最果てまでワルツ | ナノ
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 その日、わたしたちクシナ班は、今までからすると珍しく、火の国の国境近くまで向かっていた。
 火の国は他の国より広い。広いゆえに、手が回らないのが現状。クシナ先生が言っていた『私の事情』というのがあっても、とうとう国境近くまで向かわなくてはいけなくなっていた。
 また、今回は人手不足ということとは別で、封印術に長けたクシナ先生を派遣させる必要もあった。
 広い火の国には、あちらこちらに曰くつきの場所がある。よく昔話として、父から枕元で聞かされてきた。例えば山のように大きな化け猫とか、振るう者がいないのに勝手に動き、人の首を刈る刀だとか。そういったものを封じている場所があるのだと。

「それ、全部本当よ」

 クシナ先生がサラッと肯定したときには、背筋がゾッとしたものだ。
 先生は次いで、それらはどれも、木ノ葉隠れの忍が封印を施し、定期的に状態を確認して回り、問題があれば封印術に長けた者が、改めて封印をかけ直してきたのだと教えてくれた。

「今回は、その見回り班から連絡があってね。どうも祠の中の巻物の封印が弱まっているようだから、新たにかけ直す任務を預かったのよ」

 該当の巻物が収められている祠に向かう道中、クシナ先生は簡単に任務の内容を教えてくれた。巻物に封印されているのは人を食らう怪鳥で、その昔、辺りの村人を食べてしまったため、木ノ葉の里の忍者が封じたらしい。残念ながら近隣の村は怪鳥のせいで潰えてしまい、今では巻物を安置している、結界を施した祠だけがひっそりと残っていると。
 戦時中の今、直接戦争に関係のない事柄ではあるけれど、もし仮にその封印が解けたのなら、戦争中で忍が出払っているからこそ余計に被害が拡大してしまうだろうし、その隙をついて他国が攻めてくる危険もある。
 封印が解けてしまったら、怪鳥が再び空を舞い、人々を食べてしまう。他国の忍が大勢現れ、木ノ葉の里を襲ってしまう。想像するだけで怖い。
 それが表に出ていたのか、クシナ先生は、

「大丈夫よ。封印は何重にもかけられているの。今回はその、一番外側の封印をかけ直すだけだからね。パッと行って、ササッと終わらせるだけだってばね」

と安心させるように説明してくれて、クシナ先生の明るい声に励まされたこともあり、恐ろしさを和らげることができた。

「こんなに木ノ葉から離れたの、初めてはサホだけかしら?」
「僕は一年目の頃に、二回ほど国境に向かいました」
「俺も何度か」

 下忍二年目のヨシヒトとナギサは、すでに国境での任務をこなしたことがあると言う。やはり国境での任務は危険なのだろう。今度はさきほどの怪鳥とは別の恐怖が、わたしの背筋に悪寒を走らせる。

「まあ、国境から近いとはいえ、前線には手練れがたくさん揃っているからね。他国がいざ攻めようとしても、そうやすやすと越えてくることはないってばね」

 クシナ先生の言葉に、ヨシヒトもナギサも同意するように頷いた。三人がそう判断するのなら、きっと大丈夫なのだろう。
 緊張はちっとも解けないけれど、今のわたしには少しでも色んな経験を積むことが必要だ。クシナ先生の封印術を間近で見られるこの機会に、恐ろしさでまともに見ることができなかったなんて言い訳にならない。
 気を引き締め、わたしたちは早めに休憩を切り上げ、祠まで急いだ。



 朝早く出て、そこに着いたのはすでに夕暮れだった。
 祠はこの辺りにあるとクシナ先生が示した場所には、それらしいものは何もなかった。周りには背の高い草原が広がり、陽が傾いて冷たくなった風を受けては、音と共に大きな波を立てる。

