最果てまでワルツ | ナノ
×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -



 父から説かれたこともあり、オレは班の仲間に、オレなりに歩み寄ろうとはした。
 正直、年上とはいえ同じ立場の相手に対しどういう言葉を選べばいいのか手探りだったけれど、人の良い上忍師の介入もあって、それなりの関係を積むようにはなってきた。

「カカシはやっぱり、父親に鍛えてもらってんのか?」
「昔はよく修業をつけてもらったけど、今はあんまり」
「『木ノ葉の白い牙』だもんな。あっちでもこっちでも引っ張りだこじゃ、カカシに教える暇もないだろ。この前も任務帰りに遭遇した霧隠れの忍を、一人で三十は倒したって聞いたぜ」

 任務の合間の休憩時に、事実かどうか分からない話をオレに振ってくるほどには、二人との溝は埋まってきた。まだ距離はあるけれど前よりはマシだ。

「もういっそ、父子揃って里の誉れになってくれよな」
「そしたら俺たちにも箔が付くな。“あのはたけカカシ”のチームメイトだぜ」

 虎の威を借るなんとやらを思い起こさせることを笑って言う彼らは、オレをからかっているだけでも、馬鹿にしているだけでもない。本気と冗談が半々で、悪意は恐らくない。下忍とはいえ子ども。熟考して喋る癖など身についていなくともおかしくはない。
 他人の成したことに乗っかろうとするなと思いはしたけれど、それを馬鹿真面目に受け取って怒るほど、年下のオレは彼らと違って幼くない。
 それに、彼らはオレを『チームメイト』と認識してくれるようになったと、そちらの方にホッとしていた。
 年上の仲間相手に気を揉むのは疲れる。そんなことを十にもならないオレが考えていると感じ取ったのか、上忍師は「カカシが大人で助かるよ」などと困ったように笑った。



 『手のひら返し』というのは、きっとこういうことだ。
 里の優秀な上忍の一人として、父はある任務に就いた。それを終えて里に戻った頃から、周りの父を見る目、向ける口が変わった。
 『木ノ葉の白い牙』などという二つ名を与え、里の誉れだと称していたのに、まるっきり逆の視線と言葉を向けるようになった。
 その原因が、父が任務中に忍の掟を破り、任務より仲間の命を優先したことだと知ったのはすぐだ。

 里に戻った当初は、父も普段とはそれほど変わりなかった。周囲の反応が変わったことについては『何かあったらすぐに父さんに言うんだよ』と言っただけで、父からは改めて説明を受けたわけじゃない。
 けれど少しずつ、父はおかしくなっていった。日が経つにつれ暗い表情が目立つようになり、食事の量も減った。
 以前は任務で忙しく家に居る時間の方が少なかったのに、今ではほとんど家に居る。オレに修業をつけたり、欠かさなかった忍具の手入れをするでもなく、仏壇の前に座り、母の写真に顔を向けてはいるけれど、父の目は母も仏壇も見ていないように虚ろになった。
 夜になると特におかしくなった。共に床に就いて寝ようとしてもなかなか眠れないのか、何度も何度も寝返りを打つ。やっと寝ても、時々急に身を起こし、胃に収めたわずかな夕飯ですら吐いてしまう。
 台所に立つ姿もなくなり、食事はオレが近所の弁当屋で買ってくるが、それすらもとうとう口を付けなくなった。

 怖い。怖い。オレの日常は、音を立てて壊れていく。
 勇敢だった父が、何もない場所を見つめて怖がるようになった。
 精悍だった顔つきは、目の下に濃いクマを作り、髭すらも剃らなくなった。
 偉大で尊敬できる立派な父は、仏壇の前に座り続ける置物になってしまった。
 父が心配で、オレはサホたちが居るいつものところに行く暇がなくなった。サホのことは気がかりではあったけれど、それ以上に父のことが大事で、任務が終わればすぐに家に帰り、非番でも休みでも、オレは常に家に居るようにした。
 上忍師は父のことを把握していて、任務や必要最低限の修業以外、オレの時間を拘束することは控えるようになった。『お父さんについてやるんだ』と。
 チームメイトの二人は、急いで帰宅するようになったことを訝しんでいたけれど、徐々にオレの現状を知ったのか、何も言わずに心配そうな顔を向けるだけだった。

