※神童と霧野と速水と松風が女体化してます
※第一話なので、ほんのりですがCP入り乱れてます
※京天、兵南、南拓風味
※雰囲気大正パラレル
















ずっとこのままで居られるなんて、思っているわけではなかった。
思っているわけではなかったけれど、望んで居たのだ。
ずっと、ずっと――無垢なままの少女で居られることを。








春は、出会いの季節でもあるけれども同時に別れの季節でもある。
騒がしい教室の中。長期休みが始まる前に比べて、一つ、二つ、空いた席を見てぼんやりとそう思った。
「あの娘たちは」
「学校、やめたんだって」
「どうして」
「どうしてって」
困ったように、親友は眉を寄せて口ごもる。
彼女の心優しい性格は美点だと思うが、神童に対して過保護なきらいがあるところはどうもよくない。
そんな彼女の見当はずれな優しさに触れる度に、きっと彼女の中の自分は綺麗なものしか見たことがないに違いない、と神童は思うのだ。
もっと幼かったころは、彼女のそんな優しさがただ純粋に嬉しかったのだけれど、最近ではそれすらも息苦しい。
けれど彼女に非はないのだ。彼女はただただ優しいだけで。
そんなことばかりを考えてしまう自分の性根の陰りに嫌気が差す。
神童の思惑なぞ知らぬ、蘭、という名に相応しい華やかな顔立ちをした彼女は、二つに結わえられた桃色の髪の毛を揺らして、小首を傾ける。
それを伝えようか否か、未だ躊躇っているようだった。


「輿入れですよぉ…」
親友の揺れる瞳をじっと見ていると、弱々しい、泣く寸前といった声が背後から聞こえて振り返る。
じと、と湿気のようなものを含んだ声だった。
「速水」
「もう、そういう年頃なんですよ…」
相手が望めば、学校なんてやめなきゃいけないし、とぶつぶつと呟く速水は元来気弱な性質だが、今朝は輪をかけて陰りのある空気を纏っている。ぽつりと席に座って俯く彼女に、周りの者も皆近寄らないようにしているようだ。
どうしたんだ、と速水に直接聞くのは憚られて親友に尋ねれば、速水も、と彼女はそっと神童の耳に囁いた。
「速水も、遠くに嫁ぐことになったらしい。準備があるから暫くはこちらにいるけれども、学校も辞めることになるみたいで」
「いやです。いきたくなんてないです…」
親友の言葉が聞こえたのか否か。
顔だって見たことなんてないんですよ、と彼女は俯いた顔を上げた。
彼女の顔の半分はあろうかという、大きな眼鏡のレンズが窓から差し込む光に反射する。彼女はこれがないと何も見えないらしい。
「…お父様が、器量良しでもないわたしを、もらってくれるだけ有り難いと思え、って」
器量良しではない、だなんてそうとも思えなかったが、眼鏡をかけるだけでいい顔をしない人だってたくさんいるのだ。
特に神童たちの住んでいる世界とは、そんな世界だ。
女は知恵をつけることも許されず、ただ可愛らしく夫の横で微笑んでいればいい。
そういう世の中だ。
そういう世界以外を、自分達は知らない。
「ここよりもっと暖かい場所なんだろう?速水、お前寒がりだったじゃないか」
「暑いのも嫌いです」
「空気の綺麗な処らしいじゃあないか、お前の体調だって」
「田舎は嫌いです」
「海の見える町だと」
「磯風は嫌いです」
霧野の言葉も、次々に速水は取りも直さず切って捨ててゆく。とうとう何の言葉も出なくなった霧野はただ息を吐いた。
その溜息を耳にして、恨めしげに速水はこちらを見上げる。
「霧野くんも、神童くんも、いいですね」
「え?」
「うちは…爵位があるとは言え、飾りみたいなもの」
売られたんです、要するに。
そう言う速水の瞳は暗く、どろりと淀んでいた。
底の見えない井戸のようだ、と神童は思った。
覗き込んでも何も見えない。深い、深い暗闇。
こういう時にすらすらと言葉が出ればいいのに。
けれどもかける言葉は見つからず、神童は速水の頭に手をそっと乗せる。
きっと、いい人だよ。
無責任な慰めを口にする神童に、速水はそれ以上何も言わなかった。









