南沢さん、と自分を呼ぶ声がして南沢は顔を上げた。

 机の前には、2年生でありながらもキャプテンを務めている後輩。道理で、クラスの女子が妙に騒がしくなった訳だと少し納得。
女子たちの噂の的である小奇麗な顔立ち。そのまんまるとした大きな目と視線が合った瞬間に、は、と彼は何故か小さく息を詰めた。首を傾げる南沢に彼は少しだけ、こちらから目を背けながら小さくぼそぼそと呟く。

「眼鏡、が」
「・・・ん?ああ・・・」

 最近視力が少しずつ悪くなっているのだ。黒板の字も見えなくなってきていて、授業中は眼鏡を掛けるようになった。
少し前からのことだが、サッカーをする分には支障はないので部活の時には掛けていない。だから、彼が知らないのは当然だろう。

「に、似合いますね」
「そうか?」

 鏡を見ても違和感ばかりで、自分ではよくわからない。
初めて眼鏡を掛けてきた日、車田が見るなり何故か大爆笑したので、脛を思いっきり蹴ってやったことを思い出す。
三国は、頭が良さそうに見えるな、と月並の台詞を言って笑っていた。

 だから、そんなに似合っていないのだろうかと思っていたのだ。
読んでいた本に栞を挟んで、それから眼鏡を外す。まだあまり慣れていない。
あ、と小さく声がして、彼を見上げれば妙に残念そうに眉を下げていたから、そんなに似合ってたか?と笑えば、何かを言おうと幾度か口を開いては閉じ、開いては閉じ――結局閉じたまま何も言うことはなかった。
3年生の自分に萎縮しているのか、彼は時たまこういう仕草を見せることがある。
「…んで、教室まで来て何か用か?」

 三国なら次の授業の準備でいないぞ、と南沢が言うと彼は違います、と首を振る。

「南沢さん、保健委員でしょう?保健の先生が、南沢さんのクラスだけこの前の健康調査のプリントが提出されていないからって」
「ああ…そっか、しまった」

 一人だけ提出が遅れて、それを待っているうちに出しそびれていたのだ。
机の引き出しから、クラス全員分のプリントを出して、もう一度軽く確認する。

「南沢さんって」
「ん?」
「几帳面、ですよね」

 手を止めて、は?と視線をプリントから彼に移す。また目が合って、今度は勢いよく逸らされた。
彼の奇行とも言える行動に、一体何なんだ、と思わないことはないのだけれど。
突っ込んで聞いて、何か面倒なことになるのも嫌だな、と毎度放置して今に至っている。万が一にでも泣かれたりしたら嫌だ。
視線を手元に戻して確認を一通り終え、とんとんと、端を揃える。

「普通だと思うけど」
「いえ、保健の先生も褒められてました。南沢さんのクラスの提出物、いっつも番号順に綺麗に並べられてるんだ、って」

 俺も、そこまではしませんよ。と彼が言うから、その言葉に込められた純粋さに何だかむず痒くなって、そう、とだけいつもより乱暴に返した。
我ながらうまくない返し方だったと、言ってしまってから思った。
普通だろう、と思っていることを褒められるのは妙に気恥ずかしい。
恥ずかしさの中で、内申が良くなるから、とか適当に答えておけばよかったのだと思い当たるも、もう既に遅いのだ。
しかし、これが例えば同級生の車田や天城とか、年下であっても倉間だったりとかであればすぐさま一言二言飛んできたであろう。
けれども目の前にいるのは真面目な我らがキャプテンだった。
ちらりと、窺うように、そっと視線を上げると三度目。ぱちりと、目が合った。
しかし、今度は逸らされることはない。それどころか、じいっと、こちらを見据えていた。
その真っ直ぐさに、逆にこちらがたじろいでしまいそうで、けれども逸らすのは癪で、南沢はその瞳を見つめる。
俺、と彼が口を開いた。

「俺、南沢さんのそういうところ、尊敬してます」

 身動きが、取れなかった。
視線を外そうとも、何故だか彼の視線に縫いとめられたように動けずにいた。
顔が妙に熱いのは、自分の気のせいではないだろう。きっと酷い顔をしているに違いない。
卑怯だ、と思う。
どうやったら、こんなに真っ向から不意打ちが出来るのか。
卑怯だ、本当に。

 じいっと、それからしばらくの間お互いに視線を交わしたままの状態が続いた。
頭の中でぐるぐると彼への悪態が巡るけれども、飛び出しては来ない。
妙な空気だ、と思うのだが彼はどう思っているのやら。

 と、その時、教室の中の騒がしさが少し増したかと思うと、鐘が鳴り響いた。
あ、と小さく彼がもらす。
じゃあ、これ出しときますね!、と彼は南沢の手にあったプリントの束を取り上げる。
力の入っていない手からは、それはいとも簡単にすり抜けた。

「じゃあ、お疲れ様です」

 また部活で、と小さく頭を下げて教室を出て行く彼の背中を見ながら、南沢は小さく呟いた。

「俺も、お前のそういうところ、尊敬してるわ」

 普段、あれだけうろたえる様な態度を見せながら、妙なところで大胆なことをさらりとしてのける。それは、ある意味才能だろうと。
南沢は、ぐたりと、椅子の背もたれに体をだらりと預けながらそう思った。
顔はまだ熱かった。.......................





不意打ち







GOでは南沢さん推しですカワイイ