「にしのそら」
そう、彼が自分の名を呼ぶ声が好きだ。
遠くまで遠くまで、どこまでだって届くような澄み切ったその声が自分の名を呼ぶのが一等好きだ。
特に一番好きなのはその発音。
「にしのそら」と誰よりも綺麗に発音してみせるその舌は、きっと特別製に違いなかった。

一度だけ、彼の口の中に手を突っ込んで、その舌を引っ張ってまじまじと観察したことがある。
他の人間の舌など見たことなんて全くないのだけれど、それはとても綺麗な形をしているように見えた。
このまま引っこ抜いて透明なビンに詰めてしまいたいなあ、とそう思った。
けれどもそうしてしまうと、その舌はうんともすんとも言わなくなってしまう訳で。
「にしのそら」と綺麗な発音で、二度とは自分を呼んではくれない訳で。
それは非常に困るのだ。

「…で、何でそれを俺に言うんだ?」
「だって星降だもん」
「訳わかんない」
「ねえねえ、星降はどうすればいいと思う?」
星降の膝に頭を預けて、まっすぐとこちらを見上げてくる西野空が小憎たらしい。
かけているサングラスを取り上げてやれば、星降のえっち!、だなんてきゃらきゃらと声を上げて彼は笑う。
――全く自由な奴だ
――こっちの気も知らないで
さらけ出された空色の双眸を、そっと手で覆った。
突然塞がれた視界に、どうしたの?と問う声。何でもない、と返す。
けれども妙なところで鋭い彼はこちらの顔色なんて分からないにも関わらず、ヤキモチ焼いちゃった?、だなんてけろりとそんな言葉を簡単に吐いてみせる。
本当に自由な奴である。
今更そんなこと気にしたってしょうがないだろう、だとか、俺だって喜多は好きだ、だとかそんな重みのない言葉がいくつもいくつも星降の喉にたまってゆく。
けれども、星降の口から飛び出したのは、それらよりもずっとずっと奥まったところにあった言葉。
どれよりも重く、重く、胸の内に沈んでいた言葉。

「俺のは」
「え?」
「俺のじゃ、駄目なの?」
ぽろり、と飛び出した言葉は二人の間に沈黙を作り出した。
先程までやかましく騒いでいた彼の口はぎゅう、とつむられている。
両目を覆われて、口を噤んでいる彼からは表情が全く読めない。
冗談だ、と星降は言おうとして、けれどもそれより先に彼の手が星降の手に触れたことにより遮られた。
彼の手は、自身の両目を覆っていた手にかけられ、それを強くもない力でゆるりと外してしまう。
空色の瞳が露わになる。
「やだよ」
本当に空を映しこんだような、吸いこまれそうな瞳が星降をじいっと睨みつけるように、こちらを見つめる。
唇はどこか不服そうに尖らせて。
「星降の舌がなくなったら、僕困る」
ずっとずっとずっと、困る。
何と比べて、だなんてそんなことは言わない。
けれども、一番困る、と彼は子供みたいに頬を膨らませて訴える。
「だって、ちゅーしてくんなきゃやだ。舐めてくんなきゃやだ。すきだって、言ってくんなきゃやだ」
あとね、と彼はぐい、と星降の腕を掴んで引き寄せる。
そっと、耳元に口を寄せて。
「よいちって、呼んでくんなきゃやだ」
そう囁いて、それから首に腕を回して。
ぎゅうと抱きついてきた彼に星降は幾度目か、思うのだ。
――全く自由な奴だ
――こっちの気も知らないで
そんなことを考えながら自分より小柄な体をぎゅう、と抱きしめた。















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まほうのじゅもん







星西cawaii