耳にさしていたイヤフォンを抜いて音楽プレーヤーを止める。図書館全体を横目で見まわすと、いつものように人影も随分減っていた。この時間まで残っている人はきっかり閉館時間まで勉強していくのだろう。学校の閉館時間は受験期に入っていることもあって割と遅い時間まで空いている。塾に行く人間も多いのだろうけど、図書館に来る人間もけして少なくはなかった。
広げていたペンたちを筆箱にしまう。バックに自習用のノートと問題集、そして参考書をいれてから筆箱もしまう。立ち上がって椅子に置いていたコートに腕を通した。マフラーはつける時間がおしいのでバックに放り込む。
椅子を音を立てないようにしまってから私は急いで図書館を飛び出した。この寒い中で彼を待たせるようなことはしたくなかった。
だけどいくら急いでも時間には間に合わなかったようで、いつもの場所に影山はすでに立っていた。大きな黒い傘を差している影山は駆け寄る私を認識したのか転ぶぞと大きな声を上げた。大丈夫と私も声を張り上げて浅く積もった雪に足を滑らせないように走るスピードを速める。だけど勢い余ってしまったのか影山にふれられるぐらい近づいたときに思い切りバランスを崩した。ぎょっとした顔をした影山が持ち前の反射神経で私の体を抱き寄せる。
申し訳なさと、すっごいなあと思いに挟まれながら抱き寄せられながら目が合った。影山はほらみろというような顔をしていてたぶん叱るためにくちをあけたのだけど、にこにこしてる私になんとも言えない顔をしてから言葉を吐き出すことをやめた。
肩に添えられた手が外される。影山は私のために放り投げた傘を拾い上げて私に傾けた。
「待たせてごめん」
「そこまで待ってねえよ。それに待たされるより転ばれる方が困るから走るな」
「うん」
「マフラーは?」
「気づいたら時間迫ってて、あとでつけようと思ってカバンの中に入れてきた」
「風邪ひくからちゃんとしろ。ほら」
手を出されたのでカバンの中からマフラーを出して影山に渡した。すると私に傘を持たせて影山はきちんとマフラーをまいてくれる。私がこのまえこうしてほしいと雑誌を見せてまでお願いしたまき方だ。影山は律儀なので一回こうして欲しいと言ったことをずっと守ってくれるのだった。
まき終えた影山は傘の柄を持っていた私の手を上から握って、傘を取った。傘の柄から外された私の手はそのまま影山に握られる。最初は恥ずかしがっていた影山だったけど夏からずっとねだっていくうちに私から言わなくても握ってくれるようになった。さっきまで運動していたからなのか私よりも影山の手の方があたたかい。こんな風に触れ合えるから、今年はなかなか手袋を持ってこようという気にはなれなかった。
「行くか」
「ん」
影山の声にはうなづいて、私たちは雪の中を歩きだす。積もってからあまり時間がたっていないのかあまり足跡で荒らされていない新雪は暗闇の中でかすかな街灯にともされて淡く銀に輝いていた。
影山は冬休みになってからも部活がある。普通にしていたらなかなか会えないのである。なら会える機会を作ってしまえばということで私はずっと学校で勉強することにしていた。影山の朝練と開館時間は合わないのでさすがに帰りだけだけど、会えないよりはずっといい。
それに影山が何かに必死に打ち込んでいるのに私だけ家でぬくぬくするのもなんだか嫌だったしちょうどよかったのだ。家で勉強するとついつい興味がほかのことに向いてしまうのである。おかげで中学の受験生だったころみたいに勉強しているし、今度の冬休みあけのテストも割と余裕な感じがする。この分ならどの教科でも影山に教えることができそうだ。
「それにしてもよく傘持ってたね」
「母さんに持たせられた。ニュースで雪降るってやってたみたいだな」
「そっかあ。このまま積もるといいね」
「積もるとお前転ぶからダメだろ」
「もう転びません」
「それ前も言ってただろ」
「今回こそほんと!」
普段通りのなんてことない会話をしながら私はというと、心臓の音がちょっとずつはねていくのを知っていた。実は影山に言わなくちゃいけないことがあったのである。
