NOVEL | ナノ

 学校から外に出ると予想以上に暗く、ため息が出そうになった。仕事が少ないと思って所属した美化委員は思った以上に本格的でいっそ部活といってもいいんじゃないかというような内容なのだ。あとあと知ったのだけど美化委員は仕事量の多さで有名だったみたいだ。ということを所属してから聞いた。聞くのが遅かった。中学の時がそうだったからそう思いこんでいたので完全に想定外のことだった。
 いまだ電気のついているグラウンドの脇を通りながら来年は絶対美化委員はやめようと決意する。でもそんなこと決めてもあと一年丸々あるのだ。
 そんなことを考えていたせいで、私はそれに気づけなかった。気づいたときには頭に衝撃が走っていた。後頭部に何かがぶつかった衝撃で目の前に星が落ちてくるのが見えた。もちろん錯覚だ。
 ぶつかったせいでバランスが狂ってそのままころぶ。地面にはサッカーボールが転がっていてこれが犯人に違いなかった。手がつくのが間に合ったのでそこまでひどいことにならなかったけど頭は痛い。
 一体誰がこんなことをとすさんだ目でグラウンドを思わず見る。するとすぐにグラウンドから出てきた人影があった。水樹くんだった。走り寄ってきた水樹は私に手を差し伸べた。
「大丈夫か?」
「……びっくりしたよ」
「すまん」
 異性に手を差し伸べられるという状況が初めてで一瞬だけためらった。でも変に照れるのもおかしいのでその手を取る。水樹くんの手はさっきまで運動していたらしく熱くて少し湿っていた。
 いまだに異性のクラスメイトは名字くらいしか把握できてない私でも水樹くんのことは分かる。私が注目していたとかじゃなくて水樹くんは目立つのだ。入学してから間もないクラスのなかで水樹くんは天然なのか天然じゃないのかよくわからないキャラで定着していた。
 グラウンドに人影はいない。この時間だからもう部活の時間は終わってるはずだ。
「水樹くんサッカー部だったんだね」
「相撲部がないから」
「え? 相撲部?」
「うん」
 相撲部ってある学校のほうが珍しい気がする。それでサッカー部っていうのはもっと珍しい気もするけど。
 よくよく聞けば真中くんに誘われたらしい。真中くんはサッカーのスポーツ推薦で聖蹟に来たらしく、すごいというのを聞いたことがある。
「水樹くんは中学はサッカー部じゃないの?」
「陸上部だった」
「えっ、じゃあ高校からなんだ。すごいね」
 聖跡のサッカー部は強豪で有名だ。高校から入ってついていけるんだろうか。もしかしてものすごく才能があるとかなのかな。
 私のそばに転がっていたボールを拾い上げて水樹くんに差し出した。受け取った水樹くんを見ればてのひらだけではなく髪にも汗が滴っていた。いつから自主練をしていたのかよくわからないが部活が終わってからもずっとやっていたのかもしれない。
「頑張ってるんだね」
「下手くそだからな」
「えっ」
「だからやるしかない」
 水樹くんのその言葉は、変に謙遜が入ってるわけでもなく自虐的でもなくその通りの言葉のようだった。そんな風に自分を下手くそという人を初めて見た気がする。なんというか委員会に入ったことをぐだぐだと後悔している自分と比べると、よっぽど前を向いている。簡潔でひどく明快な言葉だった。
 水樹くんとこうして話すのは初めてだったけど、この人は天然とかじゃなくてとても真面目な人なのではないのかとふと思った。
「すごいね」
「そうか?」
「うん。そっかあ、じゃあ頑張らないとね」
 上手くなるためにもと笑う。生意気に思われるかなと思ったけど水樹くんは真面目な顔でうなづくだけだった。私が頑張ってなんて言わなくても水樹くんは頑張るんだろうなと思ったけど言いたくなったのだ。
 飲もうと思って買ってカバンに入れていたペットボトルを出して、水樹くんに差し出す。スポーツドリンクとかではなく微炭酸のジュースだったけど、いてもたってもいられなかった。ちょうどいいことに未開封だし。首をかしげた水樹くんの手に押し付けた。
「あげる。練習頑張っての応援ってことで」
「名字のだろ、これ」
「いいよ、まだ口付けてないし。ぬるいかったらごめん」
「いや、ありがとう。……そういえば名字はなんでここにいるんだ」
「ああ……。うん、委員会があって」
「この時間まで? 大変なんだな」
「私も予想外だった」
「名字も頑張れ」
 多分何気なく言ってくれた言葉だったと思う。私が頑張れって言ったからその代わりに言ってくれたのかもしれない。でもびっくりした。それと同時に単純なことにちゃんとしようと思えてしまった。
 大きな声でありがとうと返すと水樹くんは何も分かっていないような表情でうんと言う。
 じゃあまた明日と、私が歩き出そうとした瞬間に水樹くんは名字と声をあげた。
「どうしたの?」
「スカートが捲れてる」
「うわっ」
 ぎょっとしてスカートを見ればさっき転んだせいかその言葉通り捲れていて慌ててなおした。大きく捲れていたわけではないけど太ももが大分さらされていた。いつからそうなってたのだと聞けば最初からと返ってくる。恥ずかしくて顔から火が出そうな私と違い水樹くんには一切照れた様子がない。まさに普段通りだった。女の子に慣れてるからとかじゃなく本当に気にしていないみたいな様子だった。いや照れられても反応に困るけど、正直もっと動揺してほしい。
 咳払いをして今度こそさよならをつげようとすると水樹くんは私があげたペットボトルに視線を落としてから言った。
「同じ色だな」
「……そういうことは言わなくていいの!」
 一瞬遅れて下着の色の話だと理解して思わずそう叫んでいた。バイバイ!と大声で言った私に水樹君はやっぱり何も分かっていないような顔をする。水樹くんのその言動はわざとでもなんでもなく、セクハラの意図ももちろんないのだ。前言撤回する。真面目とかじゃなくて、いや真面目にやってるからこそなのだろうけど、水樹くんは紛れもなく天然だった。



