痛みの方が何倍もつらい。

「履き慣れてないのに履くからだよ。いつものサンダルにしとけばよかったのに」

 屈んだ姿勢から戻ったはたけくんに、手厳しいお説教を受けた。普段と変わらず、はたけくんは正しいことを言っている。履き慣れていないものを履く方が悪い。

「だって……浴衣には下駄でしょう?」

 正しいのははたけくんだけれど、浴衣にサンダルはちょっと違う。靴よりは合わなくはないけれど、浴衣にはやっぱり下駄だ。カラコロ鳴らして歩くのが、浴衣を着たときの醍醐味の一つでもある。それに何より、可愛く見せたいなら浴衣に下駄は必要だから。

「それで結局、みっともなく脱いでるじゃない」

 実際その通りなので言い返せない。手拭いでぐるぐる巻かれた足元は、誰が見たって浴衣に相応しくない。格好悪い。これだったらサンダルの方がまだマシで、みっともない。

「そうまでして、オビトによく見せたいかね」
「……それっていけないこと?」

 呆れた調子で言われると、さすがにカチンと来た。
 好きな人に『かわいい』と思ってもらいたいことは間違っているだろうか? 浴衣にサンダルのわたしより、浴衣に下駄のわたしを見てもらいたかったという、まあ言ってしまえばただの見栄だけれど、そんな見栄を張るのはよくないのだろうか。

「だってオビトはリンしか見てないのに、意味ないで――」

 はたけくんは途中でハッと気づいたように止めて、わたしと目を合わせたあと、夜色のそれを泳がせる。続くはずだった言葉が何なのか分からないけれど、言いたいことは十分に伝わった。
 『オビトはリンしか見ていないのに意味がない』。本当、その通り。浴衣を着ても、髪に飾りを挿しても、下駄を履いても、オビトはわたしなんかちっとも見なかった。オビトが見たのはリンの浴衣と髪飾りと下駄だけだ。
 クナイ打ちの屋台でも、リンが欲しかった髪留めはわたしも欲しかったものだ。だけどオビトはリンのために頑張っていた。
 わたしたちが地面に手や膝をついても、傍に寄るのはリンだし、手を差し出すのも、汚れを心配するのもリンだけ。
 リンだけ。オビトはリンだけしか見ていない。
 そりゃあ、浴衣のリンは可愛かったよ。いつもよりもっと可愛かった。
 だけど、今夜くらいは、少しくらいは、わたしも見てくれたってよかったんじゃないの。
 わたしだって浴衣を着ていた。下駄を履いていた。条件は同じだった。
――だから、オビトは好きな人の方を見た。わたしはオビトの好きな人じゃないから見てもらえなかった。それだけだ。

「……ごめん」

 眉を寄せた気まずい表情で、はたけくんがわたしに謝る。鼻や喉の奥が痛い。涙を堪えるために噛んだ唇も痛い。足も痛い。胸も痛くて、もう痛いところだらけでいやになる。

「ふっ……、うっ、っく……」

 出したくないのに、息を吸うたび、吐くたびに小さな声が漏れてしまう。我慢していた涙はあっさり頬を流れていった。

「ごめん……サホ、ごめん」

 はたけくんは何度も謝った。ごめんと。はたけくんが謝ることなんて滅多にない。だってはたけくんが言うことは正しくて間違っていないから、謝る必要はいつもなかった。今だって正しかった。なのに謝るのは、わたしが泣くからだろう。
 泣くのは苦しいからわたしだって止めたい。だけど止めようがない。今夜をすごく楽しみにしていた。浴衣を眺めてドキドキして、オビトにかわいいって思われたらいいなと期待していた自分がバカみたい。
 着飾ってもオビトはわたしを見ないし、わたしは足が痛くなったのにリンは平気で、はたけくんには呆れられた。鼻緒ずれをオビトに気づかれたくなくて、なのにはたけくんしか気づいてくれなかったらがっかりして。
 悔しくてみっともなくて、格好悪くて恥ずかしくて、全部悲しくて涙が止まらない。

「サホ、帰ろう。家まで送るから」

 置いたままだった下駄の鼻緒にはたけくんが指を引っかけ持ち上げ、わたしに帰ろうと促す。これ以上わたしを刺激しないようにと思ってなのか、ためらいがちなその声は、いつもピリッと緊張感を与えるはたけくんとはまるで違った。
 このままここで立って泣き続けたら、帰りが遅いと心配される。門限だってもうすぐだ。帰らなければ。
 手拭いを巻き付けた足で歩けば、カラコロとした軽快な音とは程遠い、地面と布が擦れる音が響く。後ろからついて歩く、はたけくんのサンダルのザリザリした音と似ているけれど、それともやはり違う。
 泣くわたしと、無言のはたけくんで進んでいき、はたけくんは申し出通りわたしを家まで送ってくれた。門に手をかけるわたしに、やはり無言で下駄を差し出したので、わたしも何も言わずに受け取って、家のドアを開けた。閉まる直前にするりと入り込んできた「ごめん」に、また喉の奥がツンと軋んだ。



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