NOVEL | ナノ

「姉さん」
 呼ばれ慣れたその単語を耳にして、自分でも意識しないまま肩がはねた。自分がそういう態度をとってしまったことに私は気づかないふりをしてそっと後ろを振り返る。そこには律と茂夫がたっていた。
 学校の帰り道で一緒になったのかふたりとも学生服だ。茂夫は最近部活で忙しくしているみたいででこの時間に会うのは久しぶりのことだった。
「今日は早いね」
「うん、テスト期間だからね」
「律も?」
「そうだよ。姉さんの高校も確か今そうだったよね」
「あ、そっか。なんで気付かなかったんだろう」
「姉さん、抜けてるから」
 当然のようにふたりは私の隣に並んだ。茂夫を挟むようにして並ぶのは、昔から決まりのようなもので今も三人いると自然とそうなる。
 夕暮れの日差しによってみっつの影が道路にさす。昔はいつだってこうやって三人でいたのに、そろうのは珍しくなっていた。それぞれが成長すれば昔のようにはいられないのは当然のことかもしれない。ただ私はそれを思うたび胸を締め付けられるような苦しさを感じる。
「テスト、どう?」
「いつも通りだよ」
「律はさすがだなあ。茂夫は?」
「……数学がちょっと」
「高校に入ったらもっと難しくなるから頑張っておかないとね」
「えっ」
「兄さんのこと脅すのやめてよ」
「いや私も経験してるから二の舞にならないようにだよ」
「名前ちゃんでもなの?」
「うん。……ああもう、そんなにへこまないで」
 無表情なのに落ち込んだような雰囲気をまとわせる茂夫の頭に、思わず手を伸ばしていた。あ、と思ったものの茂夫は目を丸くしてから何も言わずされるがままになる。嬉しそうな顔をするので、撫でるのをやめられなくなってしまう。いじられたことが一度もないその髪はさらさらで指にふれると心地がいい。
 慰めるために私はそっと話題を変えた。
「そういえば今部活で頑張ってるんでしょ?」
「うん」
「よしよしえらいね。茂夫が頑張ってるって聞いて嬉しいよ」
「みんなすごくて頼りがいのある人達なんだ」
「そっかあ。いい人たちなんだね」
「姉さん」
 律の、その声に、私は茂夫から手を離した。じっとこちらを見る律の目は光の加減のせいでより黒く、暗く見える。姉さんと、律はもう一度私を呼んだ。
「テストの範囲で分からないところがあったんだ。今日、聞きに行ってもいいかな」
「……私でわかるところなら」
「あ、じゃあ僕も聞きたいところが」
「そうだね、兄さんも姉さんに聞くといいよ。姉さんは大人だからなんでも知ってるんだ」
「律」
「そうでしょ、姉さん」
 律はそういうと優しくほほ笑んだ。律のその笑みは完璧で、こうあるべきだというようなお手本のようでもある。まるで天使みたいだった。
 夕日の光が目に染みて、私は思わず目を細める。そうだねと、肯定する自分の声はこう出そうと思ったよりもずっと小さなものだった。