 水樹くんとは元々席も近かったのもあって、あの日からよく話すようになった。話すようになったというか私が話しかけるようになっていたのだった。あの日のあの会話を通じて(私が勝手に感じていることだけど)話しやすくなった。
 あの日と言えば、私はあれから真面目に委員会に取り組むようになった。いやいやながらしてたときには気づかなかったけど、この仕事がなかなか面白いのだった。少なくともあの初めのころよりはずっとマシな意識になったと思う。私が頑張ると同時に、水樹くんも部活でどんどん実力を発揮しているみたいだ。といっても私が直接見ているわけではないので噂だ。水樹くんはあんまり自分のことをしゃべらない。
 そんな水樹くんはなんだかモテるようになっていた。部活効果じゃないかな?と友人との会話ででたことがある。そういうことがあって、なんとなく、部活のことを聞けなくなった。きっと部活の話をしたら私はその話題を聞いてしまうからだ。多分水樹くんは気にしない。でも下心があるみたいで、私は、やっぱり嫌だった。

「名字」
 後ろから投げかけられた声に私は立ち止まった。その声の主は、見なくてももう声で分かる。振り返ると声をかけた張本人である水樹くんがたっていた。テスト期間ということで部活動は停止されているため、水樹くんはジャージではなく制服だ。
「忙しいか」
「あー、勉強?」
「お前が校内に残ってるから面倒見てもらえって」
 確か水樹くんは担任に呼び出されていたはずだった。成績のことだったらしい。水樹くんの勉強の面での成績は、なんというか非常にまずいので(ただマーク模試は良い)機会があるときに勉強を教えていた。本格的なものではなくここを中心に勉強しておいた方がいいよぐらいのものだったけどなんとなく続いて、それを水樹くん自身が何も考えず口にするので周りにもそれが『普通』のことのようになっていた。
 少し恥ずかしい。でも私はそれ以上に嬉しかった。
「ごめん、一回この荷物置いてきていい?」
「うん。委員会?」
「そうなの。部活は停止になってるけどこっちはそういう都合あんまり関係ないから」
 持つよ、というように手を差しだされたので素直に甘えて腕の中に抱えていた器具の何本かを渡す。重さでしびれた手のひらをぐーぱーしていると、水樹くんはやっぱり何も言わずに私が持っていた残りの分も手にした。びっくりして水樹くんを見上げると水樹くんは真面目な顔で私を見返した。
「重いな」
「だよね。だからいいよ、私も持つ」
「いや俺が持つ」
「……ありがとう」
「うん」
 重いと言うのに私が持つよりずっと軽く持ち上げている水樹くんと一緒に用具室まで歩き始める。水樹くん持つって言ったけどどこまで持つとかたぶん分かってないだろうなって思った。でも結局私も一緒に行くのだからいいんだけど。
 道中で私がするくだらない話に水樹くんは微妙に外れた突っ込みを入れたり、水樹くんの話を聞いたりした。クラスでも割と話すほうだけど話題は意外と尽きない。そうして話している途中で、水樹くんは廊下の窓からふと外に目をやった。その窓からはグラウンドが見えた。
「したい? サッカー」
「練習はないけどボールは蹴れる」
「蹴っちゃダメ。勉強して」