「結婚かあ…」
ぼんやりと、親友は呟く。
実感の湧かない単語だなあ、と彼女は空を仰ぎ見た。
迎えの車が遅れている神童に、じゃあ私も、と隣に立った彼女の屋敷は学校のすぐ近くで、彼女は一人で登下校をしている。
そんな彼女を親兄弟は酷く心配しているそうだが、それでは護身術を習います!と意気込んだ彼女に何も言えなくなったらしい。
何か方向が違うだろう、と神童すら思うのだが彼女自身は至極真面目に言ったことらしい。
しっかりとしているようで、そういうところで的外れな言動が目立つ彼女であるから、娘を頼む、と神童は彼女の両親から半ば泣きつかれている。
二人木陰に並んで、神童家の車を待つ。
「霧野は可愛がられているから。お父様が手放さないだろう」
「過保護っていうんだよ」
ぷう、と膨れて見せる彼女にこそその言葉を突きつけてやりたいと思ったが、今はその話ではない。
霧野は彼女の両親が年を召してからの子供で、霧野家待望の女児だった。
だから、両親が霧野を猫可愛がりするのも、彼女の年の離れ兄たちが末妹を構いたがるのもさもありなん。
けれども彼女自身はそんな家族たちに正直辟易しているようで。こうやってたまに愚痴をもらす。
「道場にまで付いてこようとするんだ」
「本当に道場に通っているのか」
「冗談だと思ってたのか?」
筋がいいってよく言われるんだ、と彼女は突然型を実演してみせる。
霧野さんたら、と遠巻きにひそひそと交わされる声や視線に、霧野、と神童は窘めるが彼女は聞こうとはしない。
暫く神童の前でやって見せて満足したのか、どうだ?と快活に笑う彼女に、私にはよくわからないがかっこいいと思う、と曖昧に微笑めば、よかった、と彼女も破顔した。
「……でも、神童だって大事な一人娘なんだから。神童のお父様だって、神童のいいようにしてくださるさ」
けろりとそんなことを言ってのける彼女に曖昧に頷く。
彼女の優しさは、こうやって神童を痛めつけるのだ。
幼馴染とはいえども、神童の全てを知っている訳ではない彼女に『何も知らない癖に』と吠えるなんて、まるで幼子が駄々を捏ねているようで、そんなことは口に出来ない。出来ないけれどもそう叫びそうになったことは幾度もある。
それを言うなら『自分からは何も話せない癖に』と言うべきで。
何も言えずに、勝手に傷ついてばかりいる自分の身勝手にはやはり嫌気が差す。
それにしても速水のところもも皆も、卒業までは待てないのだろうかなどと話す霧野からそっと視線を逸らした時。
「神童先輩!」
ふと、快活な声が耳に届く。視線をそちらへやれば見慣れた栗色の髪の少女。
ぱたぱたと、前方から駆けてくる姿はまるで子犬だ。
微笑ましくて、口元を緩める神童であったが隣に立つ霧野の目にはそうは映らなかったらしい。
松風、と厳しい声で名前を呼ぶと、彼女――松風天馬はぴたりとその動きを止めた。
「そんな乱暴な歩き方は止めろ」
ぴしゃりとそう言い放つ霧野の口調こそ男勝りなものではないか、と神童は毎度思うのだが言えた試しはない。
霧野は兄のそれが移ってしまったのだと主張しているが、それをこの年になってまで直さないのは彼女が元々そういう性格であるからに違いなかった。
はあい、と素直に返事をして松風はぴしっと、わざとらしく気を付けをしてみせる。
そんな松風がやはり微笑ましくて、また笑みをこぼせば霧野が隣で息を吐くのが分かった。
松風は、神童や霧野の一つ下の後輩である。
何故か神童に懐いている彼女は天真爛漫を表したような少女で、出身はもっと南の遠い地だそうだが、事情があって今は親類の家に身を寄せているらしい。
松風の、屈託の無さには正直救われているところもある。
霧野や速水とは違って爵位持ちではない家出身の彼女の無知が故の言動に対して、やはり霧野への苛立ちにも似たものを感じることはたまにはあるのだけれども、神童には持ち得ないものを持っている彼女にある種の憧憬のようなものを抱いている自分がいた。
こうやって、ただ無垢に笑って居られたら。
そんなもの、夢に過ぎないと分かっているのに。


