最果てまでワルツ | ナノ
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 三代目から直接受けた任務で、わたしは里を出た。
 今回の任務は、封印されている巻物を別の場所へと移すこと。同時に、その巻物の封印が弱まっていたら、新たに掛け直すこと。
 そのため、まずはその巻物を回収するべく、保管されている場所へと向かっている。

 早朝に里を出てから走りっぱなしだったので、陽が南天に昇る頃に、昼食も兼ねて休憩を取った。
 昼食というにはやや物足りなさを感じる携帯食料を口に運びながら、あと少しで目的地に着くだろうと告げると、

「随分遠いんですね」

と暗部の面を外したテンゾウが感想を述べた。隣では同じく暗部の面を外して背を向けているカカシが、ボソボソとした携帯食料を咀嚼しながら、辺りに注意を払っている。カカシとテンゾウは、三代目が付けてくれた護衛だ。

「前に向かったときはもっと時間がかかったけどね。このペースならあと少しで着くはずだよ」
「前に、ってことは、以前も同じ任務を?」
「うん。まあね」

 全員が空腹を満たしたところで、地図を畳み、再び目的地へ向けてわたしたちは駆け出した。


 わたしの計算通り、目的地にはすぐに着いた。背の高い草が生い茂る原っぱは、前に訪れたときとほぼ変わりなく、まだ誰の手も加えられていない。あのときは夕暮れ時で物悲しさがあったけれど、陽が十分に高いこの時間に来ると、季節柄もあってか爽やかだ。

「ここ……ですか?」
「そう」

 猫の面を掛けるテンゾウに相槌を打って、草原を掻き分けながら進む。地面を注視しながら、目当ての石を探す。カカシたちにも石の特徴を伝えて協力してもらうと、カカシの方から「あった」と声が上がった。
 カカシの足元には、木ノ葉の印が彫られている、人の頭くらいの石。懐かしい、と漠然と思った。

「下がってて」

 二人が下がったあと、決められた印を結び、石に手をつきチャクラを送り込む。石の周囲の土がぼこぼこと突出し、音を立てて上がってくるので、わたしも後ろへ下がって、動きが止まるのを待った。
 音が止み、動きが止まり、土埃を立たせるのは祠。どこにでもありそうな、土の中に埋まっていたという以外は特に特徴のない見た目をしている。

「祠ごと封じていたのか」
「誰かが手を出したら困るからね」

 いつか聞いた台詞を口にしつつ、わたしは観音開きの戸を開ける。奥には巻物。ゆっくり手を伸ばし掴むと、皮膚から巻物の中に封じられている気配が伝わってくる。嫌な気配だ。こちらへの強い負の感情に満ちている。
 祠から取り出すと、久方ぶりの陽を浴びた巻物は、わたしの記憶をどんどんと蘇らせていく。太い紐。変色した封印の札。
 集中して状態を確認すると、この封印が弱まっているのが感じ取れた。これが“分かる”ということなのだ。

「封印が弱まってる」
「分かるんですか?」
「うん」

 頷いて、貼られている封印の札を撫でる。赤く綴られていたはずの封印術式は、空気に触れて酸化し、褐色に変わっている。

「封印を掛け直すんでしょ」
「……うん」

 巻物を手にして動きを止めたわたしに、カカシが促すように声をかける。だけど、この封印の札を剥がす気になれなくて、返事をしても動けなかった。

「サホ?」

 狗の面越しのくぐもった声が発する名前に、これ以上は引き伸ばせないことを悟る。

「これ、クシナ先生のよ。前に、みんなで来たの。ナギサと、ヨシヒトも一緒に。クシナ先生が封印を掛け直したの」

 封印の札を指差し二人に説明する。カカシもテンゾウも面を掛けているので顔が見えないけれど、わたしが動けなかった理由は察してくれたらしい。
 この巻物の中には、人を食らう怪鳥が封じ込められている。近隣の村人全員を食らったとされるほど、凶悪な鳥だ。あの頃は、手から伝わる怪鳥の恐ろしさに怯えるばかりだったけれど、今は昔ほど怖いとは思わない。この瞬間に封印が解けてしまっても、すぐにまた封じるだけの力と技術を持ったからだろうか。