 愚問だったなあと、笑って、私は目を細める。
 水樹くんのことを私は尊敬していた。話しやすいとも思っていた。人として好きだ。すごい人だと思う。私はひっくり返っても水樹くんのようにはなれない。ただ、なぜか、時々水樹くんと一緒にいるのが、とても、息苦しくなる。
「……でも、勉強なんて水樹くんには必要ないかも」
「なんで」
「だって水樹くんは、プロに行くんでしょ」
 あてこすりみたいなそんな言葉に後ろめたさを感じて、そっと唇をかみしめた。
 水樹くんがプロに行くだろうって話は、他人から聞いたものだった。私はもう水樹くんと部活の話を積極的にしなくなっていたけど、水樹くんとサッカーが切り離せないのは分かる。最初はあんなに素直に応援できたのに、最初は話すのがあんなに楽しかったのに、どうして私はこんなにも変わっちゃったのだろう。
 ごめん、と口にする。水樹くんは何に謝られているのか分からないといったような顔をした。水樹くんが分からないように私も水樹くんにどうしてほしいのか分からない。私はそんな感傷を振り払ってわざと明るい声を出した。
「変な空気にしてごめん。さっさと片付けて勉強しよっか」
「名字」
「……なに?」
「寂しそうな顔してる」
「……してないよ」
「俺にはそう見える」
「見間違いだよ」
「今もだけど」
「実はもともとこういう顔なんだ」
「名字」
「だから、」
 水樹くんはそこで、私に手を伸ばした。予想もしないその動作に体がこわばる。無言のままその動作を見守っていると、水樹くんは確かめるように私の顔に触れた。遠慮も躊躇いもないしぐさだった。水樹くんらしかった。
「ひきつってる」
 まっすぐな目で、水樹くんは私を見た。水樹くんが何を考えているのか私にはやっぱりさっぱり分からない。私のことを考えているのかも分からない。でも、水樹くんの目には私が映っていた。水樹くんは私を、ちゃんと見ていた。
「……そうだね、寂しいのかも」
「なんで」
「水樹くんが、」
「俺が?」
 すきだからと、何も考えずに口にしそうになった。危なすぎて思いきり舌をかみそうになった。
「なんでもない。……なんか、水樹くんと一緒にいると余計なことまで言っちゃいそう」
「言っちゃダメなことなのか」
「水樹くんが困ることだから」
「俺はお前に何を言われても困らない」
「……そうだったらいいんだけどなあ」
「信じてないだろ」
「いや信じてるけど、ううん、いや、いいよ。忘れよ。この話終わり」
「終わってない」
「終わりです」
 いまだ納得してないような顔をする水樹くんの背中を押した。ほらほらというと、(あまり表情には現れてないけど)しぶしぶといったようにもう一度歩き出す。私も一緒に歩き出しながら、窓の向こうへ視線をやった。今ここに、私の隣にいる水樹くんが走り回っているあのきらきらした姿を思い出す。きっと私には一生手に届かない姿だった。
 私は、私とこうして一緒にいてくれる水樹くんが好きだ。だからこのままでいい、それだけでいい。私は目を逸らす。ああ、それでも、いつか好きと言えたらいいのになと思わずには居られないのだ。

微かひかる

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