「どこに祠があるんですか?」
「ちょっと待ってね」

 クシナ先生が草を掻き分けながら、地面に目を向け、何かを捜している。地平線に沈む直前の陽の光ではよくは見えないので、手元を照らす懐中電灯の明かりだけが頼りだ。

「――あったあった。これだってばね」

 先生が指し示したのは、人の頭くらいの石だった。中央に木ノ葉隠れの里の印が掘られている。

「何かの目印ですか?」
「ええ。祠をそのまま置いといて、簡単に手を出されちゃ困るからね」

 ヨシヒトの問いに答えたあと、クシナ先生はわたしたちを下がらせ、身を屈める。素早く印を結ぶと、その手を石の上に置いた。途端、石の周りの地面が隆起し始め、石を天辺にずるずると何かが這い上がってくる。

「わっ……ほ、祠、ですか?」
「そ。普段は地中に埋めているのよ」
「うーん。シンプルイズベスト、といったところかな。美しい」
「いちいちうるせぇ。ぶっとばすぞ」

 土埃を上げて現れたのは、よく道の脇にお地蔵様が奉られているような、小さな祠だ。屋根があって、扉がある。それだけ。ヨシヒトが言う『シンプル』という言葉にピタリと当てはまる。地中に埋まっていたので、もちろん花や供物などもない。
 クシナ先生が観音開きの戸を開くと、中には巻物が一つ鎮座していた。先生は臆することなくそれを掴むと、わたしたちに見せる。

「これが、怪鳥が封じられている巻物よ」

 巻物は太い紐でしっかりと結ばれていて、その上に封印の札が貼られている。紐も、表紙の紙も、軸も、古臭さが目立つけれど、わたしがいつも目にする巻物と何ら変わりない。

「確かに、ちょっと弱まっているわね」
「分かるんですか?」
「ええ。ヨシヒトやナギサには分からないかもしれないけれど、そうねぇ……。サホ、触れてみて」

 ひょい、と目の前に差し出されて、わたしは巻物にじっと目を落とした。見ただけでは、何だかよろしくない雰囲気があるなぁとしか分からない。
 試しに、そっと巻物に触れてみた。

「――ひっ」

 触れた指先から、強烈な何かを感じた。熱くて、痛くて、禍々しい。触れた指を守るように、もう片方の手で覆って、わたしは一歩後ろに下がった。

「おい、どうした?」

 横に居たナギサがわたしに声をかけるけれど、巻物から目を離すことができず、言葉を返すこともできなかった。見ていたくないのに、目を逸らせない。逸らした瞬間に、この得体の知れない気配に呑み込まれてしまいそうな感覚があった。

「サホにはやっぱり分かるみたいね」

 わたしの態度で何か察したのか、クシナ先生はわたしの前から巻物を引っ込め、一番外側にある封印の札を指差す。

「これが弱まっているみたい。前回、封印をかけ直した術者は、それほど腕のある者ではなかったみたいね。中の怪鳥の気配が少し漏れているわ。まあ、怪鳥自体にも幾重に封印がされているから、簡単に外に出ることはないけれどね」

 だから怖がらなくてもいいのよ、と先生は続けたけれど、そんな言葉では拭いきれないくらい、わたしの中でこの巻物に対する恐怖がこびりついている。
 あの巻物の中にあるのは、圧倒的な強欲。封印され、極限までに腹を空かせた怪鳥の、獲物を求める底なしの欲求。大した年数を生きてはいないけれど、今まで恐ろしさを抱いたものが、ちっぽけに思えるくらいだ。

「こういうわずかな気配を感じ取れるのは、感知に長けた者か、腕のある封印術者くらいなのよ」

 巻物を持っているにも関わらず、平気そうな顔でクシナ先生は言う。前者はどうか知らないけれど、後者に該当する先生なら、手にした巻物から伝わる気配をしっかり感じているだろう。なのに怖がる様子は見えない。胆が強いのか、怪鳥などまったく恐ろしくないのか。それとも、この巻物に封じられた怪鳥より、もっと怖いものを知っているのか。

「サホは立派な封印術者になれるってばね」

 にっこり笑うクシナ先生の言葉は、今でなければ、飛び上るほど嬉しかっただろう。
 けれど今は、わたしが成長して封印術を使えるようになったのなら、こんな恐ろしいものを封印していくことになるのかと思うと、素直には喜べなかった。
 封印の掛け直しはすぐに終わった。クシナ先生が指を噛んで血を垂らし、白紙の札に血文字で封印術式を書き連ねたあと、古い札を剥がしてすぐに新しい札を貼る。複雑な印を高速で結んだあと、札に手を乗せチャクラを注ぐ。わずかな発光のあと、札はしっかりと巻物に貼りついた。