「あ、京介だ」
松風が声を上げる。
つられて視線をやれば、学校の門の外の道向こうを詰襟を着た少年が歩いていた。よく見つけたものだ。
おおい、と大きな声を上げて手を振る松風を、こら、と霧野が咎める。
いいじゃないかと宥めると、神童がそう言うなら、と彼女はちょっとだけ不満そうにしながらも口をつぐんだ。
京介と呼ばれた少年は松風の声に気付いたらしく、足を止める。
きょろきょろと声の出所を探るようにしばらく辺りを見渡して松風の姿を認めると、彼はほんの少しだけ動きを止めて、けれどもすぐにそれからまた歩き出した。
「知り合いか?」
「はい!」
大した反応も返されていないのに、彼女は嬉しそうに声を上げる。
「剣城京介と言って、」
「剣城、ってあの剣城なのか?」
「あのっていうと…」
「剣城侯爵のところの、」
霧野が驚いたように声を上げたのに対して、松風は大きく頷く。
「昔、道に迷っていたところを助けてもらったんです!」
そうやって、嬉しそうに顔を上気させながら語る松風の姿に、ゆるりと目を細める。
「そう、怖そうに見えたが…優しいんだな」
「はい!」
きっと、彼女は恋をしているのだろう。
恋が、できるのだろう。
びゅう、と一迅風が吹き抜けて桜の花びらが目の前を舞う。
――春なんて、早く過ぎ去ってしまえばいいのに






「ただいま帰りました」
「おかえりなさい、拓さん」
珍しく神童の帰りを出迎えた母親に、少しだけ嫌な予感がした。
夫の影を踏まぬように三歩下がって歩くような、そんな母親は病弱なことも相まって神童の前にすらも姿を見せることは少ない。
そんな彼女が使用人に伴われているとは言え、玄関先まで神童を迎えに来るなど、物心ついてからでは初めてのことだ。
「お体の調子はよろしいのですか?」
「ええ、今日は随分いいのよ」
そうは言うものの、微笑む彼女の顔色は青白くてとても信じられはしない。
けれどもこうやって笑みを浮かべて神童に寄ってくる彼女の足取りは近年見ない程に軽く、機嫌は本当にいいようだ、とひっそり思った。
そのことにやはり、嫌な予感がする。
「貴女にね、良いお知らせがあるのです」
「わたくしに?」
「そう」
幸せそうに笑うその顔はまるで花も恥じらう少女のようであり、母親のそんな表情など見た事のない神童は虚を突かれて目を丸くした。
その神童の反応を、自分の言葉に対するものだと思ったらしい母は満足そうに大きく頷くと、後にお父様からもお話があるでしょうけれども、と神童の耳元に顔を寄せた。
「貴女の縁談が決まったのです」
「……え、」
「相手は、南沢伯爵の嫡男さまです」
級友同士が内緒話でもするように娘の耳元で囁いた母は、にっこりと微笑む。
「美男子と誉れ高い南沢伯爵のお子様とだなんて、母は式が楽しみですよ」
自分がこれだけ喜んでいることを、娘が喜ばないなんてことを彼女は想像も出来ないのだ。
――これはなれの果てだ
娘の血の気の引いた顔にも気付かぬ彼女のような人間に、いずれ自分もなってゆくのだ。
そういう、世界なのだ。
ヴァイオリンの稽古がありますから、と辛うじて絞り出した声も震えていた。
けれども、上機嫌な母は何を気取ることもなく、ただただ微笑んでいるだけだった。





























