『ミケには分かるお話』



「おーっす」


水を吸って少しだけ重たくなったタオルを頭の上でがしがしと擦りながら、すれ違う後輩兵士に適当に返事をし、名前は顔をあげる。昼休み後の二時間程度の訓練を終えて、リヴァイ班の一同を残し、先に執務室でのデスクワークに戻る名前は汗を流し、すっかり熱を持った体を引っさげて足を進めていた。一度、水に濡れた体は睡魔を誘っていけない。タオルを首元に下ろして、うんと伸びをし、名前は欠伸を噛み殺す。


「あ、ミケー。お疲れーっす。」


視線の先に見えた大きな体に声をかけると前を歩いていた熊の様な背中が振り返り、ミケはピクリと眉を上げた。


「おう。随分眠そうな顔をしてるな。」

「さっきまで訓練してたからな。シャワー浴びると眠たくて眠たくて。」

「休みなしか?」

「昼飯は食ったけど」

「なら、コーヒーでも飲んで少し休憩でもしたらどうだ。そんな眠気抱えたままじゃ、デスクワークも捗らないだろう」


一緒にコーヒーブレイクにするか。
ミケのその言葉に欠伸交じりに「おー」と適当に返し、調査兵団の人間には珍しく物静かな男の横を特に飾り付けるような言葉を交わすことなく並んで食堂への道を歩いた。とにかくこの眠気をどうにかしなければ――ミケの隣に居ても重力に従って下がってくる瞼を上げることに名前の意識は集中していた。



こつん。
コーヒーを持って、テーブルに着くとソーサーが音を立てると同時にカップを持ち上げ、ぐっとそれを口許で傾けた。せっかく話し相手がいると言うのに眠気に任されて、話をしないではいくら戦友と言っても失礼だろう。なんとか目を覚ますために訓練で小腹空く消化器官にコーヒーを流し込んで、頬をぺちりと叩いた。


「エレンはどうだ?」

「さぁな。何せ力が未知数だから、データとして理解することがまず出来ねぇよ。ハンジも俺も今のところはお手上げって感じ。リヴァイは野獣だから、荒業でその力をこじ開けるつもりかも知れないけどな。ま、いつも通り新人くんの心がぽっきり折れないように精々フォローする役目に回るさ。――それより、お前のとこ、次の壁外の目的、ちゃんとナナバとは共有出来てるか?」


息を小さく吐いて正面に座ったミケに顔を寄せそういうと、ミケは静かにこくりと頷く。


「情報の漏洩も心配ないだろう。重要なものはナナバ一人に管理を任せている。」

「アイツなら心配ないな。っていうか、上官のお前に俺がいちいちこんなこと言うのも不毛だとは思うけど」

「作戦の中枢戦力を担う兵長の補佐が各分隊長に確認を仰ぐことは自然なことだと思うが」

「通称な」

「お前はえらくそれに拘るな。実際、官位があるかどうかなど実力の前ではなんの効力もない。出来たはずなのに独立することではなく、リヴァイの傍に居ることを選んだのだからわざわざ卑下するのは止せ」


少し饒舌にそう放たれた言葉に名前の頬に赤みが刺した。そうだ、ミケの言う通り、自分は出世よりも何よりもリヴァイの傍に居ることを選んだのだ。それは自信をもっていいことだという自負はあったが、紆余曲折あり越えるはずではなかった一線を越えてしまった以上、なんだかこの行為そのものが壮大で恥ずかしい惚気のように思えてあまり考えたくなったのも事実だ。


「リヴァイに憧れて兵団に入ってくる兵士はお前のことを過小評価している者も多いが、中に入ればそれが過小評価だったことに皆気づくし、リヴァイを憧れとしてるからこそお前の様な存在の大切さをより深く理解出来るだろう。」

「ナナバも似たようなこと言ってたな。お前に面と向かってそんなこと言われるとは思ってなかったわ。なんかむず痒いからやめて。」

「最近はそんなお前たち二人に憧れる若手から色んな噂が入ってきて面白いぞ…、フッ」


独特の鼻笑いとニヒルな笑みにげっと思わず声があがる。自分たち特別作戦班とは若手や新兵に近い位置にあるミケ班、しかもここは他の班よりもアットホームな雰囲気が有名だ。ミケとナナバの関係性はもちろん、ゲルガーやリーネ、ヘニングなど変わり者でありながらも、温厚で大人しいメンバーが特別揃っているのだから若手の噂も十二分に回ってくるだろう。当人二人共を十分に知っているミケにその全く的外れな憶測を含んだ噂が入ってくるなんて、まるで脳内レイプ、脳内羞恥プレイのようだと名前はげんなりして、苦めのコーヒーをぐっとカップを傾けて飲みこんだ。


「聞きたくもねぇ、そんな噂。どうせ退屈凌ぎに、1%の事実に尾びれ背びれにお頭付けたような大ガセだろ」

「例えば、昨日訓練場のシャワー室で、」

「ぶっ…、な、なんでそんなこと知ってんだよ!」

「事実なのか?呆れたな、1%どころか端から事実か。リヴァイがお前に異常なほど固執してるのはよく分かるがお前も男なら流されっぱなしには気を付けろ。」

「別に流されっぱなしだったわけじゃねぇし…」

「…………。それにしてもだ、若手のうろちょろする可能性のある場所で行為に及ぶのはやめろ。」


「は!?行為?え…?――――あ"!もしかしてそういう噂になってんのか!?違う!違う!あんなばっちぃとこでリヴァイが、そんな…って、ばっ、バカじゃねぇの!バカ!!」


