「マスター」
体ごと抱き寄せられる。結構な距離にいたはずだというのに、私の体はしっかりとアルジュナに支えられていた。
ほとんど反射的に自分の体に空いた穴をふさぐようにしていた腕を、アルジュナがほどく。なにが起こったのか察したのだろう、私の体を見遣ったアルジュナが、ぐっと険しい顔つきになる。
せっかく戦いを終えて帰るところだったのに、ごめん。最後の最後で気を抜いた。と冗談めかして口にしようと思ったのに、口を開いたらうめき声がこぼれそうで奥歯をかみしめた。
「しっかりしなさい」
「……う、ん」
「傷は深くない。意識を強く持つのです」
熱い。嫌な汗が額に浮かぶ。そのくせ指先が冷たい。服越しにどばっと血が体からこぼれ落ちていく感覚がして震えた。震えがからだ越しにアルジュナに伝わったのか恐ろしい顔になる。怖い。
「私は私自身を回復するスキルを持っていますがあなたを回復させるスキルはない。早急に合流すべきです。いいですね?」
「ま、ま、かせます……」
そういうと同時に私を抱えたアルジュナは駆けだした。それこそ恐ろしいスピードだった。こんなふうに抱えて走ってもらったことなどないので初めて体感したが昔乗ったジェットコースターを思いだした。その気になれば空も飛んでるしそりゃそうだ、と現実逃避のような考えにちょっとだけ笑う。
そんな私とは違いアルジュナはいまだ険しい顔をしていた。ケガをした私よりもずっと焦っているような急かされているような、苦しそうな顔だ。抱えて走るのが辛いわけじゃないのは、私でもわかる。
「……アルジュナ」
「どうしました」
こちらを見ない。一心に前だけを向いている。怒ったような表情に、みているこっちが余計にいたたまれないような気持ちになってくる。思わず彼の腕を引いた。血だらけの手で引いたので真っ白い服に(彼自身が戦いで自分の服を汚すというのはあまりみたことがない。今日もそうだ)赤いしみがつく。あっ、と思う間もなくアルジュナはこちらを見た。その姿に服が汚れたことについて頓着した様子は正直言うとちょっとほっとした。もう怒らないでほしい。
「だいじょうぶだよ」
「……」
「だいじょうぶ」
できるかぎりいつも通りに笑う。声がでなくてうわごとのような形になってしまった。けれどアルジュナは無言のままだ。そんなアルジュナをなだめるようにそっと服を引いた。安心させるように大丈夫と繰り返す。
死なないよ、と囁いてそうしてその瞬間目がかすんだ。抱きかかえてもらっているのに体が一回転したような感覚が訪れる。アルジュナが大きく目を見開いて、私は。
「死ぬな!」
空に浮いたアルジュナの表情は遠すぎてよく見えない。視認できるのは青い炎をまとった弓と彼の動作くらいだ。アルジュナが手を掲げる。手の中に青い光が収縮した。彼のその動作に従って、炎が地を這いあらゆるものを燃やし尽くす。その一瞬の出来事は何度見ても圧巻で、私はそのたびいつも彼をかみさまみたいだと思った。
実際に彼は神で、神様の力を持っている。それでもアルジュナは人らしい。心配症で優しくて、割と甘くて私がケガをするのにいい顔をしない。冷静に見えて、いや冷静ではあるけれど意外と感情表現が豊かだ。小さな傷でも嫌がるのに、あんな傷を私が負うのは本当に嫌だっただろうな。初めてだったから、余計に。
地を焼き尽くした彼が空からゆるやかに下降して地に舞い降りる。大地を踏みしめたアルジュナが私へと向かい、手を伸ばした。アルジュナはじっと私を見ている。その表情に怒ったような傷ついたような顔をしたアルジュナの顔を思いだした。アルジュナは武器としての自分に絶対の自信を持っている。そうでなければいけないと思っていて、だから私がケガをすると力不足だと自分に怒る。本当に力不足なのは私なのに。
