NOVEL | ナノ

 彼が私に触れるとき、彼が私に口付けるとき、彼が私の髪を撫でるとき、私は幸せでたまらなくなる。それと同時に私の思考は出雲さんのことしか考えられなくなるのだ。出雲さんと触れあう時間が多ければ多いほど、比例するように、私の思考は彼のことだけしか考えられなくなる。
 けれど、私はそれが、怖い。いつか出雲さんと離れてしまうとき、彼でいっぱいになった私はどうなってしまうのだろうか。私の中の大きな割合を占める出雲さんがいなくなってしまったら、私は生きていけるのだろうか。それを考えると胸の中が冷えていく。きっと今が幸福であるだけ、いつかの終わりは不幸に満たされているだろう。私はその"終わり"をなによりも恐れている。


 彼の指が私の頬に触れる。それはするすると頬を這いながら、頬を伝っていた髪を耳にかけた。と同時に私を抱き寄せていた出雲さんの腕に力が入る。出雲さんの目を見つめかえせば、彼は顔をぐっと近づけて、内緒事を話すかのような音量でわたしに問いかけた。
「……何考えてるんや」
「え、あ」
「俺がおるんに他の事考えてるん?」
「いや、あの、出雲さんのこと、です」
「ほんま?嬉しいわあ」
 でも、俺が目の前におるんに考え込むんはなしな。
 彼の唇がさっき髪をかけられた耳に寄せられて、そうっと囁やく。つややかな声と唇の感触に背筋がぞわそわとして出雲さんの服のすそをつかむ。甘やかに走るその感触に視線を逸らせば、彼がひそやかに笑ったのがわかった。出雲さんの表情を見ていなくても空気で分かる。彼の笑いかたはひどく静かでたおやかだ。
 なんだかいたたまれなくなっておずおずと視線をあげれば、やはり出雲さんは笑っている。その表情に眉をひそめて見せれば、彼はますます笑みを深めた。
「すまんなあ、なんやいじめたくなってしまうんよ」
「……出雲さんは意地悪ですね」
「名前ちゃんが可愛いから、つい」
「いっつもつい、で済ましますよね。ずるい、です」
「そんな俺は嫌い?」
「……そんなわけないじゃないですか」
 分かってるのに聞くなんて、それこそずるい。そう心の中で呟いて、彼を見つめる視線に意識を戻した。出雲さんの綺麗な瞳が青いサングラス越しに私を見つめている。楽しげに目を細めている彼に息をついた。出雲さんが私の反応で楽しむのはいつものことである。咬み付くように反応したところで逆に彼を楽しませてしまうだけだ。
 そんな出雲さんに今度はむっとした顔を作ってみせる。すまんすまんと軽い謝罪の言葉とともに髪を梳かれる。むっとした顔なんてポーズである。彼がかまってくれるだけで私は幸せなのだから。
 その感触が何だか幸せで、でもなんだか寂しくて出雲さんの服のすそを握っていた手に少しだけ力を込めた。本当にすこしだけ、そうっとこめる。けれど、私が力をこめたのを感じたのか、今度は出雲さんが眉をひそめた。
「どないしたん」
「何でもない、です」
「……なんか隠してはるやろ」
「ほんとになんでもない、です」
「名前」
 いつもはちゃん付けで呼んでいるのにこんなときだけ呼ぶなんて卑怯だ。出雲さんの額と私の額がこつんと重なる。なあ言うて?と、彼の唇が蠢く。つややかに色づいているそれがいつも私に触れているのだと、考えると同時に脳裏に口付けの感触が呼び覚まされた。羞恥と、幽かな恍惚に心臓が震えてぞわりと肌が粟立った。その感触はひどく背徳的で思わず視線を逸らす。
「……終わりが怖いんです」
「終わり、?」
「あなたに触れられると、あなたのことしか考えられなくなるから、だから、その」
 目を伏せて、声が震えないようにつぶやく。服のすそを握っていた手にもう少しだけ力を込めた。
「あなたを失ってしまったら、きっと私は生きていけないような気がして」
 吐き出した言葉に、息を吐いた。心臓がじくりと痛む。彼は優しいから私の思いを否定などしない。けれど、重いと思われたらどうしよう、それでなくとも年の差があるのだ。子供みたいだと、あきれられてしまったら、私―――。
「ずーっとそんなこと、考えてたん?」
「あ、えと、ごめんなさい」
「んー、別に謝らんでもええんに」
「だってわたし、依存、みたいな」
「ええよ」
「え」
「依存して、ええよ?」
 その言葉に思わず顔をあげる。一番最初に目に入ったのは、彼の瞳。優しげに細められているのに、ひどく熱を孕んでいる。私の髪に触れていた出雲さんの手が、髪を一房だけ持ち上げた。そして、彼は悪戯っぽく微笑むとそれに優しく、口付けた。
「全部うけとめるさかい、安心して俺のこと考えてて。な?」
「え、や、そんな」
「ほかの事なんて考えなくてええよ。名前は俺だけを考えてればええ」
「出雲さ、ん」
「俺は、名前をおいていったりせえへん」
 彼の優しい瞳が一瞬だけ、愉しげにきらめいた。その輝きを視界に一瞬だけ収めて出雲さんの胸に額を押し付ける。ああ、好きだ。私をどろどろに甘やかしてくれる彼が、だいすきだ。
 つかんでいた服のすそを離して、彼の背中に手をまわす。彼から、離れることなど私はにはもうできない。恐ろしいほどの優しさと甘さに目を閉じる。"終わり"など、ありませんように、といるかもわからないかみさまにただ祈った。

幸福の檻

×
「#学園」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -