NOVEL | ナノ

 記憶も人格も引き継いで目覚めたが僕≠ェ本来持っていた感情はかなり抑えられていた。それは縛りの一つでもあった。彼女を守ることを最優先にしてそれ以外を削ぎ落してつくった。自らの手でそれを思考して行った記憶がある。波立つことがなくなっていた感情は不思議なほどしっくり来た。感情の制御が効きすぎることに何かを思う感情自体が抑えられているかもしれないが。
 封じられるまでの感情の付随した記憶は目覚めると彼女に関して以外は大幅に曖昧になり、僕がつくったときに必要だと分類したものだけが残っている。僕は僕のはずだし、その自覚もある。だが持ちあわせた縛りによる大幅な変化は別の存在と化していると言ってもいいのかもしれない。僕は僕そのものでもあったけど、君だけを選ぶことを出来ない僕が名前のためだけの存在に成った℃椏_で別たれていた。
 見た目にも大きな変化が起きていたが、名前は僕を以前と変わりなく扱っていた。この体で会った瞬間にいくらかの戸惑いを見せていたがそれくらいだ。ここに来たばかりの頃は沈んでいるようだったが僕に対して拒絶の感情をあらわしたことはなかった。名前から向けられる感情は僕の記憶の中と何も変わらない。
 名前は熱のない僕の体を変わらずに抱きしめるし、いつもそうするように僕の頬や唇にキスをした。僕も冬の間の名前の手を握るたびにその温度にびっくりしてよく触れていた覚えがあったがその時の名前と今の僕ではそもそもの体温が違う。それでも名前は僕の体をあたためるために触れる。平気だと伝えても名前は止めなかった。
 僕の手が冷えて僕が困ることはないのに、すぐにこちらの手を握り、無意識にだろうか、よく撫でている。
「夏だったら丁度良かったかも」
 名前はそう言いながら僕を抱きしめて、僕の頭に頬をよせる。
「でもきっと夏だってこうして同じようにくっついて同じ体温になっちゃうんだろうな」
 囁くような名前のそのどこか甘い声に、胸をくすぐられるような気持ちになる。そのたびに思わず僕は目を閉じた。そうしているとその感覚に集中できる気がした。
 僕がこの家に来て名前に一番に贈ったものはペアのマグカップだった。あの日に名前が割って自分の手を裂いていたマグカップは僕のものらしく気にしていたからだ。ごめんねと謝りながら翳りを見せた表情で「悪い予感ってやつだったのかなあ」と笑う名前の顔を見ていたら、翌日に手配していた。
 飲食をしない僕が使うことはないが名前が割った僕のものも無事だった名前のものも置いてきていたので丁度良かった。新しく選んだものを名前に渡すと名前は一瞬目を丸くしてから、本当に嬉しそうに顔を緩めた。少し潤んだその目を見ていると今度は胸の奥が痺れるような感覚を覚えていた。
「嬉しい」
 その顔を見られるならなんだっていくらでも贈りたい。僕をつくった方の僕もそう思うだろうなと思った。名前は贈ったその日から毎日それを使っていた。
 ある日、いつもするように淹れたばかりの紅茶で満たしたそれを置こうとした名前は、テーブルの上で倒した。僕にかかる近さだったが、倒した名前にはかかることはないだろう。僕はこぼれて自らにかかりそうだった中身のことよりもまた名前がマグカップを割って手を切るのではないかの方が気にかかっていて、そちらを注視し、とりあげようとした。
 本来の僕がそうであるように僕もある程度の修復ならすぐに行われる体をしていた。名前にもそう説明している。冷めていない紅茶が僕にかかったところで問題はない。だけど僕のした予想とは裏腹にマグカップは割れる前に動きを止め、名前は中身から僕を庇うように抱きしめた。時が止まった。その感覚にデジャブを感じる。
 僕の手はいつのまにか勝手に名前の肩を掴んでいた。指が名前の肩に食い込むのが感覚で分かるが緩められない。彼女の体を引きはがし、その体を見る。
「かかった?」
「かかってないよ、大丈夫」
 確かめるためにかかっていそうな部位に触れてみる。実際に中身は彼女にかかることはなかったようだ。ない心臓が動くような錯覚をした。
 どうして庇ったの。そう問おうとしたが止めた。答えを知っているからだ。彼女は以前の僕にすらそうしたことがあった。名前は僕の視線を見つめ返しながら、口を開く。
「悟くんにはかかってない?」
 僕が名前に傷ついて欲しくはないと思ったように、名前もそうなのだ。でも僕がなんのためにここにいるか分かってる? 僕を守ってどうするんだよ。僕よりずっと弱くて簡単に傷つくくせに。馬鹿だな。返事をしないまま、名前を抱きしめた。
 体格差がどうなろうとも腕の中の名前は柔らかく脆かった。引き裂こうとすればいつでも出来ると名前に触れるたびに感じる。僕が僕だった時からそうだった。でもずっとこうしていたかった気がする。だから僕は僕をつくった。
 力が無意識のうちにこもる。苦しいだろうなと感情が制御され常に平静を保つはずの頭で考える。でも名前は僕の腕を外そうとするどころか僕の背に腕をまわした。その腕の感触に胸のうちを指先でひっかかれるような感触がした。今すぐにぐちゃぐちゃにしてしまいたいような、一生こうして僕のものにしておきたいような気持ちになる。
 そう思いながら腕を緩めて彼女の頭を撫でた。腕のうちで力から解放されて彼女の肺が呼吸のために膨らむのを感じる。彼女の肉体の生きている反応を実感しながら僕は結局どうなっても名前を好きなんだろうなと思った。こうやって名前を抱きしめた記憶も経験も今、傍にいる僕だけのものだった。
 きっとあの僕は僕が嫌いだろう。名前に抱く感情も名前に触れられる僕以外の唯一に対する感情も、別たれて別の存在に変化してもどこまでも同じだった。

朝焼けみたいに呪ってほしい

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