「二人きりでの真剣勝負だ。誰も通すな」
「はい」
仰せつかりました、と頭を下げた女中の背を見送って、重苦しい扉を閉める。そこに鍵までもかけてしまえば、用心深いな、と背中で笑い

声がした。
こうでもしないと、と振り返ると彼は上着を脱ぎシャツの袖をまくっていた。自分だって準備万端ではないか、と思わず口元が緩んだ。
「お前との勝負、邪魔が入ってはかなわないだろう」
「そうだな」
快活に笑って頷く彼に、自分も邪魔な上着を脱ぎ捨てる。
手加減はなしだ、と見上げると、お前に手加減など、と彼は口元を引き結んでキュー・スティックをこちらに渡す。
「手加減なんてしたら食いちぎってやる」
「これだから」
我が従兄弟殿には敵わない、と目を細める彼に南沢はふん、と鼻を鳴らす。
図体と、態度ばかりがでかいこの従兄弟に敵わないのはこちらの方だ。



「俺は結婚することになるらしい」
カン、と小気味良い音を立てて球がぶつかり合う。
久しぶりの真剣勝負は膠着していた。
彼が屋敷に訪れる度に行われるこの勝負は、今のところ兵頭の勝ち越しで。今日南沢が勝利すれば、勝敗の回数は引き分けとなる。
撞球を始めたのは南沢の方が先であったが、物覚えの良い兵頭はすぐに南沢に追いついてしまった。最近では元より力のある兵頭のプレイは、テクニックで攻める南沢を圧倒していた。それでもやはり、年上としての矜持が彼に劣ることを許さなかった。
「……どういうことだ」
次の手を促すが、彼は呆然とこちらを見つめるばかりだった。息を一つ吐いて、どういうこともそういうことも、と彼を睨む。
けれどそれでも彼はただただ南沢を見つめるだけである。
「……そんなことをしてしまえば」
「俺は用済みだと言う訳さ。今や神童家は斜陽。断れるわけがないと見てのことだ」
ほらさっさとしろ、と促すと彼はようやくのろのろと動いて、キューを構える。狙いを定めて、撃った球は何にも当たらず明らかに精彩を欠いていた。手加減はしない筈じゃなかったのか、と揶揄するように言えば、南沢、と彼は短く自分の名を呼んだ。
「父上には隠し子がいるらしいぞ?」
更に口元を釣り上げた南沢に、兵頭はバッと勢いよく顔を上げる。驚愕に彩られた表情は徐々に歪み、今にも泣きそうに双眸は揺れている。痛ましいものを見るように細められた目。辛くてたまらない、と訴えるその表情。豪放磊落を体現したような彼が、そんな顔をするのを南沢は初めて見た。
「司」
お前が泣いてどうするんだ、と年下の従兄弟を宥めるように常は呼ばない下の名前を呼ぶ。
キューを脇に追いやって、彼に駆け寄って、強張ったその頬にそっと手を伸ばす。
昔は撫でることが出来た頭も、今となっては届かないのだから全く、時の流れとは無情なものである。
無情なのは、時の流ればかりではないのだけれど。
「そんな顔をするな」
「しかし、お前は」
その先を、彼は口にすることが出来ない。幾度か口を開閉させて、結局は閉ざすしかなくて。頬に伸ばされた手にそっと、自分のものを重ねた。
一回りほど大きさの違う手に南沢は笑い出してしまいそうな、泣きだしてしまいそうな、妙な感覚に陥る。
この手を、迷いなく甘受出来れば、ただそれだけでよかったのに。
そんなことは決して許されないのだ。
「さあ、これからだろう?」
ただただ守られていることが出来ないのならば、それならば。
じっとしてなんていてやるもんか、と南沢が鮮やかに笑うのを、兵頭はそれでも泣きそうな表情で見つめていた。








来ぬ春を、




.......................




「恋をも知らぬ乙女なりせば」第一話。