だから伝えたかった。大丈夫だって。
そうしてアルジュナの手を取ったその瞬間に、私は目を覚ました。本物のアルジュナと目が合った。
「……」
顔が近い。首にあたたかなものが触れている。いつも手袋をしているてのひらが素手だ。素手のまま彼は私の首に触れている。目を丸くした私にアルジュナは咳払いをして手を離した。同時に体も離されたおかげで今いる部屋を確認できる。医務室だ。
麻酔がいまだ効いているのか体がだるい。目だけを動かす。他に人はいない。アルジュナだけだった。
「もしかしてずっとついててくれたの?」
「ええ。あなたが傷ついたのは私の責任ですから」
まさしく思った通りの回答に笑ってしまった。笑った私にアルジュナがまゆを顰める。顔がいいとどんな表情をしても魅力的に見えるからずるい話だ。
「ありがとう。優しいね」
「……なにを言って」
ますますアルジュナが険しい顔をする。声をだすのが正直億劫でどうしたのと視線で問うと、アルジュナは沈黙のあと押し殺すように声を出した。
「あなたはいつも的外れなことを口にする」
「……怒ってる」
「怒ってなどいません」
まず声が怒ってる。今日は怒らせてばっかりだ。いつもはもっとうまくできるのになと思った。うまくいかないときはずっとうまくいかない。
息を深く吸った。いまだに手袋が外されている彼の手を引く。たしなめられるかと思ったけど彼はされるがままなので大丈夫と伝えるようにそっと握りしめた。
「死んだりしないよ」
そうあれるように、自分にも言い聞かせるように口にした。お互いに無言のまま見つめ合うと、あきらめたようにアルジュナは息を吐きそっとわたしのまぶたのうえにてのひらをおとした。まっくらな闇に覆われた世界で、アルジュナのてのひらの温度だけが私の近くにある。
「……ねえ、もう少しだけ、こうしていてくれる?」
「ええ」
「ごめんね、疲れてるのに」
「………あなたは、」
おそらく大分眠りについていただろうにまだ眠気が湧き合ってくる。どろりとした睡魔が思考をぬりつぶし、アルジュナの声すらかき消してしまう。大事なことを言われているような気がするがなにもかも曖昧だ。その感覚さえ現実なのか錯覚なのかわからない。そういえば死ぬなと叫んでくれたアルジュナのあの声は私の気を失う前の夢だったのか錯覚だったのか、それとも。
「あたたかい」
夢じゃないと嬉しいなと思った。言えなかったけど。
◇
目元を覆っていたてのひらを離す。すっかりと目蓋がおちた彼女は眠りについていた。その表情はどこか安らかに見えた。あたたかいとうわごとのようにつぶやいた彼女の言葉がよぎる。やわい力で握られたてのひらは振り払うまでもなく外れてしまいそうだったが、外さずにこちらから握りしめた。そうしてほしいと彼女が望んだのだから。
「疲れているのも優しいのもあなたでしょう」
元来サーヴァントなのだから疲労など人間の彼女と比べるまでもない。それでも彼女は私を気遣う。そうする必要はないと言ってしまえばいいのになぜか私はその優しさを受け取らずにはいられなかった。
あやすような口調でうわごとのように大丈夫だとつぶやく彼女の姿は忘れられそうにない。体に穴のあいた、血だらけの体で、それでも私をなだめるように繰り返される大丈夫だという言葉、いっそ献身的だといってもいいその彼女の様子は哀れだった。死の間際ですら彼女は人を気にかける。―――それが他の誰かでも当然のように行われるのだろうかと思うと胸のおくを一瞬熱が胸の奥を焼いた。
その感覚が理解できずに、首をよこにふる。
ああ、大丈夫だよとささやく彼女の声が、耳から離れない。
青いまま実る夢
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