NOVEL | ナノ

 嵐山さんが好きじゃなくなったとかそういうことじゃなかった。むしろ今でも好きだ。好きじゃなくなるなんてできるわけがない。でもダメだって思ってしまった。私じゃだめなんだと、そうとしか思えなくなってしまった。
 嵐山さんの気持ちが信じられないとかそういうことじゃなかった。嵐山さんがどうして私を選んでくれたのかはわからないけれど、嵐山さんが私を大切に思ってくれるのはちゃんと分かってる。でもダメだって思ってしまった。私よりもずっと釣り合う人がいるんだって、それしか考えられなくなってしまった。
 私の言葉を聞いた嵐山さんは、私のことをまっすぐな目で見た。嵐山さんが飲んでいた缶ジュースを、口から離して手に持ち直す。私はというと買ってもらったミルクティーを手に持ったまま口をつけられずにいて、そのまま視線を下した。目を合わせることができなかった。

「冗談とかじゃないんだな」
「……すみません、本気です」
「理由を聞かせてくれないか。俺が嫌になったっていうなら」
「違います!」

 反射的に張り上げた声が響きわたってはっとした。それでもそれだけはどうしても否定したくて違います、と続ける。さっきよりもずっとその声は弱く響いた。ごめんなさい、と目が潤んでくる。自分で決めたなのに、取り返しのつかないことをしていることを思うと震えそうになった。だからといって今更取り消すことだってできない。
 好きだった。こういうときでもちゃんと冷静なところとか、理不尽なことをしているのは私なのに優しい声で話してくれるところとか、上げればきりがないくらい、すごく、好きだった。でもそんな風に好きだと思えば思うほど、そんなにも素晴らしい人なのに私なんかに付き合わせることなんてできないとも思うのだ。

「ごめんなさい、嵐山さん。でも私、ごめんなさい」
「理由が聞きたいんだ。急に一体どうしたんだ?」
「急じゃないんです、ずっと考えてました。私嵐山さんにふさわしくないです」
「名前、そういう考え方俺は好きじゃないっていったよな」
「う、嬉しかったです。そんな風に言ってもらえて。でも、でももう本当に、駄目、なんです」
「……他に理由はないのか?」
「全部、私が悪いです。ごめんなさい。嵐山さん、私」
「少し時間をおこう。俺も考える時間がほしい。ダメか?」
「でも、本当に私なんかじゃ」
「名前」

 すでに泣き出しかけた私のことを、嵐山さんが抱き寄せる。トリオン体ではない、生身の体はあったかくてなおさら涙がでてきた。抱き寄せられるままに胸に顔をおしつけると嵐山さんはますます優しい声で私の名前を呼ぶ。
 こんなところでこんなことをしていたらきっと誰かに見られてしまう。そうしたら迷惑をこうむるのは嵐山さんだ。嵐山さんを思うなら泣いたりしないで今すぐにでも離れるべきなのだった。なのに私は離れたくないと思っている。自分から別れたいといったくせに、馬鹿みたいだ。でも私はどうしたって嵐山さんの腕を突き放すことなんてできなかった。


 
 学校の成績が下がっていることを母に指摘されたのは初めてのことじゃなかった。でも指摘されなくてもそんなことは自分が一番分かっていたことだった。訓練に時間を割くことが多くなり、勉強に対して向き合うことができなくなっていたのだ。
 チームに所属していないB級隊員である私は、最初の方は意外とすいすいとランク戦で勝ち上がっていた。ただ突然、それこそきっかけもなく、スランプが訪れたのだ。今まで競り合っていた相手に勝てなくなって、今まで余裕で勝てていた相手にてこずるようになった。誰にでもわかるくらい一気に調子ががたがたに崩れていって、できていたはずのことができなくなった。負けがせり込めばせり込むほどポイントは減らされていって、守れていたはずの順位でさえどんどんおちこんでいった。
 今まで少しは自信があったはずの力が本当は全然駄目だったことに気付いてしまって、それが許せなくてスランプが訪れる前よりもずっと訓練時間を増やした。勉強するために回していた時間もそれに伴ってどんどん減っていった。もともと要領の悪い私はきちんと勉強しないと結果を出せないのだ。学校にいる時間もずっとの戦闘のことばかり考えてしまったせいもあって、とれていた成績もどんどん下降していった。
 そしてついにこの前、このままの成績ならボーダーの仕事を休業するかやめるかを考えなさいと母に通告された。ボーダーに入る前に学業をおろそかにしないことは母との約束で、今まで指摘されたことはあっても面と向かってそうまで言いきられたことはなかった。今までは様子を見ていたのだろう。最終通告だった。
 嵐山さんに調子を崩したことは言えなかった。最近の嵐山さんはお仕事が立てこんでいて、私が訓練しているときにあうこと自体なかったからきちんと隠せていたはずだ。でもそんな風に忙しいなか嵐山さんがお仕事の合間を縫って会いに来てくれることはすごく嬉しくて、そのときだけは自分が追い詰められていることも忘れて幸せだったのだ。そしてそんなときだった。はっきりと釣り合っていないという噂話を聞いたのは。
 嵐山さんは私と付き合っていることを隠していない。周りに人がいても一緒にいようとしてくれる。嵐山さんにあこがれる人は多いから(ボーダーの顔といってもいいのだから当然なのかもしれないけれど嵐山さんを目当てに入ったという人も少なくないのだ)前々からそんな風に言われていたことは知ってたけど、でもその分頑張って釣り合えるようになろうと思っていた。でも最近の私は目に見えて結果も何もかもだめだめだった。
 そういいたくなる気持ちも分からなくなかった。憧れの人の彼女が自分より劣っていたら言いたくなるだろう。だけど改めて聞くと、ショックだった。努力していたつもりだったから、余計に。それと同時にあんな子を選ぶなんて嵐山さんはおかしいと言う言葉も聞いてしまってそれ以上にショックだったのだ。私のせいで嵐山さんがそんな風に言われるなんて許せなかった。このまま一緒にいたら、きっともっと言われてしまうんじゃないかと思ったらいてもたってもいられなかった。
 うだうだ言っても結局私から嵐山さんに別れを告げたことも、私を取り巻く状況もなにひとつ変わっていないのだ。嵐山さんに別れをつげたら余計にもっと駄目になった自覚があった。理不尽に別れようと言って困らせて泣き出して、私はもう嵐山さんの顔を見れる気がしない。

