NOVEL | ナノ

 あっと思うその瞬間に、私に手を伸ばす彼と目が合うのと、空間が暗闇にととざされるのは同時だった。
 ほんの一瞬の浮遊感が体を包んでから、自らの体が地面に横たわるようにして転がるのがわかる。先ほどまで当然のように差していたはずの日の光は帳をおろしたように消え失せ、見わたす限りは暗闇ばかりだ。
 なにが起こったのか目を凝らそうとした瞬間なにかの気配が現れるとともに自分の体の上に遠慮なく重みがかかる。それには体温があった。そのなにかに頬をなぞられる。その動きに、感触に、人間の手のひらだ、と、思った。触れられた場所も相まって私は思わず小さく悲鳴をあげた。頬を撫でていた手が瞬時に離される。
 私の悲鳴にその人物、誰かが身じろぎをする。その誰かが、声を出した。
「みょうじ、だよな」
「伏黒くん?」
 自分が私のうえにあると認識したのか、伏黒くんが離れるためにだろう、体を起こし動いた瞬間、ごんと鈍い音が響いた。頭をぶつけたらしい。空間には余裕がないようだ。
 暗すぎてまったく顔が見えないがその声は伏黒くんのものだった。恐らく私に駆け寄って手を伸ばしてくれたことで、空間のなかに巻き込まれた私と一緒に閉じ込められてしまったみたいだ。
 なにが起こったのかきちんと把握しきれてはいないが、それでもおそらく先ほどまで目の前にいたあの呪霊によってこれが起こったことといまこの空間が先ほどまでいた場所とは切り離されていること、ずいぶん狭いことは気配でなんとなくわかる。
 立ち上がろうとしてから、起き上がろうとした伏黒くんが頭をぶつけたことを思い出してやめる。気づいたことにほっとした。そんなことしたら今度は私が伏黒くんにぶつかってしまう。真っ暗のなかでぶつかるのは怖い。さっきみたいに変なところにあたったら困る。
 横になっている私のうえに伏黒くんが覆いかぶさるようになっているみたいだった。横たわったままで暗闇のさきに手を伸ばしてみると予想していたより近い場所に壁のようなものが手に触れた。かたくて重そうな感触だ。閉塞感がある。
 足をのばして蹴ってみると下には感触がなかったが、横の方には壁の感触があって、つま先に触れる。足の裏、下の方にはぶつからなくても横には簡単にぶつかった。私の上で伏黒くんが同様に頭の上の方に手を伸ばしている。
「……狭いな」
 やはりそちらも同じような結果らしい。
 私は意識を集中させる。呪霊の気配こそ遠くにあれどこの空間に強い負の感情は感じなかった。呪力でつくられた空間のようだったがこの空間自体が罠だとかそういうものではないようだ。
 私の持つ術式はほかの人より強い感知の能力だった。意識を広げてみる。よく知った存在をふたつ、大きなゆらぎのない状態で感じる。分断されたもののあとのふたりは無事のようだった。
「二人とも無事みたい。たぶんだけどここ、術式でできた罠とかではない、と、思う。危ない気配がしないっていうか、空っぽ? というか……」
「そうか」
 私の言葉は要領を得ず曖昧だったが、伏黒くんはうなづいてくれる、のが気配でわかる。
 とにかく出られるように頑張ってみようと思って壁の感触を確かめるようにふれてみる。同じことを考えていたのか伏黒くんが壁の強度を確かめるように、おそらくこぶしで強くたたいた。その衝撃が触れ合っている部分から伝わってきて思わずびくっとする。私が動揺したのが伝わったのか伏黒くんが動きを止める。ごめんと慌てて口にするといやと返ってくるものの、伏黒くんはそれきりそれをしなかった。
「これだけ狭いと式神も呪具も出せない。逆に圧死する」
 伏黒くんがそう言うので今度は私がうなづく。
「無理にこじ開けるんじゃなくて外から開けられるのを待った方がいい」
「……呪霊自体が祓われたらこの空間からも解放される、はずだよね」
「中身ごと消えないといいけどな」
