NOVEL | ナノ

 私は赤司くんが苦手だった。具体的にどこが苦手だといえるわけじゃなくて、ただ苦手だった。私の周りの女の子はみんな赤司くんにあこがれていたからそんなことは口にはできなかったけれど、ずうっとずうっとその感覚を拭い去ることはできなかった。
 だけど赤司くんはいい人だった。赤司くんはたぶん私が彼を苦手だと分かっていたけれど、それでもずっと真摯だった。自分に負の感情を抱く人間なんてきっと面倒なだけなのに、私にとても優しかった。赤司くんはもともと他人に優しく寛容な人だったけれど、その中でも一番に私に甘くて、いつからか明確な特別扱いをした。
 赤司くんのように影響力のある人間がだれかを特別扱いすればそんなの周りだって影響されるにきまっていて、私はいつからかみんなの中で浮くようになった。いじめられるようになったわけじゃないけれど、教室の中で、私のまわりだけに入ってはいけない円があるように、近づく人すらいなくなった。赤司くんとは縁があったのか、出会ったあの頃からクラスは同じだったからクラスで何かをするときも私はいつからか赤司くんとすることが普通として扱われるようになった。もう私と組んでくれる子なんていなくなっていた。男女で組むなんてそれこそ恋人同士だってないだろうに、付き合ってもいない私たちが一緒にいることは常識としてクラスの日常に組み込まれたのだ。
 赤司くんを好きだった女の子はいっぱいいたから、どうしてあなたなのって言葉には出されなくてもそんな表情で見つめられるようにもなった。でもやっぱりいじめだとかそういうことにはならなかった。私にかかわる人はそれこそ赤司くん以外いなくなったのだ。
 昔から口下手で友達を作るのが苦手だった私にはその状況から脱出しうるすべなんてなかった。というよりもその状況自体を受け入れるようになっていった。赤司くんはやっぱり優しかったからだ。女子だけの空間にいるときはそれこそひとりでいるしかなかったからつらかったけれど、でもそれがつらければつらいほど私と一緒にいてくれる赤司くんが大切になっていった。赤司くんに捨てられれば私はそれこそ一人になってしまうからだ。
 そのころには私は完全に赤司くんに心を許していた。赤司くんに抱いていたあの形容しがたい違和感と危機感は完全に溶け去っていた。赤司くんがいなければ生きていけないとそれこそ本心から思った。赤司くんの私の話をきくときにほんの少し目を細める表情や、私のするなんてことないことをほめてくれる言葉も、全部全部、私にとっての当たり前のことになっていた。
 赤司くんに付き従うようになった私は彼の言うままに大学に進学を決めた。私の唯一といってもいいような長所だった学力を、あの時ほど誇れたことはない。赤司くんと同じ大学に入ってからも、私はずっと赤司くんの隣にいつづけた。
 赤司くんの言うことはなんだって正しかった。赤司くんのいうことにしたがっていれば私は正しい道を歩めることにそのときにはもう気が付いていた。その思いは今も変わっていない。正しいのだ。正しいはずなのだ。赤司くんは正しい。正しかった、はずなのに。

「見てしまったんだね」

 目の前の赤司くんはいつもの笑みを浮かべていた。甘やかすような、どきどきするような、いつだって私にだけ向けられていた笑みだった。その笑みに忘れきっていたあの感覚が胸の奥を這う。鳥肌がたつような、逃げ出してしまいたくなるような閉塞感。そう、危機感だ。
 何度だって来て、自分の部屋のようにすら思えていた赤司くんの部屋が今は監獄のように思えた。寒がりの私のためにいつも通りにあたたかめに効かされているはずの空調はもはや完全に意味をなしていなくて、私は自分の体の震えを止めることはできない。震える足は体を支えきれずに、ふらふらとカーペットの上へとへたりこんだ。

「……いつから、」
「いつから、とは面白いことを聞くね。もう君はわかっているんだろう?」
「茶化さないで!!」

 ほとんど金切り声になってしまった言葉に、赤司くんは目を細めた。いとしくていとしくて仕方のないものを見るような慈愛のこもった目だった。自分よりも力の弱い、脆弱で愚かな愛玩する対象へと向ける瞳だった。
 こんなことがばれてそんな瞳をする赤司くんに頭がおかしくなりそうになる。身の危険を頭に浮かべることすらないような場所が、本当は絹のような細い糸でしか支えられていなかったような感覚に私はただひたすら唇をかみしめて耐えるしかない。

「いつからなんて決まっている。最初からだよ。君が記憶している最初ではないが、僕はずっとずっと、君のことが好きだった」

 ああ、と吐息のような嗚咽がもれる。涙はでない。ただ力が抜けた。赤司くんとの思い出が走馬灯のように頭の中をめぐる。私の初恋の記憶といってもいいその記憶は、平凡としか言えなかった私の人生の記憶の中でひときわ輝いていた、大切なものだった。愛しいものだった。私の記憶の中で最も幸福な記憶だった。
 それなのにわかってしまった。その記憶は赤司くんによって作り上げられた張りぼてでしかなかったのだと。

「どうして、……ねえ、どうして?」
「言っただろう? 君のことが好きだっただけだよ」
「こんなことしなくたって、普通に、普通にしてくれたら、そうしたら」

 私のすがるような声に赤司くんはやっぱり優しい顔をしながら膝をついた。私の力の抜けた手をとって握り締める。全部わかってしまっても、それでも何度も私の手を握り締めた彼の手の温度は変わらない。

「君は頭がいいからもうわかってしまっているんだろう? 君は今更僕から離れることなんてできないことを」

 赤司くんの言い聞かせるような声が滔々と響く。その声はどんな時だって私の指針を示した声であり、私を支えてきた声だった。
 赤司くんは私の体を引き寄せて抱きしめると、髪を撫でた。そうしてかわいいね、何も変わらなかった昨日のように囁く。私は彼の背中に腕をまわすこともできずに、うなだれた。
 赤いカーペット一面に何十枚も散らばる私の写真が視界に入る。ベットに無造作に置かれていたアルバムに挟んであったものを私が落としてしまったものだ。
 赤司くんと出会う前のまだ幼い私や、赤司くんに特別扱いされる前の友人と笑みを浮かべる私。ひとりになってからの日常的な私の写真が無差別にまざりこんでいる。それらに共通しているのは、私がけしてカメラの方を向いてはいないことだ。
 もう、なんといえばいいのかすらも分からない。そのくせ赤司くんの言葉通りに抱きしめる腕を拒絶することもできないのだ。

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溺れた金魚はもとから赤い

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