慣れないことをするものじゃない、と染岡竜子は千切れた鼻緒を見つめながら思った。
母親に、あんたも女の子なのだから、と無理矢理引っ張って行かれた先で買った浴衣。
そしてそんなことは知らない筈の吹雪から誘われた夏祭り。
あまりのタイミングの良さに自分よりも母親が盛り上がってしまって、染岡はあれよあれよという間に着飾られてしまった。
似合うわよ、なんて母親に言われたところで安心できる筈もない。こんなもの、似合ってないのは自分が一番分かっていた。
ガサツで、男勝りで、身長も高いし、短気だし…そこまで考えたところで自分で悲しくなってやめた。

(やっぱり帰ろう…)

きっと、これは神様からの戒めなのだ。
こんな姿で行ったところでいい笑い物。
このまま帰って夕飯を食べてテレビを見て風呂に入って、そして明日サッカーをする。何事もなかったように。それが一番。
吹雪は…体調が悪くて行けないと謝れば分かってくれるだろう。
巾着に入れた携帯をそっと取り出して、ぽちぽちと謝罪の文章をうつ。

…本当は嬉しくない訳が、なかった。
自分だって、女で。
しかも、他でもない吹雪からの誘いに舞い上がってしまったのは母親だけではなく自分も同じだった。
似合わないと思いつつもここまで来たのは、本当は楽しみにしていたからで。
それでも、もう無理だった。
一度考え始めると止めどなく嫌な思考が溢れ出してきて。
吹雪だってこんな男女と一緒に歩くのは本当は嫌な筈だ、とか。
調子に乗ってこんな格好をして吹雪にどう思われるのだろう、とか。
誰かに見られたらどうしよう、とか。

鼻の奥が、何だかつんとした。
出来上がった、絵文字も使われていない女子中学生らしからぬ文面をもう一度見返して、送信ボタンを押す。
送信しました、という画面が出ても尚、俯いた顔を上げることが出来ずに住宅街の道端で立ち尽くしていると、今の染岡の気分には全く合わない軽やかなメロディが流れた。
聞き覚えのある、それ。
君専用なんだよ、と何故か得意気に笑った顔が脳裏に浮かぶ。
まさか、と顔を上げる。

「やっと見つけた…!」

息を切らした、その手には音の発信源である携帯。
信じられないものを見るような目で、思わず後ずさる染岡の腕を彼は持ち合わせた素早さでもって容易く捕らえてしまった。
「ど、どうして…」
「…びっくりさせようと思って迎えに行ったら、もう出たって言われて」
探し回っちゃった。
そうやってへにゃりと笑う彼に、馬鹿じゃねぇのと返せば、馬鹿でいいよ、と返されて何も言えなくなる。
「だって、馬鹿じゃなかったら…君、このまま帰っちゃうつもりだったんでしょう?」
メール見なくったって分かるよ。
見透かすように言われて、捕まれた腕をぎゅっと握られて。
僕と行くの、嫌かな?だなんて。
卑怯だ。
いつもへらへらと笑っているくせにこんな時ばかり真剣に見上げるその表情も、声も、込められた力も、その伝わる体温も。
本当に、卑怯だ。
顔が、熱い。
そらしたいのに、じいっと見つめてくるその瞳の力強さからは逃げられず。
逃げたい、熱い。
それなのに染岡を掴むその手は決して緩まない。
いつだって、吹雪は染岡が逃げることを許しはしないのだ。
いやじゃない。
しばらくの無言の抵抗の後、そう小さく呟いた声。
聞き逃しはせず、よかったあ、と気の抜けた笑う彼に、強ばっていた染岡の体からも力もゆるゆると抜けた。

「一回お家に戻る?」
「…代わりの下駄、確かあった筈だ」
「でも、お家に行くにしても歩きにくいよね…」

ううんとちょっと悩むように首を傾げていたに彼は、そうか、と突然染岡の目の前に背を向けてしゃがみこむ。
何してるんだ、と問う前に、ほら、と促すように声を掛けられた。
「ほら、乗って」
「ほら…って」
「だって…歩きにくいでしょう?」
「ばっ…!」
「だから、馬鹿でもいいんだって」
「無理だろ」
「無理じゃないよ」
言い合う内に焦れた吹雪が、じゃあお姫様抱っこでもいいんだよそっちの方が着崩れないだろうし、と膨れたので染岡は慌ててその背にのった。
染岡よりも小さな体は、それでも揺らぐことなく染岡を背にのせて軽々と立ち上がる。不安に一瞬声を上げてしまった染岡に、吹雪はおかしそうに笑った。
「僕、力には自信あるんだよ」
「そう、だったな…」
恥ずかしくて、恥ずかしくて。
けれども、嬉しくて。
染岡はそっと、顔を伏せた。

結局、家に辿り着いた所で丁度花火が始まってしまったのだけれども、今までどんな場所で見たそれよりもずっとずっと綺麗に見えた花火を、染岡は忘れはしないだろう。そう、思った。
似合わない浴衣も、千切れた鼻緒も、見えにくいはずの花火も――全てを素晴らしい物に変えてしまった吹雪の横顔も。
きっと、きっと忘れることはないのだろう。

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王子というより魔法使い