 そうでないことを私も願った。
 私が役に立つのは感知に関してだけで物理的な攻撃力についてはお手上げだった。なのでこういう状況において私よりも呪術師として経験も多く、強い伏黒くんがそういうのであれば、申し訳ないことに私はそれに頼りきりということになってしまう。
役に立てなくてももうこれ以上足を引っ張らないようにと何度目かは分からない決意を心の中でする。私はそのまったく攻撃力のない感知の術式もあって補助監督を志望して在籍していた。今日は呪術師をを志望するみんなと同じ実習だったのだ。私の術式で隠れていた呪霊の本丸を導き出し二手にわかれて追い詰めたところで、そうして次の瞬間にはこの状況だった。
 幸いなことに外のふたりの存在は健在だ。事前の開示された情報では呪霊自体の等級は強いものではないとのことだったのでなにもなければおそらくふたりによって呪霊は祓われるだろうし、この空間も開かれるだろう。開いてもらわなければ困ってしまう。
 私の上で伏黒くんはもう一度腕を伸ばし壁を確かめている。伏黒くんはこの空間を無理にこじ開けるつもりはないようだった。たぶんだけど私がいるからだ。お荷物であることは明確で申し訳なさで唇をかみしめる。
「伏黒くん、……あの、手を伸ばしてくれて、ありがとう」
 なんといえばこの気持ちが伝わるのかわからなかった。伏黒くんがあのとき私に手を伸ばしたのは紛れもなく私を助けるためだ。そして私を助けるためにこうして一緒に閉じ込められてくれている。
 弱弱しい声を出してしまったことに恥ずかしくなる。でも、口を開くともっと弱弱しい声が出てしまいそうだ。こんな声を出してどうにかなることじゃない、でも。
「いいよ、気にするな」
 私の思考を切り裂くように、伏黒くんが言う。端的なその言葉はだからこそ伏黒くんがほんとうにそう思っていることがわかった。優しい声だった。胸の奥がじんわりと熱くなる。
 その会話をしたきり、沈黙が空間に満ちた。そうしてじっとしているとおかれた状況について改めて実感する。お互いにそれどころではなかったので口にしなかったというか気づかなかったが狭い空間にふたりということは密着しているということだった。つまり、これ以上なく近い。
 私の顔の近くに伏黒くんの顔がある。体は密着していたが重さはまったくといっていいほどなかった。おそらく私に体重をかけないためか、伏黒くんは私の顔のよこに腕をついている。感じる間近の体温を意識した瞬間にぬるいような冷たいような汗が噴き出す。汗臭かったらどうしよう。そんな場合ではないのにそんなことを思ってしまう。
 おそらくこれ以上触れないように、伏黒くんは膝を私の膝の間に入れて姿勢を保っていた。よく考えなくても、わりと、ちょっときわどく感じる。もちろん伏黒くんがそうしていることにまったくもって変な意味なんてないことはわかる。勝手に意識をしているのも私だけだ。でもそうやって意識をしないようにすればするほど足の間にある伏黒くんの膝のことを考えてしまう。
 そもそもそんな姿勢辛くないのだろうか。腕立て伏せみたいだ。
「伏黒くんあの、……大丈夫?」
「なにが」
「いや、……いや、あの」
 思わず、というかどうしても、羞恥心を感じてしまい、口ごもる。そもそも男の子とこんなに近くにくっつくのも初めてだった。こんな格好ふつう彼氏と彼女でもない限りしない距離だ。
 私にとって男の子にこんなふうに押し倒されるような体勢がもちろん初めてで余計に変な緊張で体温があがる。
「えっと、あの、姿勢きつかったら体重かけてもいいから」
 恥ずかしさのあまり思わず早口のうえ小声になった。伏黒くんが一瞬だけ視線でこちらの様子を伺うのがわかる。見えないとわかっていても火が出そうなくらい熱い顔をうかがわれていることに余計に顔が熱くなる。
 真っ暗で何も見えなくてほんとうによかった。