 ある日、任務から家に帰ると、玄関先が騒がしかった。オレの家は畑や森、竹林に囲まれていて、いわゆるお隣さんというやつは、少し歩いたところにある。
 だから家に周りでする音というのは、鳥の鳴き声や虫の声、葉擦れの音くらいなものだ。
 嫌な予感がして急いで玄関の戸を開けると、数人の男たちがたたきに立ち、その向こうには板張りの上で項垂れている父の姿があった。

「父さん?」

 邪魔な男たちを避けて父に寄ると、父はどこを見るでもなく、ぶつぶつと何か唱えている。小さくかすれていて、うまく聞こえない。
 こいつらが何かしたんだ――すぐに察して男たちを睨みつけると、顔を背けて足早に去って行った。

「父さん。父さん、どうしたの? あいつらに何かされたの?」

 問うても、父にはオレの声など届いていないのか、ぶつぶつと呟き続けるだけだ。
 何とか玄関から居間へと父を連れて行ったけれど、父はやはりオレなど目にも入っていないようで、あまりの異質さに我が父ながら怖くなった。まるで別の生き物になってしまったみたいで、心配よりも恐怖が勝ってくる。

 そして父は次の日、自ら命を絶った。



 ホント、手のひら返しだ。
 父が自害したと知った途端、周りの大人たちは『はたけサクモは偉大な忍だった』と言い、死を悼んだ。
 あんたたち、ついこの間まで、その口でなんて言っていたか覚えてないの? 『我を取った、忍にあるまじき者』って言ったんだよ。
 玄関のたたきに立っていた男たちも、涙を流しながら父の写真を前に手を合わせた。男たちは、自分たちは件の任務で父に命を救ってもらった者だった、任務が失敗し、自分たちが勇敢な死を遂げていればよかったのにと責められ、その負い目から逃げるためにひどいことをしたと、息子のオレに謝り続けた。
 謝って、どうなるのだろう。父は死んだ。あんたたちは父を責めた。それが覆るわけもなく、この家にはオレ一人が残された。
 死んだ理由を考慮し、葬儀は簡素に執り行われた。唯一の血縁者であるオレの歳を踏まえ、里長である火影が手配を整えてくれたので、オレは形ばかりの喪主としてただ無言で冷たい父の傍に寄り添った。

「サクモの代わりには足りないだろうが、成人するまでは何かあればワシが面倒をみよう」

 葬儀の最中、三代目は、里の忍たちの父に対する仕打ちを止めることができなかったことを詫び、まだ十にもならないオレの親代わりを務めると申し出た。

「結構です。オレは忍です。オレはもう、子どもじゃない」

 手のひら返しに、日和見。大人のくせに、自分勝手に父を追い立てた奴らの世話になる気はない。
 今の家を出て、里が管理する宿舎への居住を勧められたけれど断った。三代目に何度も説得を受けたけれど、頑として頭を縦に振らなかった。
 口で何度も断るより、オレが一人で十分に生きていけることを知らしめた方が早い。
 その日から、オレは身の回りの生活全てを自力でやるようにした。
 元々、父が心を病み始めてから、家事はオレがやっていた。それが当たり前になり、一人分になっただけ。仏壇に飾られた写真が、二人分になっただけ。
 任務も休むことなくこなした。周りの大人は、父が死んで日も経たないのに、十にもならない子なのにと不憫がっていたけれど、むしろ任務に出ているときの方が気が楽だった。


「信頼し合える仲間だよ」


 忍にとって一番大事なものは仲間だと、父は言った。信頼し合える仲間が大事だと。
 いいや、父さん。違うよ。違ったよね。
 父さんが守った仲間は、父さんを責めた。お前のせいだと詰った。
 信頼していた仲間こそが、父を追い詰めた。

 父は間違っていた。あのとき仲間を優先せず任務を続行すれば、そうすれば最小の犠牲で、最大の利を得られた。
 掟を守ればいい。ルールを守ればいい。
 私情も信条も捨てて、達筆な字で綴られ、火影邸やアカデミーで恭しく掲げられている忍の心得や掟だけを頭に残しておけばいい。
 それでいいのだろう。掟を、ルールを、何よりも順守すればいいのだろう。



