※エドガーもフィリップもサッカーやってない。





すらりと高い身長に、長くストレートなブルーの髪。
ぴんと一本芯の通ったような綺麗な姿勢に、指先にまで神経の行き通った上品な所作。
整った顔立ちは凛とした美しさを湛えていて。

そんな彼女――エドガー・バルチナスが入学生、否その場にいた者の視線を一様にしてさらってしまったのは無理からぬことであった。
しかし彼女がそれを喜ばしいことと思っているかというとそうではなく。

(まるで見世物のようだ)

肌に突き刺さる視線に、酷く居心地の悪いものを感じていた。

「エドガー、大丈夫ですか?」

僅かに眉をしかめたのを(不機嫌な顔をこの様な場で晒すのはレディとしてはしたないと、ほんの僅かに)、心配そうに問いかけたのは幼馴染みであるフィリップであった。

「…ああ」
「そうは見えませんけど」
「…ふん、皆ひょろひょろと高いばかりの女をはしたないとせせら笑っているのだろうな」
「エドガー、そんなことは…」

溜め息と共に吐き出された言葉にフィリップが否定するも、彼女にはただの慰めにしか聞こえないのだろう。
憧憬の眼差しを嘲りととらえた彼女は憂鬱そうに視線を伏せて、すまない苛立っているんだ、と幼馴染みだけに聞こえるように小さく呟いた。
こんなにも、彼女がナイーブになってしまう理由をフィリップは知っていた。
原因の一端は幼少の頃より習っているバレエのことである。
この年の少女であれば男女二人で舞うパ・ド・ドゥに憧れるのは必然であるし、実際に練習に取りかかることにもなるのだけれど、すくすくと平均身長よりもゆうに伸びた(彼女に言わせれば伸び過ぎた)彼女には中々パートナーが見つからないのだ。男の成長期は女よりも遅れて訪れるのだからもう何年かすれば簡単に見つかるのだろうが、今の段階では同年代で彼女よりも背の高いバレエダンサーが彼女の周囲にはいなかったのだった。

「…さあエドガー、今日は晴れの日なのだから明るい顔をしよう」
「お前が…そうだ、お前も悪いんだフィリップ!」

ほらAクラスは二階みたいですよ、と割り当てられたクラスへと階段を上りながら宥めるフィリップに、しおらしくしょげていたエドガーは思い立ったようにキッとフィリップを睨み付けた。フィリップより下段に立つ彼女に滅多にない上目遣いで見つめられて、睨まれているというのにフィリップの胸は跳ねた。エドガーは自分の魅力に対してとんと見当違いな考えを持っているのが性質が悪いよなあ、と思いながら、そしてまたかと身を竦めた。

「恥ずかしかったんだからな!あれでは私がお、重いみたいではないか!」

衆目もあって控えているつもりらしいが、きゃんきゃんと、吠えたてられる。
それは数日前のことだった。
余りにもエドガーがしょげるから、同じくエドガーと共に幼少期からバレエを習ってきたフィリップが励まそうとリフトに挑戦したのだ。
フィリップの方が身長は少し低いがいけるだろうと、彼自身は思ったのだが結果は惨敗。
彼に言わせれば、あれはやたらと不安がっていたエドガーが体勢を崩したのも原因だと思っているのだがそんなことを言える筈もなく。
彼女はそれはもう酷く傷つき、そして烈火の如く怒った。
しばらくは口もきかなかったぐらいで、ようやく和解した今も何かにつけて蒸し返すのだった。
最初はひたすら謝るしかなかったフィリップであったが、もうここの所は面倒くさくなって適当にあしらっていた。

「あー…エドガーは重くありませんでしたよ。あれは俺の腕力不足です」
「そうに決まってる!今更のことを言うな!」

ぷんすかと怒るエドガーに、謝りながらも先へと進むフィリップ。
普段ならば、長年バレエをしてきた彼女のこと。怪我の恐ろしさというものは十分知っており自慢の足や腕に支障がないようにと日常生活に最大限の注意を払う彼女であったが、その時の彼女は平静ではなかった。
同じくフィリップも幼馴染の言動に飽き飽きしきっていた。いつもならば彼女のことを十分気遣っていたというのに。
その不調和が、齎したことだった。

「大体お前が…ッッ?!」

怒りに任せて、思い切り階段を踏みしめようとした彼女。
踏み外した足に、ぐらりと、体勢が崩れたところに運悪く通りかかった生徒にぶつかり。
投げ出される体。
ひきつったような悲鳴に、フィリップが後ろを振り返った時にはもう間に合わず。
幼馴染へ手を伸ばす彼女は虚しく階下へと。
ぎゅうと、エドガーは目をつぶることしか出来なかった。
最悪の光景がフィリップの頭をよぎった、その時。


「あっっっぶねえな!」

予想していた衝撃が、エドガーの身に降り注ぐことはなかった。
代わりに、何やら暖かいもの。
固いような、柔らかいような。
は、と詰めていた息を吐き恐る恐る目を開く。
階段の上で驚きで呆けているフィリップが見えた。

(私は、今、階段から落ち、て)

ばくばくと、心臓が暴れる。
死んでしまうのだと、一瞬本気で思った。

(でも、死んでない)

ぎゅうと、強張っていた体が弛緩するにしたがって思考がゆっくりと動き出す。
どうして、どうして、と混乱する頭。

「おい、気をつけろよ!入学早々怪我なんて笑えねえぞ!」

――と、耳元で聞こえる声にびくりと体を震わせて、そこでようやく自分が何者かの腕の中にいること、暖かさの正体に気付く。
自分のものとは違う、浅黒く太い筋肉質な腕。
それはしっかりと、エドガーの体を受け止めている。
そして背にあたる胸板の暖かさ。
今まで体を預けていたものの正体に、エドガーは更に訳が分からなくなった。
落下の恐怖。そして、生まれてこの方レッスン以外でこんなにも異性に接触したことのない、ということからの羞恥。
全てが混ぜ合わさって、本当に訳が分からない。

「え、え、」

そういえば、足が地についていないことに気付く。
どうやら完全に抱えられているようで、更に頭は混乱するばかりだ。
思わずじたばたと、もがいてしまい、エドガーを抱きとめている男子生徒はうわ、と声をもらす。

「ちょ、ちょっと…」
「ほら、下ろすから暴れんなよ」

すとん、と地に下ろされて。そこで背を振り返って初めて、エドガーはその浅黒い腕の持ち主を目にした。
ふわふわとした黒い髪に、浅黒い肌、臙脂の瞳、全体的に濃い顔立ち、がっしりとした明らかに筋肉質な体つき。
それらの全ての特徴がエドガーの周りにはないものだった。

「大丈夫か、どっか痛くねえか?」

心配そうに眉を顰めて、問う彼。

「あ、ああ…」
「気を付けろよマジで。こんなひょろっこい体して、すぐ折れちまうぞ」

エドガーよりも、少し低い身長ながらもその大きな手で彼女の髪をぐしゃりと撫でるものだから、ごちゃごちゃと思考回路まで全てが掻き混ぜられたような心地になって。
その臙脂を見つめながら茫然と、エドガーは思わずこう返してしまったのだった。

「動け、ないから…保健室まで抱えてくれ」



この日、噂の美少女エドガー・バルチナスが横抱き――所謂俗に言うお姫様抱っこというもので保健室まで抱えられていったというのは瞬時にい校内中の話題となり、エドガーもそして彼女を助け、何故か訳も分からず彼女を保健室まで抱えて行く羽目になったテレス・トルーエもしばらく好奇の視線に煩わされることになるのだが、それはまた別のお話である。




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Lift!