「俺が体重かけたら潰れるだろ。……それに」
 それに、なんだろう。伏黒くんは言葉を切るとそこでいうのをやめてしまった。
 体重をかけられたらほんとうに潰れるのだろうか? 伏黒くんは私より身長が高いが特別に重たいというわけでもないはずだ。そんな話をしたことがないから勝手な予想だけど。それにそれくらい耐えられる、と思う。
 伏黒くんがかすかに身じろぎをする。膝が足の間で動いて私は思わず両手で口を押えた。息を止める。ぎゅっと目をつむってからなんとか呼吸を整える。そして心を決めた。
「ふ、ふしぐろくん、あのね」
「なんだよ」
「足、その、恥ずかしい」
 一瞬を置いて伏黒くんがものすごい速度で動いた。離れようとしたのは分かった。だけどこの狭い空間に離れられる空間などない。その勢いのまま壁に突き当たった伏黒くんの体は跳ね返されて逆にもう一度そのまま私の体にぶつかる。私の制服のスカートがそれに伴って思いきりずりあがって、足が思い切り空気に晒される。
 伏黒くんのひざによって私の両足の間を先ほどよりも深く割り開かれる。もっと悪化した状況に思わずまたあげてしまいそうになった悲鳴を手でおさえるようにして押し殺した。
「……悪い」
 初めて聞いたような声だった。何も言えず私はただ首を横に振った。
 深呼吸をしてから顔から手を離し、めくりあがったスカートへと手をやる。高専の制服の長めのスカートは見事にふともものあたりまでめくりあがったあげく変な風になっているらしく一度では上手くなおせなかった。必死におろそうとするもなかなかおりない。手こずっているその気配に気づいたのか伏黒くんの手が私のふともものあたりに伸びた。
 その気配に無意識に体がこわばる。それがわかったのか手が止まる。変な気を遣わせていることに慌てて大丈夫と答えると伏黒くんの手のひらがふとももに触れる感触がした。私のふとももより低い体温に膝がぐにゃぐにゃに笑いそうになる。そのままスカートがゆっくりと丁寧におろされていくのがわかった。
「ごめんね……」
「……どう考えてもこれは俺が悪いだろ」
 今度はゆっくりと、伏黒くんが私の足の間にある膝を外そうとする。けれどどうしても空間の狭さでそうできないようだった。困らせていることがわかって、やっぱり無理にしなくていいよと言うと苦渋の判断というように伏黒くんは体重をかけるなら、と提案した。
「せめて上下を逆にしたい」
 それで伏黒くんが楽になるならなんでもよかったのでうんと言う。すると覚悟を決めたようにため息をついた伏黒くんが私の背中に腕をまわしそのまま抱き寄せるように体勢を反転させようとする。だけど空間の狭さによってそれは失敗に終わった。伏黒くんにただ抱きしめられるかたちになってしまった。
 悪いとまた謝って沈黙した伏黒くんのからだはそのままもとの位置にもどったものの体勢が悪くなって足がよけいにふれあうかたちになっている。そのせいか伏黒くんのからだはさっきよりも距離をとるようなかたちになっていた。どう考えてもその体勢は伏黒くんにとってさっきよりもきついだろう。私の体はただ寝ころんだようになっているだけだというのに。
 伏黒くんが謝ることなんてない。こんなことで伏黒くんの体に無理をさせたくなかった。私はできるだけ平気そうな声を作って口にする。
「伏黒くん、体重かけて、お願い。ゆっくりなら大丈夫」
 体重をかけるようにすれば伏黒くんの負担は軽くなるはずだ。いい考えのように思えた。けれど伏黒くんが困ったようにする気配が暗闇のなかで伝わってくる。どうしたのと聞こうか迷って、私が実際にそう問う前に、伏黒くんは意を決したように、私の体の上に自分の体をそっと密着させて重さをかけた。
 さっき抱き合っていたとき以上に縮まる距離に心臓が大きな音を立てる。近い。そう! 当たり前のことだが体重をかければ密着するのである。
