女体化鬼道さん=有奈、不動=明菜、デモーニオ=デモーニャ








それは有奈と明菜が九歳、デモーニャが八歳のことであった。
子守の女から突然もたらされた訃報に、有奈は一瞬悪い夢でも見ているのだと思った。
けれども女の震える声に、悪い夢でも冗談でもないことを有奈は悟る。

年の割には聡い子供だったと自負していた。
双子の明菜はやはり信じられないというように呆然とした後子守の女に食ってかかかり、有奈とは反対に少し実年齢よりも幼い所のあるデモーニャは何一つ分かってはいないようだったが、有奈だけはいち早く事態を飲み込んだ。飲み込まざるを得なかった。
――これから一体どうなるのだろう
父が死んだ。母が死んだ。
その悲しみが脳に届く前に自分達の行く末を案じた有奈は、不信心だ親不孝だと罵られても例えどのようないばらの道であろうとも、妹たちを守ることをこの時決めたのだ。
それは、十歳の冬のことだった。









これが夢ならば――と明菜はこれまで幾度となく浮かんだ考えを振り払う。
夢でないことはもう十分分かっている筈だのに。
けれども、両親の死に顔も見れないのでは十の子供に実感が沸こう筈もないのは確かだった。
――飛行機事故だった。
父親の仕事とちょっとした休暇を兼ねて、三人を子守りに預け揃って飛行機に乗り込んだ両親はそのまま目的へ着くことはなく、文字通り海の藻屑と化した。
実感の無いまま、遺体の無い葬儀は執り行われた。
生まれて初めてのその儀式は、もう両親は帰ってこないのだ、という実感を明菜に押し付けた。
デモーニャはマンマは?マンマは?と相変わらず誰彼に聞いている。
自分も妹のように何も解らずにいれたらと、けれどももう明菜は理解してしまったのだ。どうしようもなくて、涙をぽろぽろと流す明菜に周りの大人は憐憫の眼差しと言葉を差し出す。それが逆に腹ただしかった。そんなものなどいらなかった。父と母を返してくれ、と叫び出したかった。
相変わらず妹はマンママンマと煩い。

周りの大人が憎かった。
無知な妹が憎かった。
溢れ出す涙が憎かった。
泣くことしか出来ぬ自分が憎かった。
――そして、泣きもせぬ半身が憎かった。

彼女は、子守りの女から訃報を聞いてからこちら一度もその瞳から涙を流してはいない。
デモーニャのように理解していない訳ではない。彼女の聡明さは一番明菜が知っている。何と言っても、生まれてから一番共にいた存在なのだ。
今だって、彼女は泣きもせずに父方の祖母と何やら会話をしている。(恐らく自分たちの行く末のことなのだろうと察した)
そのことが酷く――明菜を腹立たしい気分にさせた。

全てを――半身を憎んで、憎むこと。
それが明菜の震える両足をかろうじて、支えているものだった。









両親の残した財産と、保険金と、見舞金。
それは三姉妹が慎ましやかに、学生生活を送るには事足りるようだった。
しかし九つの姉二人と八つのデモーニャ。
まだ幼い子供三人だけで暮らせる筈もなく、父方の祖母が三姉妹の暮らす家に越してくることになった。
夫を早くに亡くし一人きりで暮らしていた祖母は、大層優しかった。
八つの時のデモーニャはまだ両親の死を理解できなかったが、一年も経てば理解しようと言うものだった。
優しい母も父も、もうデモーニャのことを抱き締めてはくれないのだ。
悲しくて、悲しくて。
けれども――
姉二人は、両親が死んでしまってから変わってしまった。
上の姉はいつもむっつりと表情を崩さず何を考えているのかよく分からないし、下の姉はデモーニャが泣く度に無言の苛立ちを向ける。
優しい姉たちだった、自慢の姉たちだった。
けれどももはや両親も、姉たちすらもデモーニャの手を引いてはくれないのだ。

――そんな時に慰めてくれたのが祖母。
両親が恋しくて泣いた時も、上の姉二人のように何もかもが上手くできないと嘆いた時も、学校でいじわるな男の子に苛められた時も、姉たちのように美人ではないと笑われた時も、慰めてくれたのは祖母だった。

そんな祖母も、持病の悪化で死んだ。
デモーニャが十二の時だった。
八つの時分には何一つ分からなかったが、どうやら自分たち姉妹は親戚の間でも随分持て余されているようだった。
――どこが引き取るの
――うちは無理よ
――母方はどうなの
――向こうは縁が切れてるんじゃなかったかい
――あんな女と結婚するから
――いっそ施設に
こそこそと、喋っているつもりなのだろうが嫌が応にもそれは耳に飛び込んでくる。
じわり、と涙が滲んだ。
しかし聞こえているだろうに上の姉は相変わらず無表情を貫き、下の姉はどこか刺のある視線を周囲に送っている。
それが一層デモーニャに涙を流させた。
こんな時でさえ、二人はデモーニャと共にあってはくれないのだ。