「それ全部嵐山に言えばいいのにな」
「頑張ってるなってほめてくれた人に最近何もかも駄目なんですなんて言えるわけないじゃないですか……」

 ぼんち揚げをいつものごとく抱えながらベンチに座り込んでいる私の隣にいつのまにか自然に座っていた迅さんはこともなげにそう言う。誰にも言えなかった吐き出せなかった悩みなのに自然と吐き出せてしまったのは迅さんの雰囲気のせいかもしれないしまっていたからかもしれない。
 食う?と差し出されて袋にいわれるがまおとなしく一つをつまんだ。食べる気分じゃなかったけどおいしかった。
 時間を置こうと言われてから嵐山さんとは会っていなかった。きちんと交わしていた連絡も来なくなってしまった。忙しいといっていたからそうだと思いこみたかった。別れるんだから幻滅されてしまった方がいいのにそう思うととても怖かった。

「嵐山はそんなことで幻滅する男じゃないよ」
「……迅さんって心も読めるんですか?」
「名字の考えてることは分かりやすいからな」 
「そうですか…」
「本当は別れたくなんてないんだろう?」

 迅さんはあっさりという。その通りだ。別れたくなんてない。でももうだめだ。こんな風にぐるぐる考えてしまう自分が嫌になってくる。私がしなくちゃいけないことは訓練であり、勉強だ。本当はこんな風に休んでいるべきじゃない。でも体は座り込んだまま動けそうになかった。
 そんな私を見ながら参ってるなあとぼんち揚げを迅さんが食べている。慰めてくれそうで慰めてくれないのが迅さんだ。全部私が悪いって分かってるからだろう。本当は全部嵐山さんに打ち明けてしまえばよかったのだ。そうしたらきっと嵐山さんは力になってくれただろう。一応彼女なので嵐山さんのことを少しは分かってるつもりだ。嵐山さんはどんなに忙しくたって私がこの状態だと知ったら動かないわけがなかった。そういう人だ。
 でも私だって嵐山さんに対していろいろ考えている。私のことで足をひっぱりたくなんてなかった。

「でもいろいろ考えたってそんな風に別れたいですって嵐山困らせたら本末転倒だろ」
「……迅さんってやっぱり心読めるんじゃないですか?」
「まさか」

 迅さんの声がどこか楽しそうに聞こえて私は顔を上げる。そんな私の耳に迅さんは唇を寄せた。「ほら、嵐山だ」ぎょっとして前を向くと、その言葉通り嵐山さんがいた。私が立ち上がるより先に動いた迅さんは嵐山さんの方に歩いていくと私のほうを指さし何かをささやき嵐山さんの肩をたたいて向こうにいってしまった。後ろ手に手を振っているのが見える。
 私はというと、嵐山さんが寄ってくるのを座ったまま待つしかなかった。動けなかった。なんでここでいなくなっちゃうんだ迅さんと嘆いても今更戻ってきてくれるわけでもない。