 完全に考え不足だった。でも自ら望んだのに今更やめて欲しいとは言えないし言いたくない。そもそもこんなことを意識しているのは私だけだ。役に立てるのならただ恥ずかしいことくらい耐えるべきだ。
 伏黒くんの体温がからだすべてで伝わってくる。顔を見ていないからか余計にその熱は鮮明だった。熱いような気がする。分からない。熱い。私の体温が熱いんだろうか。
 徐々にかけられる彼の体重によって、胸が、伏黒くんの胸板によって押しつぶされて下着越しに柔らかく形を変えるのが分かった。腰のあたりから背筋にぞわぞわするような感覚が走る。こんなに生々しい感覚が私に走るのならおそらく、伏黒くんにも私の胸が押しつけられる感覚が鮮明に伝わったに違いない。
 こらえきれない羞恥にいままででいちばん顔に血がのぼった。変な声をあげてしまいそうで、かたく唇を噛む。我慢しようと思うのに目に涙が滲んだ。お互いになにも口にはしない空間のなかで伏黒くんの微かな呼気と自らの浅い吐息が耳に触れる。
思わず伏黒くんの顔を見遣るとやっと暗闇に慣れてきたのか、目を見開くような彼の表情が見て取れた。同じように私の顔も見られているから彼が目を見開いたことに気づいて、これ以上ないくらい熱かったはずの体温がもっとあがった。頭のなかが沸騰しそうだった。彼がなにかを言うために口を開く。その仕草を注視しようとした瞬間、一瞬で視界が開いた。
 光が、世界を包む。まばゆさに目がくらんだ。正しくは私たちを包んでいた暗闇が晴れたのだ。
「何やってんの?」
 困惑したような声にそちらに目をめけるとそこには外で呪霊を祓ってくれていたのだろうふたりが立っていた。片方はその声音通り困った表情をした虎杖くんで、ものすごい目でこちらを見ているのが野薔薇ちゃんだ。
 私と同様に光に目を細めていた伏黒くんとお互いに顔を見合わす。傍目から見れば思いきりくっついて押し倒して押し倒されている状態だった。その瞬間に伏黒くんも私もお互いはじかれたように距離を取った。ほとんど反射的に自分の胸を守るように腕で体をぎゅっとしたのは無意識だったと思う。
「人が呪霊祓ってる間に外で盛るな」
「えっ?!」
「……」
 私が慌てふためく横で伏黒くんはといえば大きなため息をつくと頭が痛そうに自分の額をおさえてから立ち上がった。
地面に座り込んだままだった私の腕を伏黒くんがとってそのまま立ち上がらせてくれる。そうして離れていく手のひらを、なぜか私は名残惜しいような気持ちで見つめてしまった事に気づいて目を逸らした。
 伏黒くんはもう振り向かない。
「祓い終わったのか」
「ご迷惑をおかけしました……」
「適材適所でしょ。見つけ出したのはアンタだし伏黒といちゃついてたこと以外なら良くやったわ」
 いちゃついていたという言葉に思わず無言になる。そんなことはまったくないし伏黒くんは少しも動揺していないのに私ばかりが慌てていたという方が正しい。
 それでも、あの伏黒くんの体の重さを思い返すと、ふれあったときのあの感覚がいまだからだに残っている慌てて私は下を向く。
「顔赤くね? あん中熱かった? 」
 撤収するため歩きだしたみんなのなかでいつの間にか隣で歩いていた虎杖くんがそう声をかけてくれる。心配されていることがわかって(たぶん三人ともが私が目に見えて弱いこともあり心配をいつもかけてしまっていることがある)伏黒くんにすごく助けてもらった、全然大丈夫と明るい声で答えると虎杖くんは頼りになるもんなと笑ってくれた。
 その笑顔になんだかほっとして私も表情を緩めて心配させてごめんねと虎杖くんにほほ笑む。だから、じっとこちらを見ていた伏黒くんのことを私は知らないままなのだ。

それからのキス

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