「これで大丈夫。サホ、触ってみてごらん」

 突き出された巻物に、わたしは自然と身を引いた。さきほどの気配の恐怖はまだ消えない。けれどクシナ先生が再度「大丈夫」と声をかけるので、わたしはゆっくり手を伸ばし、指先だけで巻物に触れた。

「……あ……本当だ……」

 初めて触れたときとはまるで違う。気配自体は、なんとなく感じられる。でも、その気配はとても穏やかに沈黙しているイメージがあって、そのまま指の腹や、手の腹で掴んでも、さきほどのような恐ろしいものは感じなかった。

「ね。これでまたしばらくは大丈夫よ。まあ、私はこの巻物と相性が悪いみたいだから、十年持てばいい方ね」
「十年……ですか」

 それは、長いのだろうか、短いのだろうか。そもそもこの怪鳥はいつから封じられているのだろう。木ノ葉の里の歴史から考えると、何十年、といったところだろうか。極端な話、殺してしまうことはできなかったのだろうか。殺してはいけない何かが、この怪鳥にはあったのだろうか。静かになった巻物に、わたしは色んな思いを馳せた。

「そのときには、私じゃなくてサホがかけ直しを命じられたりしてね」

 十年後、わたしがこの巻物を――そんな日が、来るだろうか。まだ下忍一年目のわたしには、遠い未来のことのように思えた。



 巻物を祠に戻し、再び地中へと戻したあと、わたしたちは近くで野営をすることになった。
 野営は初めてではない。遠征した際のことを考え、事前に何度か四人で行ったことがある。けれどそれは木ノ葉の里から近かったし、危険もなかった。
 今居る場は、国境から少し離れているだけだ。念には念を入れ、火は焚かず、わたしたちは携帯食料と水でお腹を満たし、交代で見張って夜が明けるのを待った。
 見張りは、ナギサ、ヨシヒト、クシナ先生とわたしの、三交代。わたしと先生がペアなのは、まだ経験が浅いからだ。
 一時間毎に順番を回し、今は三周目。草木も眠る丑三つ時の中、わたしとクシナ先生は眠るヨシヒトとナギサを背に、星空の下で小声でお喋りを続けた。

「それで、私の髪を頼りに、ミナトが捜しに来てくれて、助けてくれたの」
「わあ……すごい。まるでお伽噺みたい……」

 何がきっかけかは忘れたけれど、クシナ先生とミナト先生がお付き合いを始めるまでの馴れ初めを教えてもらった。クシナ先生は渦の国から引っ越してきたこと、アカデミーで初めて会ったこと、最初はいけ好かない人だと思っていたこと。
 特に、ミナト先生を好きになるきっかけにもなった、クシナ先生が攫われたのを助けに来た話は、小説や古いお話に出てくる、悪者に攫われた姫を救いに向かう勇敢な若者そのままで、聞き終えると胸はドキドキと高鳴った。

「そんなに素敵な――あっ、攫われたのはよくないことですけど……でも、素敵です」
「ふふ。照れるってばね」

 月は半月で弱い光を放つので、クシナ先生の表情の変化しか分からないけれど、もし陽が出ている日中だったら、先生の頬はその髪の色によく似た赤に染められていただろう。

「サホはオビトのどこに惹かれたの?」

 話を振られて、心臓がドキッと跳ねた。そっと、後ろで眠る二人を見やると、規則的な寝息を立てている。

「アカデミーで、班を組んで戦ったときに、足を引っ張っちゃったんです。それを、一緒に組んだ男子に責められていて、そのときに庇ってくれて」

 こそこそと、クシナ先生の耳元に口を寄せて話し始めると、クシナ先生は「うんうん」と小さな相槌を打った。

「そしたら今度はオビトが馬鹿にされて……オビト、写輪眼が開眼できていないって言われたりして、泣いちゃったんですけど」
「あはは。オビトってば昔から泣き虫なのね」

 呆れるというより、面白いといった笑い声を上げるクシナ先生からしたら、十も年下のオビトは『泣き虫』の一言で済まされてしまうようだ。けれど、わたしから見たら違う。

「だけど、泣き虫だけど、頑張り屋だし、困っているおばあちゃんが居たら必ず声をかけて助けてあげるし、『火影になる』っていう目標を忘れずに、少しでも強くなろうって、毎日修業して……そういうオビトが、好き……です」