結局、最終的に姉妹の後見となったのは叔母――父親の姉であった。
この叔母というのがデモーニャはあまり好きではなかった。否、叔母がデモーニャのことを好きではないようだった。
自分への負の感情にはデモーニャは敏感で。小さい頃から彼女がデモーニャを見下ろす視線に、何か混じっていることには気付いていた。
最近知ったことだがどうやら叔母は姉妹の母のことを酷く嫌っているらしかった。
だから、イタリア人である母の血を最も色濃く受け継ぐデモーニャのことを疎んじているのだ。
――そんな叔母の冷たい視線を受けて、生活しなければならないのか
そう思うと、ぞっとした。
けれども、叔母が姉妹の家に越してくることはなかった。
デモーニャだってもう中学生になるのだからと姉妹だけで暮らせると主張した有奈と、建前はともかく内心は姉妹と暮らすのはごめん被りたいという叔母の意見が一致したのだ。
正直、ほっと安心した。
子供だけで暮らすのは少しだけ不安だけれども恐ろしい叔母と暮らすよりは良い。
その時は、そう思っていたのだ。






「一々うっせえな!干渉してくんじゃねえよ!」
「明菜!」
ああ、今日も姉たちの喧嘩する声が聞こえる。
ぎゅう、とデモーニャは頭から被った毛布の端を握り込める
「私は…あなたを心配して…」
「はぁ?有奈ちゃんは不良の妹が恥ずかしいだけだろ?完璧なユートーセーに傷がつくもんなあ」
「!」
姉たちは、目に見えて険悪になった。
些細な言い争いは昔からしていた。けれども両親が死んでから、祖母が死んでから、彼女たちの間にはどんどんと大きな溝が広がっていくようだった。
特に祖母が死んでからは明菜の素行が悪くなり、それを有奈が咎めて、今日のように言い争う。それが日常になっていた。
ガチャン!!と何かが割れる音が階下からして、デモーニャは大きく体を震わせる。上の姉の悲鳴も聞こえて、デモーニャは毛布から、自分の部屋からそっと出て階段を下りた。
「明菜…あなたなんてこと…!」
「…うるせえ!」
様子を見ようと、声のする居間へそうっと顔を出すと明菜の罵声。思わず、身を隠す。
「有奈ちゃんは…いつもそうだ!いつも自分が正しいと思ってる!何でもかんでも押し付けて!」
「……!」
「ニアは、誰かがいつか助けてくれると思ってる!ぴーぴー泣いて!誰かが何とかしてくれると思ってるんだ!」
姉の口から出た自分の名に、また体を震わせる。
そうしている内に姉の足音。扉の影に隠れていたデモーニャの横を通り過ぎる。
冷たい、視線。
叔母より濃い、憎しみのこもった瞳。
それにすくんだデモーニャに、明菜は興味はないというように視線をそらす。
「こんな姉も、妹も…もううんざりなんだよ!!」
そう、有奈を振り返って彼女は言い捨ててそのまま荒々しく玄関から飛び出していった。
がくり、とデモーニャの膝が落ちる。その場で崩れ落ちたデモーニャの頭の中で、明菜の言葉が響く。それでもぽたり、と涙が膝に落ちた。
カチャ、と小さな物音。
ゆっくりと、視線をそちらに向ければ有奈が足元に散らばるガラスの破片を拾っていた。
「お姉ちゃん…」
手伝わねば、と破片を踏まないように近付いた時、デモーニャはあることに気付いた。
その柄、その色。
「これ…お母さんがくれた…」
「ニア、早く寝なさい」
「でも、お姉ちゃん…」
「早く寝なさい!」

もはや叫び声に近いその声。
デモーニャの体が強ばる。
有奈は、妹のことを振り返りもしない。
また、ぽたりとデモーニャの頬に涙が流れた。
グラスだけではなく、壊れてしまったのはきっと―――
デモーニャは逃げるように、自室に戻ってまた毛布を被った。
――壊れてしまったのは、姉妹の仲だ。
わんわんと、デモーニャは泣いた。
両親も、抱き締めてはくれない。
祖母も、頭を撫でてはくれない。

――姉たちも、手を引いてはくれない。


有奈と明菜が十五、デモーニャが十四の春のことだった。




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