「名前」

 かなうなら今すぐにベイルアウトしたかった。逃げ続けたって意味がないことは、わかっていたけど。


 
 あれからふたりで話がしたいと言われて私は素直に嵐山さんについていった。嵐山さんが移動したのは私が別れ話をした自販機の前だった。ブースの真ん中に備え付けられている自販機の方が人気のため、隅にあるその自販機は人気が少ない。だからこそ嵐山さんと落ち合うことも多い場所だった。
 いつものでいいか?と変わらないトーンで聞かれて、私はお願いしますと目を伏せた。ふたつ飲み物を買った嵐山さん私の隣に座って、ほらと私に缶を差し出す。何も言えないまま、それを受け取った。

「名前に言われて今までのこといろいろ考えたんだ」
「今までのことですか…?」
「俺は自分で思っている以上にお前のことを見ていなかったんだなと思った」
「そんなことっ、」
「いいんだ。事実だからな。迅にもそういわれた」
「……さっきですか?」
「ああ。でもそれだけじゃない。最近調子が悪いんだっていうのも、名前に別れを切り出されてやっと知ったんだ」

 誰かが嵐山さんに言ったんだろう。私は言ってないし、たぶん迅さんも言ってない。私が調子悪いことは嵐山さんに言うなと言いまわってるわけじゃないから誰のことも責められないけど、でも知られてしまったことに力が抜けた。
 嵐山さんはやっぱりまっすぐに私を見る。嵐山さんはびっくりするくらい人をまっすぐに見つめるのだ。

「……嵐山さんが気づかなかったんじゃなくて私がずっと隠してたんです」
「でもそれでも気づかなきゃいけなかった」

 悪かった、と嵐山さんはなにひとつ悪くないのに謝られて私は馬鹿じゃないのかと思った。こんな風になるくらいなら迅さんの言う通り気なんて使わないで最初から伝えるべきだった。私は嵐山さんに謝ってほしいわけでも後悔させたかったわけでもない。ただ嵐山さん迷惑をかけたくなくて、だから別れようと思った。でもそうやって隠したことも別れようと言ったことも、どっちもひどい独りよがりだった。

「……謝らせてごめんなさい」
「名前」
「そんな風に謝らせたかったわけじゃなくて、迷惑かけたくなくて、嵐山さん忙しそうで、言ったら迷惑なんじゃないかって」
「そんなことあるわけないだろ」
「分かってます。嵐山さんならそういってくれるって知ってました。でも忙しい中私のために動いてくれてるのに、それ以上のことなんて、私」

 泣きたくなかったのに言葉にならなくて私は顔を覆った。あの時のように、強く、抱きしめられる。悪かったと、もう一度謝られて私は首を振った。

「ランクも下がっていくばっかりだし、今までできたことができなくなって、このままじゃだめだって頑張ったけど、駄目で」
「ああ」
「嵐山さんはすごいのに、私なんかが隣にいたらだめなんです。嵐山さんが、嵐山さんに迷惑が」
「そんなことあるわけない。俺が名前のそばにいたいんだ」
「私も好きです! でも、でも、だって私」
「名前は頑張ってる。そんな風に頑張ってる名前のことを、迷惑だなんて思うわけがないだろ」
「ほ、他の人に、そう思われたら。私を選ぶなんておかしいって、そう思われたら」
「他の人間は関係ない。俺が名前を好きで、名前が俺を好きならなにもおかしくないだろ?」

 泣きながら吐き出す言葉は何もかもしっかりと返されて、結局最後は好きですとうめくしかできなくなった。好きですと言うたびに俺も好きだと返されて、なんだかもうだめだった。本当は別れたくないですと言ってしまうと、俺も別れたくないと返ってきて、もう嵐山さんの名前を呼んで縋りつくしかできない。
 そうやって縋りながら泣きじゃくって、ようやく涙がひいたあとでに嵐山さんは私の悩みを全部言ってほしいと言った。迷いながら結局全部言ってしまうと、私の頼りっぷりに引いた様子もなく、まじめな顔でひとつひとつ解決しようと嵐山さんは私の頭を撫でた。こういうところが好きなんだよなあともうめろめろだった。勉強は時間の空く限り見てくれるらしい。もしそれでだめだとしても、ボーダーをやめたくないことを一緒に母に説明しにいってくれると言ってくれた。

「でももしほかに好きな女の子ができたらいってくださいね。私よりもいい子がいたら、」
「……もしかして俺が言ってる好きってあんまり信じられないのか?」
「そ、そういうわけじゃないですけど」
「俺は名前の方がちょっと心配だな。迅とか」
「えっ?!」
「ははは、なんでもない」

 衝撃の発言にびっくりして聞き返すけれど、嵐山さんは笑ってごまかしてしまった。聞き返してもなかったことにされてしまったのでその場では流れてしまったけど嵐山さんは嵐山さんで迅さんの方が先に悩みを聞いていたことがあんまりおもしろくなかったらしい。だけどそれはまた別の話だ。

その魔法の指先ひとつ

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