 オビトは決して成績がいいわけではなかった。不得意な忍術もあったし、体術でも隙が多かったり、かかった幻術がなかなか解けなかったり。同じ班のはたけくんと比べたら、見劣りしてしまうのは事実だ。だからと言って、オビトは自分が決めた目標を違えることなく、少しずつだけど力を付けていっている。
 木ノ葉の里を歩けば、おばあさんやおじいさんによく声をかけられるし、重い荷物を持っていたら代わりに運んであげるし、力手が必要と言われれば任務でもないのに加勢に出る。
 人を助けることに躊躇いがないオビトが好きだ。自分の目標に向かって毎日頑張るオビトが好きだ。
 オビトのこと考えると、胸がポカポカしてくる。会いたくなる。たとえオビトの目はリンを向いていたとしても、好きだという気持ちはなくならない。

「ほんとにオビトが好きなのね」
「……はい」
「ふふ。真っ赤だってばね」

 ツン、と頬を指で突かれて、恥ずかしいことを言ってしまったと、こんな暗い中でも赤くなったことが分かるなんて、クシナ先生は目がいいなぁと、色んなことをグルグル考えていたら、

――チリン――

小さな鈴の音が一つ、鳴った。

「――サホ。二人を起こしてっ」

 近所のお姉さんの顔をしていたクシナ先生が、一瞬にして上忍の顔へと変わり、わたしに短く命じながら辺りを見回した。わたしは急いで寝ている二人に駆け寄り、その体を揺すりながら「起きて、起きて」と繰り返した。

「ん……なに?」
「交代か?」
「違うの。結界に、誰かが――」

 そこまで言うと、まだ眠たげだった二人の目は瞬時にカッと見開かれ、すぐに体を起こして臨戦態勢を取る。

「先生っ」
「三、四、五……まだ居る。まずい、多いってばね」

 ヨシヒトが声をかけると、先生は苦々しい表情を見せた。周辺にはクシナ先生に習って、わたしが張っておいた結界がある。鈴の音は、その結界に誰かが侵入してきたことを知らせる音。結界を張ったわたしにはまだはっきり分からなかったけれど、クシナ先生には侵入者の数が分かるようで、『多い』と称した。それは、わたしたちが不利だと言う無言の見解でもある。

「ヨシヒト、私が出るから、援護して。ナギサは念のためヨシヒトを、サホは私の後方について、必要であれば――お願いね」
「……は、い」

 あえて言葉を濁したクシナ先生に、わたしは極度の緊張のため、かすれた声で返事をした。
 ホルスターからクナイを一本取り出して構えるけれど、その手も震えている。手にじんわりと掻いている汗で、クナイが滑り落ちてしまうかもと必死で何度も握り直した。

「怖がらなくていいわ。私が絶対に守ってあげる。先生なのよ」

 わたしに向けて、クシナ先生が軽くウインクを飛ばす。張りつめたこの場にはそぐわない陽気な仕草に、少しだけ強張りが解け、震えていた手も鎮まる。決してクナイを放さぬようにと力を込めた。

――それからは全てがあっという間だった。

 相手は複数で飛び出してきた。わたしにはその数も確認できないくらい高速で、その身がいくつもの手裏剣やクナイを打ち、わたしたちに冷たい鋼の雨を降らせる。わたしはすぐにその場から引き、ナギサは引くと同時に、クナイが飛んできた方向に狙いを定めて打ち返した。
 姿を現した相手が動く前に、ヨシヒトが全員に向けて幻術をかける。うまく発動し、現れた全員がぴたりと止まり棒立ちになる。
 キンキンと鳴り合う音は、クシナ先生が応戦している音。自分の役目を思い出し、クシナ先生の動きを追ってみたけれど、速くて視認が難しい。

