NOVEL | ナノ

*学パロ

 目に涙がじわりと滲んだ。地面が涙のせいでゆがんでいく。冬の冷たい空気が火照った顔に心地いい。泣いてしまうことが悔しくて唇を噛みしめるけれど、涙が止まることはなかった。
 私の体に触れては解けていく雪に、早く帰らなければと思う。このままここでこうしていたって何にもならない。顔以外の体温は冷え切っていくばかりで、指先にはもう感触がなかった。けれど私の体は動かない。そのうえ思考すらかすんでくる。そんな私が本当に馬鹿みたいで、笑えてきそうだった。決して涙はとまらなかったけれど。


 そんな中ふっと私の座ったベンチに影が差した。体をぬらしていた雪が止む。視線を上げると、切嗣が私の上に傘を差出していた。



「……濡れちゃうよ」
「今の君程じゃない」


 切嗣の指が私の頬に伸びた。雪で濡れたせいで頬に張り付いていた髪を耳にかけられる。切嗣の指は私と同じように冷え切っていた。
 傘を握っている彼の手に、私の手を重ねて押し返す。いくらなんでも私のために切嗣を濡らしたくなんてなかった。


「風邪引くよ」
「僕より君のほうが濡れてるだろう」
「……切嗣の手、つめたいね」
「君を探し回って冷え切った」
「わざわざ探してくれたの?」


 その質問に切嗣は何も答えずにただ目を細めた。そうして私が傘をもたないことあきれたようにため息をついた。白い息が街頭に照らされて煌めく。
 私の手を自分の手からはずすと、切嗣は私の隣に座った。驚く私をよそに切嗣は傘を閉じる。


「ほんとに濡れちゃうよ」
「もうすっかり濡れてる。傘がなくたって今更変わらないよ」
「……ごめんね」
「僕がしたくてしたことだ。君が謝ることじゃないだろ」


 いつもと何も変わらない声音で切嗣は答えた。そのせいだろうか、わたしの震えた声と相反するようなその声に、安堵してしまう。
 彼がポケットから煙草を取り出す。慣れた様子で一本口にすると、ライターで火をつけた。煙草の先が灰色の空の下で赤く光る。白い煙がゆらりと揺らめいた。


「……おいしいの?」
「別に美味しいからだとか、そういうので吸っているわけじゃない」
「ねえ、一本ちょうだいよ」
「君にはまだ早いよ」
「同い年のくせに」


 切嗣の大きな手が、私の手の上に重なる。骨ばったそれは、やっぱり冷たい。私の為に冷えたのだと思うとひどく苦しくなった。切嗣は私に優しい。切嗣はもともと人に優しいけれど、特に私には悲しくなってしまうくらい、優しいのだ。


「だからやめろっていっただろう。あんな男なんて」
「あはは、だよねえ」
「……笑いごとじゃないだろ」


 散々忠告されていたのだ。選ぶべきではないと、顔をしかめられながら何度も忠告された。それを大丈夫だと、忠告を聞き入れなかったのは私だ。
 恋は盲目というやつで、あの時の私にはあの人しか頭になかったのだ。忠告の言葉は私に逆の効果をあげた。反対されればされるほど、彼にのめりこんでいった。まさに悲劇のヒロイン気取りというやつだった。


「ごめんね、切嗣」


 本当にありふれた話だ。はじめてのこいびとに舞い上がった私は、相手の思惑にも気付かずに、遊ばれてしまったというだけの、そこらへんに転がっていそうな、陳腐な話。
 周りの人間が止めるのも無視して、一人で熱を上げて、そうして捨てられてしまった。馬鹿すぎて話にもならない。
 あの人と付き合ってから、切嗣は何度だって私をとめてくれたのに。ばかみたいな私を見捨てることもなく、切嗣はずっとずっと隣にいてくれたのに。


「僕は君に謝ってほしいわけじゃないよ。ただ後悔してほしいんだ」
「……切嗣の忠告を無視したこと?」
「そこじゃなくて、あんな男を選んだことだよ」

 僕を選べばよかったのに。
 
 続けられたかすれた声に体が固まった。思わず視線を切嗣に向けると、切嗣は顔をしかめて私の目を覆った。煙草の匂いが鼻を掠める。見るなと不機嫌そうな声で呟かれた。


「僕の方がずっと近くにいたのに、僕じゃなくてなんであんな男を選ぶのか理解できないな」
「え、え。……え?」
「……だから好きだって、言ってるんだけど」


 吐き捨てられたその言葉に体がはねた。重ねられている手のひらに意識が集中する。思わず手のひらを引きそうになるけれど逆に指を絡められる。かすかに震えた切嗣の指先に力がこもった。
 何にも言えなくて、何を言えばいいのかもわかなくて、唇が動かない。顔の温度がみるみるうちに上がっていく。涙がいつの間にか止まっていることに、いまさら気がついた。
 そんな中、唐突に私の目を覆っていた切嗣の手が離れた。切嗣が立ちあがって、つながれていた手が少しだけ乱暴に引かれる。その手にしたがって立ち上がると、切嗣は歩き出した。


「帰ろう、名前」
「え、うん。帰る、けど」
「何か温かいものでも買っていこうか。このままだと君、風邪をひくだろ」
「そ、そうだね……?」


 他に何か言うことがあるだろうと、自分に呆れる。けれどなにか言おうと口を開きかけながら、切嗣に視線を向けて、私は完全に口を閉ざした。切嗣の耳が赤いことに、気づいたからだ。
 私の顔の熱もますます熱くなっていく。当分この熱は引きそうになかった。

やさしい夜に捕まった

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