「きっと、これ以外にも、クシナ先生が封印した巻物なんかが、まだどこかに残っているの」

 封印術に長けたクシナ先生は、恐らく封印の掛け直しにも多数派遣されただろう。相性の良いものであれば、何十年も保つことができるから、これから先も、クシナ先生が封印したものに出会うことがあるかもしれない。
 クシナ先生が亡くなられて、五年ほどになる。もう五年というときもあれば、まだ五年というときもある。
 五年経って見つけた先生の痕跡。それだけじゃない。この巻物の封印の掛け直しが行われたあと、どうやっても忘れられない出来事が起きた。

「考えたら、剥がしづらくて」

 色んな思い出がある。良いものばかりではないけれど、クシナ先生との貴重な記憶の一つだ。
 これを貼った人はもういない。これを剥がしたら、ここにあった痕跡はなくなる。
 考えると、剥がしたくなかった。このままにしておきたかった。

「けど、やらなくちゃね」

 だけど剥がさなくては。わたしの手で封印を掛け直さなくては。
 巻物を地面に置いて、白紙の札をポーチから一枚取り出し、指を噛んだ。鋭い痛みと共に、口の中には鉄の味が広がる。傷が塞がらないうちに、札に封印術式を記す。
 新しい札を用意し、古い札に手をかけた。

 さようなら。

 誰に向けたか定かではないけれど、わたしは心の中で誰かに向かって挨拶をしてから、クシナ先生の札を剥がし、自分の札を素早く貼った。長い印を最速で結び、新しい札の上に手を乗せる。チャクラを送れば、札は巻物にべったりと貼りつく。
 終わった。これで、この巻物の封印は、またしばらく解かれることはない。
 巻物を祠へと戻したあと、わたしは自分のベストから用意していた巻物を一本出した。広げれば、本紙には事前に記していた術式。

「祠ごとこっちに封印する」

 言って、わたしは印を結び、祠に手をついた。祠は瞬時に巻物の中へと封じられ、空いていた空白の部分に『封』の文字が浮かび上がる。
 素早く巻き直し、紐をしっかり締めれば、もうここには用はない。

「これで終わり」

 口にしたからには、ここを発たなければ。用もないのにこれ以上留まる理由はない。
 草原は風が吹くたび、大きな波を作る。ざあざあと、葉擦れの音が心地いい。

「気持ちのいい場所ですね」
「うん。そりゃあ、大きな別宅でも建てたくなるかもね」

 ここに封じていた祠を他所へと移すことになったのは、火の国の貴族が、この周辺に別宅を建てたいと言い出したからだ。
 この草原にこの祠が封じられていたのは、この地と、巻物に封じられている怪鳥との波動が合うため、他所よりも都合がよかったから。しかし、貴族の一声で、場所を移さなくてはならなくなった。いくら火影様と言えども、地位ある者には簡単には逆らえない。
 幸いにも、他に相性の良い土地が見つかったので、そちらへ移すことで話はまとまった。ただ、ここもそちらも国境に近いため、何かあってはと懸念した三代目が、護衛にカカシとテンゾウを付けてくださったわけだ。

「行こう」

 やっと踏ん切りがつき、二人と共に草原を後にする。里に任務完了を報告すれば、直に貴族の別宅が建てられる。もうここへは二度と来ることはないだろう。
 思い出が一つ、誰かの手で奪われたような気がする。怪鳥の祠と共に、たまらない寂しさを封じ込めた。



 祠を埋めておく新たな地は、ここより東の方にある。今から出立してどんなに速く長く走り通しても、到着は明日の朝になる。わたしたちはできるだけ距離を稼いだあと、梟が鳴き始めた森の中で一夜を過ごすことにした。
 日中に比べて肌寒く感じるけれど、凍えるほどではない。国境に近いので火は焚かず、携帯食料と水だけを口にするのも、わたしが感知結界を張るのも、前のときと同じだ。あとは朝まで、交代で見張る。最初はテンゾウ。次はわたし。その次が、今起きているカカシの持ち回り。
 里を出てから走りっ放しで、疲労はかなり溜まっている。明日も目的地まで走るので、少しでも寝て体力を回復させなければならない。
 なのに、目は冴えてどうにも眠れない。カカシと見張りを交代してから横になったけれど、何度も何度も寝返りを打つだけで、睡魔はちっとも訪れない。

「眠れない?」

 わたしの動きに気づいたのか、カカシが静かに声をかけてきた。無視しようかと思ったけれど、眠れないのは事実だし、もういっそ誰かと話でもして暇を潰した方がいい気がして、ゆっくり身を起こした。

