NOVEL | ナノ

「人のものはとっちゃ駄目だよ」
 ガキの頃だった。くそ暑い夏の話だ。名前は俺を見つけるなり叱るようにそういった。
 俺は名前がやってきたことを少しめんどくさく思った。名前の言葉からして俺がやったことは知っていただろうからだ。俺はあいつからものを無理やりとりあげていた。何で欲しかったのかも、何を欲しかったのかも覚えていないのに、その何かがひどく欲しかった感覚だけは今も覚えてる。人から奪わなくてもあの時の俺は欲しいものならなんだって持ってたし、いつだって一番だったので他人をうらやむという感情は無縁だったからなおさらだ。
 そいつから助けてほしいと乞われたに違いない名前は汗をぬぐいながら俺に走り寄ってきた。この暑い中探し回っていたことは見てわかった。名前は馬鹿みたいに律儀なやつだった。
「あの子泣いてたよ、かっちゃん」
「知るか」
「返しに行こうよ」
「嫌だね。もう俺のモンだ」
 口でそう言っていたが結局返しに行くことになるだろうなとその時点で薄々思った。癪な話だが俺は名前に昔から甘かった。名前にこうしてほしいと頼まれるとなんだってしてもいいような気がする。しなくちゃいけないだとかそういうのじゃなくて、仕方ねえなとあきらめてもいいような気分になるのだ。あきらめることも曲げることも嫌いなのは今も昔も変わらないのに、名前に関してはいつもそうだった。名前にはそうさせる作用があった。
 ぱたぱたと俺のあとにくっついた名前はぐいっと俺の腕を掴む。組むようにして掴まれると汗でべたべたする。それはこいつも同じはずなのに、名前は気にした様子もなくふくれっ面をした。
「かっちゃんってば人のものをとったら幸せになれないんだよ」
「馬鹿じゃねえの」
「かっちゃん!」
 甲高い名前の声が耳に響く。ずるずるとくっつくようにして歩いているとやっぱり暑い。
 暑いよおと、甘ったれた声で名前が言うが離れる様子はない。離れればいいのにやっぱり馬鹿だなこいつと思ったがわざわざ言葉にはしなかった。それで離れられるのはおしいような気がした。
「アイス」
「え?!」
「コンビニ近いから買いに行くぞ」
「やったあ!」
 はしゃぐようにして名前ははねて、かぶっていた麦わら帽子をきちんとかぶりなおした。今度は俺の手を握りしめて、先を歩き出した名前が早く早くと急かすように腕を引く。アイスなんかで満面の笑みを浮かべる名前は安いやつだなと思うが、嫌いなわけじゃなかった。そうやってずっと笑っていればいいと思った。俺の隣でそうやって笑っているのがお似合いだと思った。ずっとずっとオレのそばで笑い続けるものだと、俺は疑っていなかった。少なくとも、あの瞬間、名前は俺のものだったはずなのだ。



 縮こまるようにしていた名前の肩がかすかに揺れている。小さく聞こえる嗚咽に飽きないのか不思議になった。一度も染められたことがない真っ黒な髪が床に垂れている。
 俺が一度家から出てコンビニによる前からずっとこうだ。袋から出した缶ビールを頭にぶつけてやる。痛いとか細い声で名前は鳴いた。
「全部飲むぞ」
「……飲む」
 ゆらゆらとした動きで起き上がった名前の目は腫れていた。ずっと泣いてりゃそうなる。名前はティッシュで瞼をふくとそのままゴミ箱に入れた。ごみ箱のなかのティッシュはすでにあふれだしそうだった。
 袋を引っ張って中から出した缶ビールに名前は口をつけて、もう一度目を伏せた。その目からじわじわと涙があふれるのが見て取れる。その涙をぬぐおうともせず名前は俺のひざに顔を寄せた。スウェットが涙でじわじわと濡れるのが分かる。引きはがそうか迷って、結局そのままにしておくことにした。
 手持無沙汰なてのひらで、名前の髪を撫でると頭が震える。涙の勢いが増した。
「幸せそうだったねえ」
 かすれた声でそういう名前の声は、言葉と相反するように疲れ切っていた。
「最後ぐらい縋ればよかっただろ」
「できないよ。あんなに幸せそうにされちゃあさあ」
 俺に縋るのはいいのかと問いそうになったがどうせ言葉につまって泣くだけなのでやめた。不毛だった。なにもかも不毛だ。だけど俺は名前を引きはがそうと思えない。
「……好きだったんだよ」
 そんなの知っている。お前がいつからあいつを好きだったのかもどれくらい好きだったのかも、あいつがお前じゃない女を選んでからお前がどれだけ泣いたのかも、知っていた。
 撫でるようにした髪からさらけだされた白い首筋が脈打っている。そのまま触れると暖かかった。名前の肌がかすかにゆれる。こちらを見上げる名前の目は相変わらず腫れていた。指で眦をなぞると名前が小さく吐息を漏らす。
「馬鹿な女。なんで俺を好きになんねーんだよ」
「……なんでかな、幼馴染だからかな」
「あいつもだろうが」
 名前の眦が撓む。そのしぐさでこの女がどれほどの思いを抱えているのかが分かりたくなくても分かる。癪だが俺も名前と似たようなものだからだ。
 名前の顔に顔をちかづける。すでに俺のしぐさが体にしみついている名前は目を閉じる。俺は名前のくちびるをそのまま奪って口づけた。そのまま舌を絡めて深くしていくと、呼吸の合間に名前は小さく小さくあいつの名前を呼んだ。
 ―――「人のものはねえ、自分の手にあっても自分のものになったわけじゃないんだよ」
 耳の中で響くそのやわい声が、本当に名前のものなのかは判断がつかない。自分の中で作り上げたもののような気もするし本当に言われたような気もする。いつのころからか、その言葉は頭からずっと離れない。
 あのまま子供のままだったらきっと気づかなかっただろう。その方がよほど救われたかもしれない。
 名前が俺のものだったことなどなかった。いつだって名前はあいつのものだった。

どうか大人にならないで

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