よくある物語。 その中で登場する姉妹というものは、大抵姉が「あなたが年上なのだから」と周囲から言われて妹に色々と譲ってやる。そして姉はそのことについて人知れず鬱屈した思いを溜めていく・・・という展開が多いようだが俺の所は全く逆だった。 姉は、かわいい。 それはもう、かわいい。 同じ顔をしている俺が言うのも妙なことだが、とにかくかわいい。 それは顔かたちだけの問題ではなく性質の話。 双子なのだから瓜二つと言ってもいい、同じ顔をしているはずなのだが周囲が俺たち二人から受ける印象は全く違うものだった。 気の弱いおっとりとした女らしい姉と、がさつで気の強い男勝りな妹。 いつだってちやほやとかわいがられるのは姉ばかりで、「アツヤちゃんはこういうもの好きじゃないわよね」「アツヤちゃんは我慢できるわよね」だなんて、姉に与えられるものたちを、俺はずっとただ意地を張って諦めてきた。 かわいらしい洋服だったり(いつだって、好きな色は先に姉にとられてしまう)、ごっこ遊びの役だったり(お母さんやお姉さんの役はいつだって姉で、俺は子供や弟の役なのだ)。 いつだって、いつだって。 さて、俺も姉も中学生になったわけだが、この頃の俺はもうすっかり諦めきっていた。 姉は庇護欲をかきたてられるその性格に磨きがかかってますますちやほやされていたし、俺はというと男勝りな性格が更に強くなり女子には遠巻きに、男子には生意気だと嫌われていた。もはや手に入らないものを羨んでもしょうがないと、分別のつく年頃になってきた。 それでも姉を嫌うことはできなかった。 姉はいつでも俺に対して優しく、嫌うことなどできなかった。 そんな姉が俺は大好きだった。 だが。 だが、これだけは姉には譲れない。 そんなものが俺にも一つだけあった。 「染岡!」 俺がそう声を上げると、そいつはゆっくり俺の方を振り返った。 気の弱い奴なら泣いてしまうような強面は、むっつりと表情を変えずに、おう、とだけ返した。 「オラ!ちんたらしてねえでさっさと部活行くぞ!」 「・・・お前何か今日やる気だな」 「あったりまえだろ!!今日こそ俺たちの必殺技完成させんだからな!」 「いってぇ!アツヤてめえ!」 バシン、と景気付けに俺より何周りも広くがっしりとした背中を思いっきり叩くと、力を入れすぎたらしく文句が上がった。 にやり、とその様子を笑ってやる。するといきなり高い位置から降ってきた大きな手に頭を鷲掴みにされて。仕返しとばかりにぐしゃぐしゃと髪の毛をかきまぜられる。 なにすんだよ!そう声を上げて見上げれば得意げに笑う顔。 どきり、と胸が跳ねた。 そう、姉には決して譲れないもの。 それが、こいつ染岡竜吾だった。 染岡は俺のクラスメイト。そしてサッカー部で俺と同じFWをやっている男だ。 強面で、男臭くて、不器用で。女には決してモテないようなタイプ。 俺と初めて会ったときだって「女のFWなんて認めねえ」とか食ってかかりやがって。 それでも、そんな所ばかりではないことも俺は知っている。 何だかんだ言って面倒見のいい奴だし、結局は絆されて俺の力を認めてからは俺がシュートを決めれば自分のことのように喜んでくれて。クラスでも、別のクラスの姉が用事があり、昼飯の食う相手がいないことを察して俺を誘ってくれた。二人組を作るときだって俺を誘ってくれた。 そうして過ごすうちに――気がつけば俺は、どうしようもなくこいつのことが好きになっていた。 「アツヤ!・・・と染岡くん」 そんなこんなで、ぎゃあぎゃあと喧嘩とも言えないくだらない言い合いをしながら二人で部室へと向かう途中。 聞き覚えのある声が俺と染岡を呼び止める。 