NOVEL | ナノ

「なんだ、もう眠くなったのか?」
 開いていた本から視線をあげた彼がそういうのでゆるく首を振った。彼がこのベッドに私と一緒に入って、その本を開き読み上げ初めてからまだいくらかの時間もたっていない。それでも確実に重くなっていくまぶたをこする。いつものごとく就眠の供として読み聞かせをねだったのは私だ。だがいつも話の終わりに至る前に寝落ちてしまう。そんな中でも今日はいつにもまして眠くなるのが早い。
 彼のどこか面白がるような声の響きに思わず反抗心が浮かんだのもある。ただそれ以上にこうして一緒にいてくれるのに意識をなくしてしまうことに惜しさがあった。自分が眠りそうになっているということを自覚しているからなおさらそう思う。
「疲れてるんなら休めばいい。なにをそんなに意地になっているんだか」
「なってない。眠くない」
 私の否定にやれやれというように首をふって、彼は朗読を再開する。彼の声は海のさざ波のように静かで優しかった。穏やかといえない話の内容もその声のせいで、あまり切実さがない。いつもは感情の波立ちが明確ではっきりしているはずの彼とは思えないようなその声はいつ聞いても不思議な感じがする。
「少し、意外」
「何が?」
「あなたがそんな風に静かに語るのが」
「そりゃあ寝物語だからね。今度機会があったらもっと感情を込めて語ってやろう」
「……楽しみだ。約束してくれる?」
「マスターが望むならな」
 うたうような調子で返ってくるその言葉に満足して小さく頷く。そんな私を見ながら、彼は目を細めた。その仕草が何を思ってのものなのかは見て取れない。ただ手のひらが伸ばされる。常は指の先まで手甲でおおわれているその手は、今だけは素手だ。そうしてほしいと言葉に出したことはない。それでも彼はいつだってそうする。
 手のひらが髪を梳くように頭を撫でる。むき出しにされた肌に映える鮮やかな色合いに見とれながら私は目をつむってそれを受け入れた。愛でるようになぞるその指先はこれ以上ないほどに心地いい。ずぷずぷと意識が蕩けるような錯覚をする。
「この先もあんたと過ごす時間なっていくらでもあるさ。惜しむ必要はないんだよ」
「……ん」
「ほら寝ろ寝ろ。それとも俺がもうほかのこと考える余裕もなく無理やり寝かしつけてやった方がいいか? マスターはどっちがお望みだ?」
 あやすようだった緩やかな手の動きが一瞬動作を止め、滑るように私の首元へと落ちていく。鎖骨をたどるその指先に身震いするとかみ殺すように彼が喉の奥で笑った。
 答えの代わりに彼へと身をよせるとそのまま当然のように私の体に腕はまわり、すきまがないように抱き寄せられる。
 抱き寄せる腕は恐ろしいほどに力強く、けれども私はその力強さにひどく安心して目を閉じる。自分を囲うようにするその体温が今この瞬間何よりも私に安らぎと安堵をいだかせた。
「眠るといい。何も恐れることはないさ。俺があんたのそばにいる」
 そういわれると本当になにも恐ろしいものはないように思える。少なくともこの腕の中にいる間くらいは、そう思えるような気がした。恐れることはないと言ってくれる彼がいるのなら、それで。だからきっとそれが束の間の勘違いでも構わなかった。きっと、彼がいる間は夢すらも見ないでいられる、それだけで良かった。

茨のままごと

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