NOVEL | ナノ

 好きだと思った。自分にそんな感情がまだあることにも驚いたし、抱くべきではないことだって重々承知していた。だけど止められなかった。すべきことではないとは頭では理解しているのに、どうしようもなかった。その恋心を捨てなければいけないと分かっているのに、どうにもできなかった。
 いや、すべきだと思っただけで、捨てる気なんてなかったさらさらなかったような気がする。だって恋をしているといるだけで私の人生は薔薇色に輝いているように思えてしまったからだ。生きていることが楽しかった。視界に入るもの全てが輝いて見えた。それが血に染まった死体であろうとも。
 きっと彼の傍にいることができた期間は私の人生の中で一番満たされていただろう。
 彼の隣にいられることが、彼の隣で存在できることが、嬉しかった。彼に認めてもらえることが嬉しかった。彼に名前を呼んでもらえることが嬉しかった。(できれば本当の名前で呼んで欲しかったなあと思ったけれど、もともと私には本当の名前自体がないのでそれはできないことに気がついた。今までは任務のためにころころ変わってきたので、彼に呼ばれていた名前を私の本当の名前とすることにした。誰にもいえなかったけど)
 天才と呼ばれているのに、ところどころで変に不器用な彼が愛しかった。私の名前を呼ぶ声が愛しかった。私の髪を撫でる彼の冷たい指先が愛しかった。(本当に時々だったけど、少し乱暴だったけど、これ以上ないほどに、)
 恋人だとか、私達の関係は名前を付けられるようなものではなかったけれど、私はそれで充分だった。彼と話をできる距離にいられるだけで、涙が出てしまいそうなほど幸せだった。
 私は彼のために生きたいと思った。彼のために死にたいと思った。彼を思って、彼のためだけに生きていけたらどれだけ幸せだろうと思った。そうなりたいと、望んでしまった。もう―――裏切りたくないと思ってしまった。
 馬鹿だった。その身に見合わない願いを抱けば身を滅ぼすと知っていたくせに、私はそうありたいと願ってしまったのだ。
 私は人間なんかではなかった。ただの道具だった。ただの道具はそんなことを思ってはいけないのだった。許されはしないのだった。

(―――サ、ソリさま)

 体が落ちていく。刺すように冷たい水の中で、上下も分からない中、落ちていく浮遊感だけが体を包んでいる。
 手を伸ばしても、水の中は明かりひとつない暗闇で、もう上には戻れそうになかった。
 死ぬんだなと思った。人をたくさん殺してきた道具の割には痛くも苦しくもない死に方だなあとも思った。死ぬと分かってしまえば吃驚するほど冷静だった。もう裏切らなくていいからかもしれない。
 たくさんのものを今まで裏切ってきた。全て上からの命令だった。最後にはその上すら裏切ってしまった。
 罪悪感を抱いたことは今まで、なかった。何が悪いとか良いだとか、そんなものは考えるだけが無駄で、私はただ任務を遂行するためのこまであり、道具、だった。それでいいと思ったし、そうしなければ生きることはできないのだからしょうがないことだった。
 私は名前を変えては潜入の任務を行って生きてきた。今まで名乗った名前の数だけ、私は誰かを裏切ってきたことになる。その数はもう覚えていない。途中で数えることをやめてしまった。
 そんな中で彼に出会った。任務だった。私は一番最初から、彼のことを裏切っていたのだ。
 知られたくなかった。裏切っていることなんて死んでも知られたくなかった。もう道具でいることは嫌だった。サソリさまの隣で人間でいたかった。だから、今度は上を裏切った。そうして私は全て失った。

 任務にそむき、あまつさえ上を裏切った私は当然のように命を狙われた。そこまではいい。そこまではいいのだ。だって当然の結果だ。
 だけど、だけど、だけど、だけど、だけど、だけど、だけど、だけど、だけど、だけど、だけど!
「サソリにはすでにお前の存在がスパイであったと伝えてある」
 脳の中で言葉が反響する。裏切り者の始末にやってきた元仲間はそういった。と同時に私は全てを失ったことに気がついたのだ。散々裏切ってきたくせに、今更向き合おうとすることが、それ自体がおかしかったのだろう。
 ここでこうやって死ねるのはある意味幸せだった。だって私にはもうサソリさまの顔なんて見れない。上を裏切った以上、サソリさま以外のところに私の居場所なんてないのだから、ここで死ぬのがある意味一番のハッピーエンドであるのかもしれなかった。

(ああ、もし叶うなら、もう一度生まれ変わって、彼と出会いたい。今度はもう、あんな出会いはいやだ)
 
 冷たい水底に沈んでいく自分の体を抱えながら、願う。隣にいられなくてもいい、だけどもう二度と、彼を裏切りたくない。脳裏にうつるうつくしい赤を思いながら、私は目をつむる。水の音しか聞こえないはずなのに、私の耳には彼が私の名前を呼ぶ声が聞こえた。なんて未練がましいのだと笑えてしまう。
 だけど、幻聴だったとしても最後に彼の声が聞こえてよかったと、そう思うのだった。

その感情と眠ったまま

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