「――サホッ!」

 ヨシヒトの声がして振り向くと、幻術から逃れていたらしい一人が、クナイを手に持ちわたしに駆けてくる。

「サホ!」

 クシナ先生からも声が飛んでくるけれど、指示はない。そうだ。指示など送らない。わたしはもう下忍だから、自分で判断しなければならない。

縄面縛[じょうめんばく]!」

 素早く印を組んで、その手を相手に向ける。手のひらから何本もの縄が飛び出し、相手の体に巻きついた。

「――チッ!」

 縄はギリギリと相手を締め上げる。クナイを握っている手にも巻きつき、ギシギシと縄のこすれる音が響いた。『縄面縛』は封印術の中で、もっとも簡単な術だ。名前の通り、縄で相手の全身を縛る単純なものだけれど、発動に手間を取らない。
 何とか抑え込んだ――そう思って一瞬ホッとしたけれど、抵抗を続ける相手が手に持つクナイで何とか縄を切ろうと動き、じわじわとではあるけれど、その切先が縄に向かっている。
 本来、縄面縛は全身に縄が巻きつく術だけれど、焦りからか不完全な状態で発動させてしまい、相手を縛るのは胸や腹などの一部分のみ。腕も縛ってはいるが、手はある程度動かせてしまう。

 まずい。このままでは、縄を切られてしまう。

 一本切れただけで、全て解けるものではない。しかし、相手の目はクナイから時折わたしへと移り、その度に嫌な笑みを浮かべる。待っていろ、すぐに縄から抜けてやる。そうしたらお前を殺してやる。そんな風に、背筋がゾッとする笑いを向けられる。

 どうすればいい。どうすれば。
 ヨシヒトは、ナギサは。

 ヨシヒトは複数人へかけた幻術維持と、追加で現れた別の忍に応戦している。
 ナギサは、そのヨシヒトを援護するためこちらに背を向けている。

 わたしが何とかしなくちゃ。
 どうする? どうしたらいい?

 ぶちんと、切れる音がした。とうとう一本切られてしまった。
 相手が歯を見せ、ニィッと笑った。
 怖い。怖い。
 一本切れたことにより、少し楽に動かせるようになった手が二本目を探り、クナイを引っかける。
 それを切られたら、もっと楽に動くだろう。
 そしてあっという間に三本目、四本目と切断し、そして、そして――

 殺される。


 殺される。


 殺される。



 駆け出し、握りしめていたクナイを、相手の胸へと深く押し込んだ。
 縄の切れる音。
 肉の裂ける感触。
 鉄の匂い。
 手に伝わる反動。
 獣のような荒い息。

「うっ」

 頭の上から声が落ちる。

 まだ生きている。
 まだ殺される。

 思うと同時に深く、もっと深く。
 一度抜いて、体を引くと同時に、鳴らす喉を横に裂いた。
 


 肩に誰かが触れて、驚いた。ありったけの力を込めていた手を放すと、鈍い音をさせながらクナイが草の中へと落ちた。鉄の匂いを撒き散らしながら、目の前の相手は、ほとんど解けている縄を纏ったまま身を倒していた。
 その胸は赤く、喉は切り裂かれていた。クナイは一本なのに、穴は複数個所あって、胸や腹は鮮血に塗れている。
 見開かれたままの目は、わたしを捉えることはなかった。
 ゴォ、ゴォと耳障りな音がする。自分の呼吸の音だった。喉がだらしなく開き、無様に鳴っている。

「サホ」

 倒れて動かない相手を見下ろすわたしの肩に、乗ったままだった誰かの先を辿る。手、腕、肩。着いた先には、固い表情をしたクシナ先生の顔があった。

「……せん、せ……」

 先生。
 先生。
 わたしは、今。



「貴女は正しいわ」



 先生はそれだけを口にした。それだけでよかった。



15 真白ではいられない

20180510


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