「勉強って、兄さんにもこういうことおしえるの?」
 学生服のままベルトを外しズボンをくつろげた律は、私に口でするように命じてからそう尋ねた。
 抵抗することなくそれに顔をよせた私の髪を、律は触れる。優しく優しく、私が茂夫にしたように、触れる。律はそうすることが好きなようだった。
 口をあけて舌を出しながら私は答えた。
「……こんなこと、律以外にはしないよ」
 その答えに満足したのか、律は機嫌がよさそうにいい子だねと私の頭を撫でる。自分が律にこんなことをしながら頭を撫でられていることにくらくらした。
 震える舌を早く終わらせるために必死で動かす。律がどうすれば気持ちよくなれるかなんて本当は知るべきことではなかったのに、私はそれを身をもって学んでいた。無心でそうしていると、律は気持ちいいよと恍惚とした声で囁く。その声にもっと激しく口を動かすと耐えきれなくなったのか律はくちにだすねと楽しそうに言った。
 その言葉通り、舌の上に苦い味が広がる。そこでようやくそれをくちから外された。
「舌見せて」
 精液で汚れた舌を素直に出して見せると、律は嬉しそうな顔をした。
「飲んでくれるよね」
 どこか期待したような、恥ずかしそうな声だった。吐き出すという選択肢はなく、そのまま飲み込むとそのままキスをされた。苦いと、律が小さく笑う。いつものことなのに律はいつだってまるで初めてそうした時のような喜び方をする。
 舌を絡めるキスを何度もして満足したのか律は私の肩を抱いてそのまま一緒にベッドの上に転がった。
「姉さんは最近僕にいい子だねってしないんだね」
「……」
「仕方ないかあ。だって今はもう姉さんが僕にされる側だもんね」
 彼女にするような甘さのこもった、囁きだった。でもそれらの言葉は律の中で完結されていて私の返事は最初から求められていなかった。きっと律は私にはもう期待をしていないようにしていた。律本人がそういったわけではないけど、こうして一緒にいると嫌というほど分かる。
「姉さんにそうされるたび、僕はやっぱり弟なんだなって思い知らされるから本当は嫌いだったんだ」
「……そっか」
「でも今考えるともったいないような気もする。もっとしてもらえばよかったって思うよ」
「してあげようか」
「ううん、いいんだ。僕はもう姉さんにそうしてもらう権利はないから」
 寂しそうにそういって律は私の髪を撫でた。頬にかかっていた髪の毛を耳にそっとかけられる。悲しくなるくらい優しいしぐさだった。横になったまま律は手を動かして私のスカーフをほどく。
「さっき別れるとき、兄さんと何を話してたの」
「……律と、」
「うん」
「喧嘩でもしたのって。僕に力になれることがあるならなんでもするからって」
「兄さんそういうところはびっくりするくらい鋭いよね」
 どこか呆れたような、嗤うようなそんな声はきっと茂夫に対してのものではなかった。律は茂夫のことが好きだからだ。律は茂夫にそんなことはしない。
 この状況に対してだったのかもしれないし、もしくは律本人に対してなのかもしれないと思った。自分から望んだくせに律はこの状況をきっと後悔していた。きっと律はこの状況に満足なんてしていなかったし、この先もそうだろう。私が分かっているように、本人が一番知っていることなのだ。
「兄さんには喧嘩なんてしてないよって僕から伝えておくね。だって僕たちはこんなに仲良しなんだから」
「……そんな顔しないで、律」
「どんな顔? 僕は姉さんを手に入れられて、こうやっていられることがすごく幸せなのに」
 ちっとも幸せなんかではない表情で言う律にたまらなくなって私は律の体を抱きしめた。自分の胸に押し付けるようにして律の体を抱く。律の体は骨ばっていてかたい。女性的でもなかったけど男性的でもなかった。まだ子供のものだった。
「ねえ、姉さん。じゃあ僕はどうすればよかったの」
「……」
「兄さんみたいに姉さんのことちゃんと姉として慕いたかった。姉さんって呼んでない兄さんの方が、ずっと健全なんだよ。笑えるでしょ」
「……」
「僕は、兄さんになりたい」
 私は何も言えず泣き出しそうな律を抱きしめることしかできなかった。律のその言葉がなによりも本心だと知っていたから。私にはどうしてあげられることもできないことだった。
 律がしたことを私は裏切りのように感じていたけれど、すでにそんな感情はとうに消え失せていた。今では自分でどう思っているのかさえ言葉にできない。こうやって一緒にいればいるほど、私は律を悲しく思った。
 こうなった今でも私は律を嫌いにはならなかった。これからもそうだろう。分類することができない律への思いは私の中で澱のように降り積もっていく。
「私は律のことが好きだよ」
「嘘つき」
 どうすればよかったのか、私が一番知りたかった。だけど大人ではない私には今日も答えを出すことができない。

最果ての地、幸福の国

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