振り返れば俺とまるで同じ背格好。瓜二つの顔。 そこにいたのは吹雪士郎――俺の姉だった。 ちょこちょこと近づいてきた姉は染岡を横目でチラリと見て、すぐに俺に視線を戻す。 そしてそわそわと何だか落ち着かない様子で口を開いた。 「い、今から部室いくんだよね」 「ああ。姉ちゃんは?」 「僕、今日日直なんだあ・・・だからね、キャプテンに遅れますって言っといてよ」 「あ〜分かった、早く来いよ!」 「うん、じゃああとでねアツヤ・・・と、そ、染岡くん・・・!」 姉は最後にまた、ちらりと染岡の方を見上げてバッと直ぐに顔をそむける。そして言い逃げるようにタッタッと廊下を駆けていった。 姉は―――どうも染岡のことが苦手らしかった。 染岡にできるだけ話しかけないようにしているようだったし、視線を合わせることもない。目が合えば酷く狼狽えるし、顔なんて強ばってしまって。 俺は不謹慎ながらーーそのことに安堵していた。 だって、今まで全部姉に奪われてきた、と言っては少し言葉が悪いが欲しいものは全て姉に譲ってきたのだ。 俺だって可愛らしい洋服が欲しかった。お母さんや姉の役がしたかった。 それでも全て姉に譲ってきたのだ。 だから、姉が染岡のことを苦手ならば――俺は、もう姉に譲らなくていいのだ。 そのことが酷く俺を安心させた。 譲りたくない。 染岡だけは。 絶対に、姉と言えどもこれだけは譲れない。 その日、俺と染岡は抜群のコンビネーションで必殺シュートを完成させ、遅れてやってきた姉もかろうじてその瞬間に立ち会った。姉はすごいすごいと俺以上におおはしゃぎで、キャプテンの円堂をはじめチームの皆も誉めてくれて、今日の練習は絶好調。染岡も勿論嬉しそうで、そのことで一層俺の喜びも増す。最強コンビだな!と笑いあってハイタッチしたその手はやっぱり俺より大きくてあたたかくて、どきりと胸が跳ねた。 ああ、俺はやっぱりこいつが好きなんだ。改めてそう、思った。 「あ、アツヤ!僕日直の仕事でやり残したことあったんだ!先に帰っといて!」 「あぁ?そんくらい待っとくけど?」 「え?いや、ちょっと時間かかりそうだから・・・さ」 ふにゃり、と眉毛を下げて申し訳なさそうに笑う姉。しょうがないなあ、と小突いて気を付けて帰るように言うと、アツヤこそ気を付けて、と返される。 せわしなく女子更衣室から出ていく姉を見送って、さてと、と俺は部室へと足を進める。そろそろ男子の着替えも終わった頃だろう。染岡でも誘おうかな、なんて考えて足取りも軽く部室の扉を開けば案の定着替えは終わり、雷々軒に行こうかなどと帰りの算段をしているところだった。 「・・・あれ、染岡は?」 わいわいと楽しげな輪の中に、あの桃色の坊主頭――目当ての奴が見あたらないのに気づく。 いつもならあの中でわいわいと一年たちに絡んでいてもおかしくないのに。 首を傾げて近くにいた風丸に尋ねれば、ああ染岡なら、と答えた。 「何か、用事があるとかで・・・さっさと着替えて出てったぞ」 「へぇ・・・」 「アツヤー!お前も雷々軒行くだろー?」 「いや、今日は・・・いいや」 「なんだよー!染岡も誘ったのにつれないしさあ」 ワイバーンブリザード記念に折角奢ってやろうと思ったのに、とぷくりと頬を膨らませる円堂に、お前が奢るんじゃなくて俺たちだろう、お前は買い食いのしすぎで小遣いを減らされてるんだから、と鬼道・豪炎寺の両名からの指摘が飛んだ。それにへへへ、と恥ずかしそうに笑う円堂にどっと笑う他のチームメイトたち。 俺も思わずふきだしてしまえば、円堂はじゃあしょうがないからまた今度な!と屈託のない笑みをこちらに向けた。 染岡とお前が揃わないと祝いにならないしな、と鬼道も頷き、じゃあ今日は駄菓子屋に寄ろう!