NOVEL | ナノ

 傑先輩は甘いものが嫌いなので、もらいもののお菓子をいつも私にくれる。呪術師をやっていると菓子折りをもらう機会が結構あって、傑先輩のように強かったり名が売れてたりだとかするとそういう機会は段違いだった。
 もともとはみんなで食べていたこともあったらしいけど傑先輩のまわりはそもそも甘いものが嫌いな人間が多いために最終的に全部私にまわってくるのだ。
 私が甘いものを食べている様を傑先輩はいつも微笑みながら見ている。じっと見つめられながら自分だけが食べることだけでなく、そうした様をまた餌づけていると言われたこともあったので(傑先輩自身がそうだよとこともなげにいうので余計に)恥ずかしかったけど、私を見ている傑先輩が楽しそうなので今日も私はなにも言えずに甘いものを口にするのだった。
 傑先輩がわざわざ手土産としてわたしてくれたのはチョコレートだった。いくら給与を貰っている高専でも学生が手を出すのは躊躇いのあるような、黒塗りの箱の包装で一目で高いとわかるやつ。もらったものじゃなくてわざわざ買ってきてくれたようだった。しきりに区切られた箱の中でひとつずつ丁寧におさめられているそれらはきらきらと輝いている。目を輝かせる私に傑先輩は苦笑した。
「本当に甘いものが好きだね」
「とってもすきです!」
「私より好きそうだ」
「大好きな傑先輩にもらう甘いものがいちばんすき」
 ずるい答えだという子供みたいな傑先輩に箱を差しだす。傑先輩も一緒に食べましょうと言うと名前のために買ってきたから食べていいよと言われてしまう。
 いつものことながら申し訳ないなと思いつつ迷いながらも最初のひとつを選んで口にいれた。口のなかにチョコレートとともにオレンジの香りが広がる。思わず一瞬で頬が緩むのがわかる。美味しいと身もだえする私を見ながら傑先輩は出した紅茶だけを口にしていた。
 絶対私がいれた紅茶よりチョコレートの方がおいしいのになあと思いつつ次のチョコレートに手が伸びる。こんな食べ方をするためにあるわけではないことは重々承知しているけどその美味しさに手は伸びてしまい数個ほどを口にしたあたりで傑先輩は私のほうに手を伸ばした。箱がほしいのかと思って差しだそうとした私の肩をその手がつかむ。傑先輩はそのまま私にキスした。
 いまだチョコレートを口にした咥内が傑先輩の舌であらされる。お酒の入ったチョコレートだったのだろう、口のなかにお酒の深い香りが広がった。甘くてどろりとした液体と、少しの苦みと、傑先輩の舌に口のなかが満たされる。好き放題するだけした傑先輩が私から離れるころには、舌どころか頭の中までとけそうで思わず夢見心地のまま傑先輩を見上げる。
 そのころには口のなかにチョコレートはもはや残っていなかった。チョコレートの香りだけが呼吸とともにかすかに鼻から抜けていく。
 唇についたチョコレートをなめとりながら傑先輩は苦いような顔をする。
「甘いな」
「……私は酔っぱらいそうです」
 傑先輩は私の頬を親指で撫でて、もう一度くちづけた。さっきとは違い、触れるようにそうしてからそっと傑先輩は体を離して、私の頬に手を添えたままじっとこちらを見つめている。もの言いたげなその視線になぜかちょっとだけ、不安のようなさみしさを覚えて今度は自分からキスをして、傑先輩を座ってもらっていたベッドにそのまま押し倒した。傑先輩はされるがままだ。
 制服に手をかける。上着を脱がせようとするとその前に傑先輩によって上下が反転させられる。上をとった先輩はこともなげに名前は組み敷かれるのが似合うよと口にする。傑先輩のこういう面を見るととんでもない男の人だなあと思ったし正直に言うとドキッとしてしまう。
「こうされたいのは傑先輩だけです」
 私の言葉に一瞬傑先輩は目を見開いたけどなにも言わずにほほ笑むといい子だねというように額にキスしてくれた。制服を脱がす手のひらが素肌に触れる。肌をなぞる大きな手のひらはあたたかくて触れられるとドキドキしたし、安心した。その手は私からすべてをはぎとり、降りていく。
 先輩の余裕に欠片ほどでもひびがはいるこの瞬間が好きだ。先輩は正しくて強くてかっこよくて優しい、でも意地悪で人のことを割と簡単に人を煽るし性格も悪い。そもそも目に見える性格の悪さを発揮する五条先輩と親友をやっている人の性格が悪くないわけがない。
 でも好き。傑先輩自身も、そんな清濁織り交ぜた傑先輩の説いてくれる正論も、とても好きだ。強さを伴った正論を私は傑先輩と出会って知ってしまった。