 サホに会った。忍以外立ち入り禁止の森で。
 曰く、友達の飼っていた鳥が逃げていたので、それを捜しにここへ入ったのだとサホはオレに説明した。
 けれど、この森は忍以外が足を踏み入れることは許されない。たとえ理由が何であれ、それがルールなのだから。
 そう返すと、サホは戸惑った表情を見せた。どうしてそんなことを言うのかと、いっそ疑問を浮かべているようにも見える彼女のその顔に、正しいはずの自分が間違っていると言われているようで苛立った。

「もう死んでるんじゃない」

 孵化してからずっと人の管理下で育った鳥が、外に出ていつまでも生きていられるはずがない。餌の取り方も知らず、警戒すべき生き物の存在も知らない。しかも特徴から察するにとても目立つ。目立つものはすぐに狙われる。鷹や狐などの捕食動物にとって、格好の獲物だろう。
 オレはいずれ分かるだろう事実を告げただけだ。もう死んでいるかもしれないもののためにルールを破るなと、正しさを説いてやっただけ。
 決してサホを傷つけたかったわけじゃない。でも、去り際に見えたサホの顔は、傷つけられた者のそれと同じだった。

 サホを森に置き去りにして里の中を回っていると、サホが探しているらしい鳥の特徴と同じ鳥が、葉で身を隠すように枝に止まっているのを見つけた。

 まだ生きてるなんて。

 もうすっかり、何かの腹の中に収まっているとばかり思っていたから、意外にしぶとく生き延びていることに単純に驚いた。
 見つけたが、どうしようか。この鳥を捕まえることは掟に逆らうことになるかと考えてみたけれど、特には問題ない。それよりも、飼い主であるサホの友達がこの鳥を捜すために忍を雇う可能性を考えると、ここで捕まえておけば無駄な手間が省けるとすら思った。
 決して、サホがどうというわけじゃない。あくまでも、人員不足の状況で余計な任務に時間を取られることを、事前に防ぐため。
 言い訳しながら鳥を手に収めたあと、受付所に話をして預かってもらった。後日、受付所の職員から、飼い主が捜索依頼を出してきたので引き渡したと報告があった。

 やっぱりあの鳥だった。無駄が省けた。

 これで鳥の捜索任務に出る忍はいなくなった。その分、他の任務に人員を回せる。
 それでも、あのときの傷ついたサホの顔は、頭の中にこびりついたままだ。



 サホに会った数日後にはリンにも会った。帰宅の途中で遭遇し呼び止められた。

「カカシ、最近顔を出さないから心配だったの」

 その言葉に嘘偽りがないことは知っている。一つ年上のリンは、たまにオレの姉のように振る舞ったりするときがあって、そういうときは大体心配しているときだった。

「忙しいから」

 一言そう告げれば、何でも許される気がした。現にリンは、それ以上の理由を訊ねたりはしなかった。

「お父さん、残念だったね……」

 そっと、リンが父のことについて触れてきた。それは傷口に優しく手当てを施そうとするものに似ていたけれど、そんな優しさも手当ても、オレは欲しいなんて思っていない。

「あっ、カカシ……」
「うるさい」

 追ってくるリンの足を止めたくて投げた一言は、リンの足を上手く地面に縫い留めた。後ろから足音はしない。振り向いたら、きっとリンもあのときのサホと似た顔をしているだろうから、絶対に振り向けなかった。

 その後、オビトにも会った。
 陽が落ちかけ、辺り一帯を朱色に染める中、アカデミーに入る前によく遊んだ公園で、目を焼きそうな西日を見ていたときだ。このくらいの時間に、父が迎えに来てくれることが何度かあった。
 もう二度と迎えには来ない。父が居ない現実をどうにか受け入れようとしているのに、いつもの調子でオビトが話しかけてきて、否応がなしに苛立った。
 オビトが悪いわけではない。リンだって悪くない。分かっている。だけどやはり、放っておいてほしい。



 放っておいてほしいと思っているのに、最近やたらと変な奴に絡まれる。
 髪は切り揃えられていて、眉はやけに太く、全身緑色。特徴がありすぎて、一瞥しただけで脳裏に記憶させられる。