いや、だけどこういう会話の中でどうやって切り出せばいいというんだ。まだきちんと心の準備もしていないのにとぐるぐるまわる思考の中で、影山がふいに私に顔を近づけた。青みがかった美しい黒色の瞳が、街灯の光をはらんでキラキラしている。星が映りこんだ夜空みたいだと思った。その視線に私は影山と一番最初に出会ったときに綺麗な目だなあと思ったことを思い出した。
「なんか変だな?」
「な、なにが」
「いや勘だけど。なんかあったのか」
なぜ確定的に言えるのか、動物的勘なの?と首をかしげたくなる。こういうときに限って変に鋭いのだった。後ろめたくてちょっと視線をそらすと影山にふーんと首をかしげる。そんな態度に他人事みたいな顔して! 影山のおかげで私はいっぱいいっぱいなんだぞ! と当たりたくなる。寒さのせいではなく、緊張で震える唇をかみしめて私は決心する。あのさと切り出すと思わず声が裏返った。恥ずかしかった。影山はじっと私を見ている。
「この前の影山の誕生日さ、夜一緒にいれなかったじゃん?」
「おう」
「だから、いやだからって言うか、だからってわけでもないんだけど……」
「もしかして気にしてるのか? あの日も練習あったし、しょうがなかっただろ」
「いやそうなんだけど、でもそうじゃなくて」
「名字、なんか顔赤いけど」
「クリスマスはさ、私の家に来ない? 親いないんだけど」
休みって聞いたから、と言い訳のように付け足した言葉は弱弱しく空中に響いた。影山は私の言葉で完全に動きを止めた。私の足も止まる。影山、と思わずよんだ彼の名前はすがるようだと自分でも思った。これを自分から言い出そうと思いついたときからそわそわしっぱなしだった。勉強しようと思ったのに身が入らないし。
なんかプレゼントは私みたいな感じじゃない?寒くない?平気なの?と自問自答はたくさん繰り返したけど、ついに、だ。お願いだから失望しないでとも思った。なんてことないみたいでいいからいつもみたいに普通に乗ってほしい。
そんなことを思いながら返答を待っていると、影山は一気に顔を赤らめた。
「お、お前そういう意味なのか」
「そ、そういう意味とか聞かないで。恥ずかしいよ」
「冗談、」
「冗談とかでもなく! ……嫌なら、いいんだけど」
「嫌じゃねえよ。でも」
「嫌ならいいんだけど!」
「嫌じゃねえよ! ……でも、意味、本当にわかってるんだよな」
うなづく。手で口をおさえた影山は、息を大きく吐いた。それから言葉にできないというような少し恥ずかしそうな表情をして私の顔を覗き込む。影山の顔は赤くなっていた。
影山こそ本当にいやじゃないのと怖くなって聞くと、影山は少し息をためらいながら言葉を吐き出した。
「お前がそういうこと言うの意外だったんだよ」
「……キスとか、結構私からしてた」
「それとこれは別だろ。考えたこともないのかと思った」
「影山ならいいかなってお、思ったから」
「お、おう」
「照れないで!」
「お前も照れてるだろ!」
恥ずかしさをごまかすように頭をかいた影山は上を向いた。それから何かを決めたように私を向き直る。顔は相変わらず赤かったけど、まじめな顔だった。
「じゃあ、よろしく頼む」
「う、うん」
つないだ手を離すと、影山は空いた手で私の体を抱き寄せた。抱きしめるぐらいなら今までたくさんしたのにおずおずといったような動作で、私は思わず笑ってしまう。笑うなと瞬時に飛んできた言葉でますます笑えてしまってくすくすと笑っていると、影山はあきらめたようにため息をついた。
片手で抱きしめてくれた影山の代わりに私は両腕できつく抱きしめる。そんな私に影山は傘を下してまで両手で抱きしめ返した。雪が積もっちゃうよおという私の声は甘くて、そんなことどうでもいいって思っているのが分かってしまうけど、まあいっかという感じだ。こうしていられるのが嬉しいから、もうそれでいいのだった。
あの娘の睫毛は砂糖漬け
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