「ちょっとね」

 カカシは面を掛けたまま、わたしとテンゾウから離れた位置に腰を下ろしている。そこが一番見張りがしやすい。わたしの近くにはテンゾウが転がっているので、起こしては可哀想だと、カカシの傍まで歩いた。
 隣に腰を下ろす気はないので、立ったまま空を見上げる。月は糸のように細い。儚ささえ窺える繊月の光は弱く、小さな星は思う存分に輝いている。

「少しでも寝ておかないと明日がきつい」
「分かってる」

 寝ろと言いたいのは重々承知だけれど、眠れないのだから仕方ない。それでもごろごろしていれば疲れは取れるだろうけれど、しばらく起きてみて頭をリセットして、また寝転がったら今度は眠れるかもしれない。
 言うことを聞かないわたしに諦めたのか呆れたのか、カカシはわたしと同じように、夜空にひっそりと佇んでいる三日月を仰いだ。

「……クシナ先生のこと、思い出してんの?」

 昼間のことから、わたしが眠れない原因に当てがあるカカシは、クシナ先生の名前を出した。

「それもあるけど……あのときも、封印の掛け直しが終わったあと、野営したの」

 思い出して感傷的になり、高揚して目が冴えるのは、おかしい話ではない。けれど、何もクシナ先生のことだけじゃなかった。

「岩隠れの忍が襲ってきて、そのとき初めて、人を殺した」

 クナイで人の体を何度も突き刺した。殺される恐怖に体が追い立てられて、何度も何度も突き刺した。
 今はもう、敵であれば殺すことに迷いはない。自分の身を守るため、仲間を守るため、里を守るため。たくさんの言い訳もある。
 初めて人を殺して十年も経つと、もう何人殺したか分からない。たくさんだ。たくさんの敵を殺した。
 それでも、時々、人を殺す自分がいやになるときがある。そういった逃げから、グローブを嵌めるようになり、[けい][]籠檻[ろうかん]の術を作った。
 この手が血に塗れぬように。この手で直接殺さなくていいように。
 自分の手に人の死が伝わらないように、わたしはいつも逃げているのかもしれない。

「誰が襲ってきても、お前たちはオレが守るよ」

 カカシの言葉が優しく耳を震わせる。それがハッタリでも何でもないことは知っていた。いくら戦闘の危険性があったとはいえ、上忍一人の護衛にと寄越すのに、カカシは過分だ。
 わたしたちを守ると言ったのは、この男の正直な気持ちだとは分かっている。
 だけど、どうしても。どうしても考えてしまう。

 なら、どうしてリンは守ってくれなかったの。

 分かってるよ。カカシが守ろうとしたことは。リンが自ら死を選んだことは。どうしようもなかったことも、カカシが一番後悔していて、苦しんでいることも。
 だけど、たまらなくさびしい。わたしたちの間にぽっかり空いた二人分の隙間が、あんまりにも冷たくて、弱い自分がいやになる。



 あのあとすぐに、何とか少しだけ眠って、朝日が昇ると同時に目的地へ向かって駆けだした。
 軽い休憩を挟みつつ進み、やっと着いた場所は、火の国の端の方だ。東の端の方までは来たことがない。元々封印されていた場所は草原だったが、ここも似たような草原が広がっていて、あちらよりも随分と強い風が吹いていた。
 指示された地点と現地の特徴を照らし合わせ、見つけたポイントで祠を封じた巻物を広げる。本紙から祠を出して、すぐに印を結び、地中へと埋める。あとに残るのは、木ノ葉の紋が彫られた石だけ。
 これで祠の引っ越しは完了だ。

「任務完了」
「サホさんの任務は、ですね。ボクたちはサホさんを無事に里へ連れ帰るのが仕事です」

 それもそうだった。今から里を目指せば、夜には着くだろう。
 じゃあすぐにでも――と言おうとしたら、突風が吹いて遮られた。草がバサバサと大きな音を立て、後ろで一つにまとめている髪も揺らされ掻き回される。

