彼とは、出席番号が前後のクラスメイト。
ただそれだけ。それだけの筈だったのに。
そんな勇気があれば退部している、だなんてお笑い草だ。
本当は――そんな勇気があれば入部なんかしていなかった癖に。






Good bye,dear...









煩わしい。
ああ、煩わしい。
子供でもあるまいし、何を騒いでいるのか。少しは静かにできないのか。
幼稚園でもあるまいし、何を浮かれているのか。
苛立たしげに首元に手を当ててみるも、ヘッドフォンは鞄の中に置いてきてしまったのだ。
持ってきていたとしても、教師に怒られること覚悟で耳を塞ぐ覚悟が自分にあるでもなし。
息を、小さく吐いて俯いていた視線を少し上げる。
――特に煩わしいのは目の前の男子生徒だ
雑音ばかりのこの集団の中で、更に目を引く。
落ち着かなさ気に体を揺らすその仕草が特に煩わしかった。
否が応でも目に入ってくる彼は、ひっきりなしに体を揺らして。
苛々する。
校長だかなんだかの話は長いし、周りの生徒はうるさいし、目の前の彼は目に付くし。
もう一度、小さく息を吐いた時。
ぴたり、と揺れていた頭が止まった。
え、と虚を突かれたような心地になって視線をそこにとどめてしまう。
そうしている内に、くるり、とその頭が向きを変えた。
視線が交わる。
丸い、大きな瞳だ。
じいっとこちらを見つめる焦茶色のそれに、う、とたじろいでしまいそうになる。
何もしてないし、何も言ってないじゃないか――と心の内で弁解するも伝わる筈もなく、ただじいっとその双眸はこちらを見つめ続けている。
「なあ」
「………え」
今まで動かなかった彼の口が動いて、呆けたような間の抜けた声が出た。
「名前」
「え…え…?」
「名前、何?」
じいっと、真っ直ぐに見据えられて問われて、いつもなら『何で答えなきゃならないんですか』とかそういう反駁が出てくるものなのに、それすらも出来なくて。
「…はやみ。速水鶴正」
「俺、浜野海士!」
にかりと、一瞬のうちに破顔してみせたその顔に気を取られている内に手をぎゅうと握られる。
ああ、煩わしい。
ああ、苛々する。
ああ、――熱い。

握られた手も、見つめられた顔も、どこもかしこも熱くて堪らない。
それでも、手を振り払うことも、視線を逸らすこともできなくて。
これが――浜野海士との出会いだった。







運の悪いことに、というより予想できたことだった。
「速水ー!おはよー!」
「…おはようございます」
勢いよくぶんぶんと大きく手を振る彼に、小さく息を吐いて、速水は席に着く。
出席番号順に配置された席。前の席に座る彼。
毎朝手を振り速水の名を呼ぶ彼の姿のおかげで、未だ慣れない教室の中、自分の席を間違えることはなかったが、人の目が痛い。
「…いい加減やめてくださいよぉ…浜野君」
「浜野でいいって!水臭いぞ!」
水臭いも何も、先週会ったばかりではないか、と言う反論を口の中に押し込めて曖昧に笑って見せた。
平和に生きたいという速水の願いは虚しく、ここ入学してこちら、彼のペースに巻き込まれてばかりだ。
他に友達がいない訳でもないだろうに速水ばかりに話しかけてきて、何が楽しいのだろうか。
解らない。速水にはちっとも彼のことが解らなかった。
ヘッドフォンを耳に当てて突っ伏して寝てしまいたいという衝動に駆られるが、前の席に座る彼は完全にこちらを向いて座っていて、逃れられないのだ、と確信してしまう。
彼は速水の机に乗り出して、なあなあ!と話しかけてくる。
「速水!部活決めた?」
「部活、ですか…?」
正直、入る気はなかった。
入るとしても、文化系か。昔から走るのは得意だったけれど体育会系の部活に自分が付いて行けるとも思えなかった。軽音部なんていいかもしれない。と考えたところで、決まってないならさあ、と彼の言葉で思考は中断された。
「サッカー部!」
「え…?」
「サッカー部入ろうぜ!」
サッカー、と繰り返せば、そう!サッカー!と元気よく机を叩かれて、びくり、と肩が揺れた。
サッカー。そういえば雷門中はサッカーの名門だと聞いたことがある。サッカーなんて自分とは無関係だと考えてたいたから、全く詳しくはないのだけれど。
「で、でもサッカー……なんて、俺やったことありませんよ」
ルールも知りませんし、そう言って彼の真っ直ぐな目から逃げようとする。正直いい口実だ、と思った。これがもし例えば陸上部だとかだったら、速水は逃げることすらできなかっただろう。そういう人間だった。
「だーいじょぶだって!ちゅーか、中学から始める奴もいるんじゃね?」
速水が逸らした方向に、彼もひょい、と首を伸ばして視線を合わせようとするので思わずひっ、と声を上げて別の方向へ。
それを何度か繰り返して暫く。馬鹿みたいだ、と気付いて恨めしげにじとりと睨めば彼は満足げに笑っていた。
「い、いや……です」
「何でー」
小さくもらせば、彼はすかさず不満げに声をあげる。唇を尖らせて、抗議の意を伝えているつもりらしいが、抗議したいのはこちらの方だ。そう、言ってやろうと思った矢先。
彼は速水の、顔の前でふらつかせていた急に手を引っ掴んで、振り払う間もなくぎゅう、と握りこんだ。
入学式の時と、一緒だった。
振り払えない。
熱い、煩わしい。
けれども、振り払えない。
にかり、と彼は歯を見せて笑う。
「絶対楽しいって!」
ぶんぶんと、握った手を上下に振られて、誰が、と速水は小さくもらした。
聞こえなかったのでは、と思ったけれどそれはしっかり浜野の耳に届いていたようで、どうしたん?と首を傾げられる。
「誰が、楽しいんですか」
そんな、押しつけがましいものでもし自分も楽しめるのだと、もはや彼は思っていまいか。
いつだって(いや、一週間そこらしか彼と一緒にまだ過ごしてはいないのだが)、彼は速水に何もかも押し付けてばかりだ。
誰が彼と友達になりたいと言ったのだろうか、誰が話しかけてくれと言ったのだろうか。
よかれと思って、とでも言うつもりなのだろうか。
『絶対に楽しい』などと。『絶対に』?そんな保証がどこにあると言うのだ。言ってやった、と思った。
うんざりだったのだ。平穏な生活が欲しかった。彼の傍での日常はあまりにも騒がしすぎた。早くヘッドフォンの中の世界に飛び込んで、そのまま閉じこもりたい。
けれど、不思議そうな顔をしていた彼はにかりと、また笑ってみせる。
そんなの、決まってんじゃん。
自身ありげに、胸を張って。
「俺が!俺が絶対に楽しい!」
速水と一緒なら、絶対に。
そう言って、握りこまれた手を離す勇気なんて、速水にはなかった。
それを振り払うだけのものが、速水には何一つなかったのだ。
じっとこちらを見据える双眸から逃れる術も、何も。






結局あの日、出席番号が前後なだけのクラスメイトからチームメイトになって。
どんどんと、『それだけ』とは言い難い関係になっていって。
勇気だなんて。そんなものがあったって、結局は退部出来ないでいるのだろう。
自分が楽しいのだ、とのたまった彼の笑顔を否定出来ない自分には。
一人きりの帰り道は少しだけ寂しくて、寂しいと感じる様になってしまって。速水はそっと、ヘッドフォンに手をかけた。










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さらば、愛しき静寂







はまはや公式こわい