と息巻いた円堂の頭をすかさず風丸がはたき、その様子にまたどっと笑いが起こった。 さて、染岡もいないことだし――と俺は通学用のバッグを持ち直す。 さっさと帰ろうか、そう思った俺だったが外を見て思い直す。 思ったよりチームメイトと話し込んでしまっていたらしく、日も沈み辺りは暗くなり始めていた。 逢う魔が時とはよくいったもので、何だか幽霊でも出そうな気配の中ふと校舎を見上げる。 「あ」 電気の消えた教室の中、ふ、と窓に人影が写った。 あれは確か士郎のクラスだ。 (暗くなってきたしな・・・一緒に帰った方がいいかもしれない) 帰るように言われたが、ここまで遅くなれば一緒だろう。こんな中、女子中学生一人で帰る方が危ない。 そう考えて校舎へ向かう。 下校時間も過ぎているので、教師に見つからないようにこっそりと音を立てずに校舎に入り目的の教室に。 外もだいぶん暗かったが、薄暗い校舎の中はより一層不気味だ。おとなしい姉のことだから怖がってるかもしれない。だなんて考えて、ちょっと驚かせてやろう、と更に気配を忍ばせてこっそりと扉から姉のクラスの様子を伺い見る。 (あ、ねえちゃ・・・っ・・・?!) 背中しか見えないとはいえ見間違えることはない、自分と瓜二つのその姿。薄水色の髪が夕闇の中ぼんやりと浮かび上がっていた。 それだけならば、躊躇わずに教室の中へ入っていったであろう。当初の計画通り背中から近づいて姉を驚かせて、アツヤったら、と情けなく笑う姉と共に帰宅の路についただろう。 それだけならば。 しかし、そこにいたのは姉一人ではなかった。 がっしりとした体付き、桃色の髪の毛、スポーツマンらしく日に焼けた肌。 彼のこともまた、自分が見間違えることなど決してなかった。 (そめ、おか) そしてただ、二人がそこにいただけであれば。 ただ二人で会話でもしているだけならば。 気にとめることもなく、大好きな姉と大好きな染岡、その二人と共に家路についただろう。 けれども。 けれども、姉と染岡の影はその時しっかりと重なり合ってた。 普通の友人同士ではまず、あり得ない距離感。 椅子に腰掛けている染岡の体にもたれかかる姉。 姉の手は染岡の頭に、染岡の腕は姉の腰に回されている。 この角度からは見えない。 この薄暗さでははっきりとは見えない。 けれども、二人が何をしているのか分からないほど俺も子供じゃあない。 だって、俺だって、俺だって。 何度染岡とその行為をすることを夢見たことか。 それからのことは、よく覚えていない ただただ、走った。 その場から離れて、ただただ走った。 次から次へと涙か溢れてくる涙を拭おうなんて気も回らず。 ただただ走って、がむしゃらに走って。 姉は――染岡のことが苦手なわけではなかったのだ。 染岡に対する姉の態度が脳裏に浮かぶ。 染岡から顔を背ける姉。 その頬は赤く染まっていて。 あれは、恥ずかしがっていたのだ。 あれは、周囲へ隠そうとしていただけだったのだ。 涙は止まらない。 走り疲れた足は止まってしまった。 走ったせいで上がった息と、嗚咽とでうまく呼吸ができない。 ひゅうひゅうと喉がなる。 ここはどこだろうと頭の端で思った。 ――どこでもいい そう、もはやどこでもよかった。 一気に大事なものを失った今、どこに自分は居ればいいのだろうか。 一気に大好きな人も大好きな姉も失った今となっては、もはやどこであろうと迷子のようなものであった。 すっかり暗くなって月すら上がった空を見上げて俺は、ただひたすらに泣きじゃくった。 ....................... 迷子 20100530 |