「すごい風」

 まとめていた髪を手櫛で整えながら呟くと、

「海が近いですから、そのせいかもしれません」

とテンゾウが返した。

「え? 海? 海、近いの?」
「ええ、そうですよ。地図を見て気づきませんでしたか?」

 そう言われたら、そうだったかもしれない。何せ移動させる祠については色々と思い出があったため、東の端の方だな、という最低限のことしか考えられなかった。

「海って……あの、大きな湖みたいなものよね?」
「大きな湖って……もしかしてサホさん、海を見たことがないんですか?」

 わたしの説明に、テンゾウが驚いた声を上げる。猫の面を掛けているから見えないけれど、あの大きな目が、もっと大きく見開かれていそうだ。

「クシナ先生の班に居たときは、里から遠く離れる任務はほとんどなかったし、そうじゃなくても、任務でこんなに東の方に来たことは初めてだから」
「へえ、そうなんですか」
「テンゾウは見たことあるの?」
「ありますよ。任務で火の国のあちこちに行きますから」

 暗部ともなれば、火の国どころか、他国にも足を延ばすことが多々あるだろう。ならば海くらいいくらでも見る機会はありそうだ。

「カカシも?」
「一応ね」

 狗の面に問うと、腕を組むカカシもあっさり見たことがあると答えた。上忍になってまだ日が浅いわたしと、カカシでは立場も任務も違う。
 どうやらこの場で海を見たことがないのはわたしだけのようだ。それに関して疎外感はない。それよりも、見たことがない海に興味が惹かれる。

「先輩」

 テンゾウがカカシに声をかける。カカシは組んだ腕を外すことなく少し黙ったあと、

「ま、多少遅れても問題はないでしょ。ただし、体のいい遅延の言い訳は自分で考えるんだね」

とわたしに向かって言った。

「え?」
「海、見に行こう」

 カカシが改めて口にし、わたしたちの進路は、里から海へとずれた。



 見た瞬間に、口からは自然と声が漏れていた。

「うわ……」

 祠を新たに封じた草原からさらに東へと進んでいくと、唐突に拓けた場所へ出た。空までの視線を遮るものは何もなく、薄い青を下へと辿っていけば、水と交わる境界線が見える。

「あ、あれが海?」
「そうですよ」
「じゃあ、あれが水平線ってやつ?」
「ええ」
「へえ……すごい。こんなに広いなんて」

 わたしが今まで見たことがある海というのは、写真や絵ばかりで、どれも四角い枠の中に収められていた。枠を取っ払って、自分の目で見た海は、広大で突き抜けていて、木ノ葉の里のどこに居ても見えない物しかなかった。
 まるで丘が水面に浮かんでいるように、島が一つ、二つ。丘はきっと山だ。丘に見えるほど低く感じられるということは、あれらは一体どれくらい遠くにあるのだろう。よく目を凝らせば、ゆっくりと進む船も見えた。何を載せているだろうか。どこへ向かうのだろうか。あの丘のような陸地には、やはり船じゃないと辿り着けないのか。

「すごい……すごいね、海って」
「ボクとしては、サホさんの反応の方がすごいですけど」

 テンゾウの言葉に、少し興奮しすぎたと反省する。産まれて初めて見た海の広さに圧倒されたとはいえ、十九にもなって、かなり子ども染みた反応だった。
 気を取り直し、海に向かって歩を進める。生い茂っていた草は次第になくなり、剥げた大地へと変わる。それもしばらくすれば、柔らかい砂へと変わる。
 これが砂浜、というやつだ。きちんと意識して歩かないと、体が揺れてしまいそう。サンダルの隙間から砂が入ってくるのは若干気持ち悪いけれど、ぎゅ、ぎゅっと踏みつける感触が面白くてどんどん歩いていき、波打ち際まで着いた。
 ざざん、ざざんと、波が音を立てている。銀色にキラキラと輝く水面の端がくるんと折り畳まれて、溶けて、次の水の端がくるんと折り畳まれて、溶けて。止まることなく繰り返されるその動きは、わたしの目を放させない魅力があった。
 この波は、ずっとずっと先から届いている。繰り返されている。あの水平線の先には、別の国がある。
 違う世界に来たみたいだ。木ノ葉の里の周辺は森ばかりで、水平線などとという、あんなに真っ直ぐな線は見たことがない。あの線は、恐らくこの世の何よりも正確無比な直線。

「あれ? テンゾウは?」
「魚を獲ってくるって」

 やっと波の動きから顔を離すと、わたしの近くにはカカシしか残っていなかった。どうやらテンゾウは、遅めの昼食として魚を焼くつもりらしい。ずっと携帯食料ばかりだったし、獲れたての魚はきっと美味しいだろう。
 海岸には、わたしたち以外の人はいなかった。ここには毒を持って人間に害を及ぼす生き物が多数生息しているので、地元の者でも近寄らない場所だと、カカシが言った。テンゾウが毒を持った魚を獲ってこないといいけれど。
 動くたびにぎゅっぎゅっと鳴る足下の砂を見ると、貝殻が落ちていた。