「里の期待の新人同士、切磋琢磨しようじゃないか!」

 そいつはガイと名乗った。変な奴なのに、こいつも飛び級でアカデミーを卒業したらしい。ああ、でもたしかに、こいつ居たっけ。
 いやでも、嘘でしょ、こんな変な奴まで――と思いはするが、変であろうと条件を満たす者であれば卒業させないといけないほど、戦況は苦しく長引いている。
 ガイはとにかくしつこかった。行く先々で顔を出し、「勝負しろ!」と言ってくる。
 最近では家の中にまで入り込むようになった。不審者だ。里の忍で、一応知人程度の相手だから警務部隊に突き出さないけど、はっきり言ってこいつは不審者だ。
 今日もまた、任務まで少し時間があったので、公園のベンチに座って本でも読んで暇を潰そうと思っていたら、ガイがやってきてオレの前に仁王立ちした。

「よおカカシ! いい天気だな! こんな日は勝負に限る!」
「……この間の雨の日も同じこと言ってたけど」
「晴れの日には晴れの日の、雨の日には雨の日の良さがある! どんな日だって、熱い心は止められないぞ!」

 握りしめた拳をオレに向け、白い歯を見せるガイにうんざりしてくる。

「カカシ! 今日こそ勝負だ! さあ、オレと一緒に青春の汗を流そう!」

 人気の少ない公園なのに、一人騒ぐこいつのせいで、漏れなく視線を集めている。

「うるさい。しつこい。暑苦しい」

 こんな状況で本を読めるほど、オレは図太くない。というか、うるさすぎて文字が頭に入ってこなさそうだ。ならば読書は諦めて、さっさと他所へ移ろう。
 オレがベンチから腰を上げると、金魚の糞みたいにガイがついてくる。金魚の糞ならまだマシだ。後ろだけじゃなく、オレの左右や前をうろつくので心底邪魔で仕方ない。
 バカの一つ覚えのように「勝負」を繰り返すこの男は、一体どうしたら諦めるのだろう。親は誰だ。人様に迷惑をかけないようにきちんと言い聞かせてほしい。
 公園を出ても当然のようについてくる。こいつ、暇なのか? だったらいい加減に他を当たればいいのに。
 苛立ってきたそのとき、進む先に人の足下が見えたので、何となく顔を上げてみると見知った顔が立っていた。思わず足が止まった。サホだった。
 サホも足を止めていたので、オレたちは棒立ちのまま見つめ合う形になった。久しぶりに見たサホは、以前見かけたときと何ら変わりはなかったけれど、その表情には明らかにうろたえた感情が滲んでいる。

「ん? なんだ? 知り合いか?」

 ガイは、オレが足を止めた理由がサホだと気づき、知り合いかなどと訊ねてくる。

「お前な……アカデミーで同じクラスだっただろう」

 ガイはオレと同じクラスだったと言うし、オレにもこいつの記憶があった。オレと同じクラスだったということはサホとも同じクラスだったはずなのに、ガイはサホのことを覚えていないようだ。

「なにぃ!? そうだったか! すまない!」

 ガイは自身の失礼に気づき、体の側面に両手を正しく添わせると、サホに向かって深く頭を下げた。

「名は何だったか?」
「かすみサホだよ」
「そうか! サホ、サホ、サホ……よし、覚えたぞ!」

 サホが名乗ると、ガイは名前を繰り返したあと、サホに親指を立てて笑ってみせた。サホはその様子に、ただ曖昧に笑った。
 笑うサホが何だか見ていられなくて、オレは脇を通り、その場を後にした。背後からガイの呼び止める声が聞こえたけれど、そんな暇はないと返し、道ではなく人家の屋根を通って全力で駆ける。ガイはそれ以上追って来なかったので、任務の時間もそろそろだしと、集合場所へ進路を取った。
 記憶の中に残る一番最後に見たサホの顔は傷ついた顔なので、ようやっと今、それが書き換えられ更新された。けれど、サホのそれは心からの笑みとは言えないものだったので、結局オレの中に残る罪悪感に似た何かが消えることはなかった。
 いつものところへ行けば、また違うサホに書き換えられるだろうか。前と同じ、屈託のない笑みを向けるだろうか。


「信頼し合える仲間だよ」


 父の言葉が頭の中で繰り返されるたび、オレの足は、三人へ会いに行くことを拒んだ。



(1/2)

Prev | Next