「名前」
 名を呼ばれるだけで全身が支配されたようにひりひりする。先輩の術式で操られる呪霊もこんな気持ちなんだろうか。もし死んで呪霊になったら傑先輩のものになりたいと戯れのような、でも本気だったその言葉を前にいったことを思いだした。傑先輩はそれになんていったいなんていってくれたんだっけ。
 思考の飛びかける私の目を覗き込んで、私の意識を傑先輩は引き戻す。そうして自分だけを見ているように傑先輩は囁く。私と一緒にいるときにそういう面を見せてくれる。かわいい。愛しい。
 手のひらを伸ばし、私は結っていた傑先輩の髪をほどいた。髪をおろすと余計に色っぽい。自分がその姿を望めばみることのできる存在であることが嬉しかった。私の行動にこらとたしなめる先輩の声のなんと甘いことか。そうされるためだけに悪いことをしてみたくなる。
 縋りつくようにして傑先輩の首筋に顔をうずめた。がっしりとした体で抱きしめられると安心感とともに体のつくりを思い知らされる。
 その日の傑先輩は不思議なほど私を求めた。もう駄目という私のくちびるをふさいで続ける先輩がようやく満足するころには私の心も体もぐにゃぐにゃにとけきっていた。どろどろにとけた私の重たい体を傑先輩は抱きしめる。
「満足しました?」
「いや」
 よろよろのまま這うように腕の中から出ようとするも当然のごとくその胸に引き戻された。
「冗談だよ」
 冗談に聞こえなかった。絶対ちょっと本気だった。思わず震えてしまう。そんな私の頬を傑先輩がなだめるように撫でる。
 傑先輩の胸はあたたかい。その胸に抱かれるたびに、安心する。庇護される絶対的な安心感に呪術師であることを忘れて酩酊しそうになる。
「名前とずっとこうしていたいのは本当だよ」
「そ、そんなこと言われたら私だって同じですけど……」
「じゃあ両想いだ」
 さらさらと注がれる甘やかな言葉がくすぐったい。いつも通りのくすぐったさが幸せだった。実をいうと傑先輩とこうするのもちゃんと言葉を交わすのも久しぶりだったから、余計にそうだったかもしれない。充足感が私の体を髪から指先までひたひたに浸していく。
 傑先輩にしがみつくようにその胸に額を押し付けて、確かめるように彼の名前を呼んだ。
「……傑先輩」
「うん」
「最近なんだか様子が違ったから、なにかあったのかなって思ったんですけど、ちょっと安心しました」
「うん」
 傑先輩はそっと私の頭を撫でた。そうされるとなぜかとても異常なほど眠たくなって、私は小さくあくびをした。先輩と縋るように呼ぶ私の髪を先輩は何度も撫でる。気持ちよくて、だけどこの時間にもっと微睡んでいたくて、目を必死に開こうとする。
 傑先輩は我慢なんてしなくていいというようにそっと私のこめかみにキスしてくれた。そうされると完全に意識がとろけてしまう。傑先輩が笑うのが呼気でわかる。どんな顔で私を見つめていたのかはわからない。
「おやすみ」
 最後に聞いたのはその言葉だった。
 目が覚めたときにはなにもかもすべてが終わっていた。傑先輩が引き起こした戦争で私が眠っている間に仲間が死んで、傑先輩はこの世界の敵になってしまった。傑先輩は私のことを置いていってしまった。
 部屋に残されたのは、私に残されたのは、最後にもらったあのチョコレートだけだった。痛んでしまえば捨てることになるから私はそのチョコレートを結局一人で全部食べた。チョコレートを食べるとその味とともに傑先輩としたあのキスのことを思いだしてどうにかなりそうだったけど、ちゃんと、全部、食べ切った。
 あれだけ甘いものが好きだったのに、私は甘いものが駄目になってしまった。口の中に甘いものをいれると吐いてしまうようになった。特にチョコレートは、甘い匂いだけで駄目だった。
 でも時々私はチョコレートを買って口にしてみる。甘い匂いに犯されそうになりながら傑先輩のことを思いだす。私の話したあの話を傑先輩はいったいどう思いながら聞いていたんだろうって、もうどうしようもないことばかりを思う。
 月日がなにもかもを変えていき私が高専を卒業して学生でなくなっても、私を構成するものの多くが変わってしまっても、傑先輩への思いが変化しても、私は甘いものはずっと食べられないままで、きっと死ぬまでそうだろう。

永遠を捧げる時間がない

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