ごおっと焼かれたように真っ赤になった名前はぎゅうと眉を吊り上げて、ドンと机をたたくと違う違うと大きくミケの前で手を振った。


「確かにシャワー室の中で二人ではいたけど、それは訓練での怪我を黙ってた俺にリヴァイが腹立てて個室に乱入してきたからで!」

「お前の喘ぎ声が聞こえたとかなんとか」

「喘ぎ声!?いや、痛くないから放っとけって言ったらリヴァイがむっとして、自覚するまでやってやるとか言いだして傷口をぐっちぃいいって押してきたんだよ。そりゃ、苦悶の声の一つや二つ上がるだろ!?切り傷だぞ!?切り傷!?普通心配すんなら傷口押すか?余計、開くっつーの」


個室から流れてきた血が処女膜が破れた時の血だと噂になっていたことは今の彼には黙って置こうとミケは昨日のことを思い出してぷんぷんと起こり始めた名前にそのことについては口を噤んだ。


「だが、知られて動揺してるように見えたが」

「なっ、そ、そりゃあ…、なんつーか…きっぱりはっきり何もなかったわけじゃねぇし…。う"−…ほら、恋人らしいことも、まぁ、齧る程度には―――ってぇ!そんなことじゃなくて!俺、アイツの前に居る時と他の兵士の前でいる時とじゃ結構違うから、恥ずかしいだろうが。ほら、身内の人といる時に上司と会っちゃったあの感じだよ!分かるだろ、お前も!」


二人っきりの時でなかろうと、リヴァイとしゃべっている時の名前の表情は時々びっくりするくらい乙女の様になっていることも黙って居よう。いや、恐らく自分以外の――もっとデリカシーのない人間が口にしているに違いない。こういうことを本人に言う役目は適任という人間がいるだろう。そしてそれは確実に自分ではない。ミケはそうだなと言葉を返しながら、続けた。


「しかし、お前たちにはもう進展はないと思っていたがな」

「進展?」

「地下街から引っ張り上げられた時から執拗につるんでたお前たちが今年になって幼馴染の一線をわざわざ越えるとはな。それこそ、"関係の名前"に拘る必要などなかっただろう。」

「確かに。今更なんでなんだろうな。俺にもよくわからん。」


博識で最速の兵士がそういうのなら俺にも分からん。先輩だというのにそんな言葉選びをしたミケに名前は厭味ったらしいなと言葉を返して、ふてくされたように唇を尖らせる。


「でも、お前たちを見ていると"変わって"よかったようだ」

「そういうのは外が決めることじゃないの」

「外からしか感じ取れないものもある」


「ほう…。じゃあ、変わった俺をミケさんは具体的にどう感じてるわけ?」


少しの欠伸の後にふんわりと弧を描いた金眼はまだ眠た気な雰囲気を宿していて、とっぷりと潤った瞳が日の光を良く吸い込んでいる。少し悪戯な顔が無防備な子供っぽさを引き立てていて、なるほど、これが人類最強を虜にするわけかとミケに妙な納得をさせた。

ごくり、手元のマグカップを傾け、残りのコーヒーを飲み干すと、ミケは体を前のめりにし、石鹸の香り立つ名前の首筋にそっと顔を寄せた。


「……ん?」

「そうだな、具体的に言うなら…」


寄ったと思ったら今度は体を離したミケに怪訝な表情をした名前は首を傾げてから、影になって見えなくなったミケの顔を覗き込んだ。すると、ミケが初対面の兵士相手によく見せている口角がぐにぃと嫌味なほど上がった表情で控えていたのだ。



「ここのところ、お前が随分リヴァイ臭いとは思っているな。フッ。」



「え……、」


何かを考えるより先に出た低い声の後、暫しの沈黙。臭いって、何。匂いがするってこと?え、それってリヴァイの何の匂い?っていうかそれっていつからですか。真っ白だった思考を塗りつぶす様に追いかけてきた様々なことに脳内はあっという間に雁字搦めにされて、まるで噴火する前の火山のように煮えたぎる熱が体の奥底から頭の神経一本一本へとぐぐぐと勢いよく湧き上がってきた。


「ど、ど、どうして気が付いた時に早く言ってくんねぇんだよ!」

「俺しか分かるまいからいいかと思ってな」

「分かんねぇだろうが!そんなこと!ってか、こっちはお前にそんなこと知られてる時点で相当恥ずかしいんだよ!!―――そんなするのか!?リヴァイ臭いってなんだよぉ!?あ"ぁ、もう全然わかんねぇ!もう一回、シャワー浴びて来る!!」


ドンと大きな音を立てて、立ち上がった名前は泣きそうな顔をしながら首にかけていたタオルを頭を隠すようにかぶり、逃げるようにバタバタと音を立てて、食堂を後にした。お前についてるリヴァイの匂いはシャワーなんかで落ちる代物じゃない、肉自体からしてる―――と、既にこの部屋を立ち去ってしまった彼には言うことも出来ずミケはフッともう一度鼻で笑いながら、名前がテーブルに残していったカップの残りのコーヒーを飲み干すのだった。






ありがとう100,000HIT企画
kazuki様に愛を込めて。

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