「あ。貝殻」

 しゃがんでグローブをしたまま触れると、砂がこびりついた、白い貝が一つ。他にもぐるりと見渡せば、形や色が異なる貝がたくさん落ちている。
 貝殻自体は見たことがある。本でも見たし、実物も見たことはあるけれど、砂浜に転がっている貝殻は初めてだ。
 きれい。これも。きれい。思って、いくつもいくつも右手の指で摘まんで拾い、器代わりの左手の中へ入れていく。

「そんなに持って帰るの?」

 しゃがむわたしの頭の上から、カカシの呆れた言葉が降ってくる。カカシとしては、ここへは立ち寄っただけであり、遊びに寄ったわけではない。海を見たことがないわたしに、少し海を見せてやろうという気遣いだけで、心行くまま満喫させる気は毛頭なかっただろう。
 そんなカカシを無視して、わたしは目に着いた貝を拾う作業を続けていく。

「知ってる? リンはね、海に何度も来たことがあるんだって。親戚が、海沿いに住んでいて、年に一回くらい。それで、海岸で貝殻を拾って、それを家に持ち帰って、家で眺めるのが好きだって」

 リンの名前を出した途端、カカシの纏う空気が変わったのが、顔を上げなくても分かった。わたしの口から発する、『リン』という名にカカシはいつも怯える。責め立ててばかりだったから当然だ。

「わたし、リンと約束してたの。戦争が終わったら、一緒に海に行こうって」

 『戦争が終わったら何をしたい?』
 わたしは、岩の中に置き去りにされた、オビトの体を持って帰りたかった。リンは、海へ行きたいと言った。

「一緒に貝殻を拾おうって」

 リンの部屋の机に、いつも置かれていた貝殻の瓶。今はわたしの部屋の、リビングの棚に置かれている。小さいリンが、小さい手で拾って集めた、お気に入りが詰まった、リンの宝物。

「わたしが海を見たことがないって言ったら、絶対に行こうねって」

 リンはわたしに、海のことについて教えてくれた。寄せて返す波はうっかりすると体を持っていかれること。穴の空いている貝殻を集めて糸を通せば首飾りが作れること。砂浜は陽に照らされてとても熱いから、ちゃんとサンダルを履かないといけないこと。
 手を繋ぎながら、わたしとリンは、きっと来るだろう未来を信じていた。わたしたちはまだ十分に子どもだった。戦争は終わる。平和になる。海へ行ける。信じて疑わなかった。

「九尾が里で暴れたあと、リンのお家が引っ越したのは、知ってるでしょ」

 貝殻を拾う手を止め顔を上げると、わたしを見下ろしていたカカシの、狗の面に向き合う。逆光で面の模様も、空いている穴から見える両目の動きも分からないけれど、カカシは「ああ」と返事をした。わたしが言わなくてもやっぱり知っていた。

「引っ越す前に、リンのお母さんから、リンが集めた貝殻の瓶をもらったのよ」

 ふっくらした顔は、頬がこけてほっそりとやつれていた。老いのせいじゃない。心労が募って、リンのお母さんを苦しめ、文字通り削った。

「わたしと海に行くの、すごく楽しみにしてたって、リンのお母さん、言ってた」

 『リンと仲良くしてくれてありがとう』と、リンのお母さんはわたしにお礼を言った。お礼を言われることなんてなかった。リンが大好きで、リンの傍に居た。オビトのことで嫉妬したことは何度もあったけれど、それでもリンを嫌うなんてできなかった。
 貝を拾おうと顔を伏せると、ぽたりと砂浜に濃い点ができた。わたしの目から、涙が零れていた。
 瞬きをすると、また点が増えた。右手のグローブの甲で拭ったら、わずかについていた砂が、頬の上でざりっと音を立てる。

「リンの代わりにはなれないけど、海くらい、オレが何度でも連れてってあげるよ」

 カカシの言葉がまた降ってくる。罪滅ぼしに縋る、咎人の祈りだ。カカシがわたしにかける言葉は、すべてそう感じていた。
 だけど、どうしてだろう。ざざん、ざざんと、延々と続く波の音を聞いていると、カカシに対する怒りなど、ちっぽけな物に思えてくる。正確無比の直線の果てのことを考えたら、カカシがオビトの目でリンを死なせてしまったことは、小さなわだかまりでしかないのかもと。
 そんなはずはない。そんなことはない。わたしの怒りは、消してはいけない。
 けれど見えてしまった、友としての優しさを前にすると、手の甲を目に押し付けたまま、頷くしかなかった。



 テンゾウが獲ってきた魚を焼いて食べ、それから里を目指し、ようやく着いたのは日付が変わった深夜だ。この時間帯に三代目へ報告をするのは失礼だろうから、陽が昇ってからにしようと、一先ず自分の部屋に戻った。
 暗部には早朝だ深夜だというのは関係ないらしく、わたしが部屋へ戻るのを見送ったあと、二人はどこかへ去って行った。
 約二日ぶりの部屋は、出て行ったときと変わりはない。張っていた結界にも問題はなく、わたしはすぐに服を脱いでシャワーを浴びた。

「ああ、さっぱりした」

 汚れと汗を落とし、新しいものを身に纏って、ようやく一息つく。潮風のせいで、髪がベタベタしていた。リンから聞いていたとはいえ、海の中には入っていないのにここまでベタつくなんて、と驚いた。
 忍服と一緒に外したポーチから小瓶を一つ取り出す。貝殻が欠けたり割れたりしないように、海で拾ってすぐにこの中へと入れていた。
 水を張ったボウルを用意し、貝殻を全てその中へと沈める。一つずつ取り出しては、くっついている砂を落としていく。
 そのまま小瓶に戻してもよかったけれど、小瓶にも砂がいくつも入っている。洗わないと、と持って立とうとしたら、ナギサが引っ越し祝いにくれた花瓶が目に留まった。花瓶は、もらった当初はちゃんと花を生けていた。けれど任務で何日も家を空けることが続いたりして、そのたびに花が傷んだり、水が匂ったりするのがいやで、ほとんど置物になっていた。

「そうだ」

 ちょうどいいと、花瓶の中に貝を落とす。からん、と高い音を何度も響かせ、ついにはボウルは空になり、花瓶にはきれいになった貝殻が詰められた。
 花瓶を、リンの貝殻の瓶の隣に置く。リンのものと嵩を比べたら、わたしの貝殻は四分の一にも満たなかった。
 並べて見ていると、口元が思わず緩んでしまう。

「リン。わたし、海に行ってきたよ。一緒に行こうって約束したのに、一人で行ってごめんね」

 リンの貝殻の瓶に話しかける。知らない人が見たらおかしな構図だろう。でも、リンがそこに居る気がするから、わたしは今、間違いなくリンと話をしている。

「カカシが連れて行ってくれたの。あ、テンゾウもだけど」

 あの場にはカカシだけではなくテンゾウも居た。でも、テンゾウはカカシの後輩で、先輩のカカシの許可がなければ海には行けなかったから、『カカシが連れて行ってくれた』というのは間違いではないだろう。
 あいつがわたしに気を遣うのは、罪悪感からだ。あいつの優しさはただの罪滅ぼしだ。
 けれど最近は、本当にわたしに優しいのかもしれない、とも考え始めていた。一時期は仲間より掟やルールを優先する奴だったけど、また昔のように、仲間を大事に想うカカシに戻ったし、前よりもずっと人当りは柔らかくなったし、穏やかにもなった。
 でも、所詮カカシにとってわたしは、『オビトの』という枕詞がつく存在。『オビトのことを想っていた奴』、『オビトの仲の良かった同期』、『オビトのことで自分を恨む人間』。わたしの背中を焼いたのも、『オビトの代わりに守るため』だ。

「また、連れて行ってやるって」

 たとえ罪悪感からだとしても、その言葉は素直に嬉しかった。
 カカシは約束を破った。わたしたちがオビトの代わりにリンを守るという約束を。
 この約束は、今度こそ守ってくれるだろうか。また海へ連れて行ってもらい、貝殻を拾い、持ち帰って花瓶に詰めて。いつかその嵩が、隣のリンの瓶と並ぶ日は、今度こそちゃんと来るだろうか。
 来てほしい。今度こそ。貝殻の嵩がリンの瓶より勝る頃には、わたしはカカシとまた、肩を並べられるかもしれない。



44 貝は語らず

20181028


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