NOVEL | ナノ

「大人になるってどういうことだと思う?」


 背中に伝わる彼の背中の体温に思い切り体重をかけながら、問うた。ぐいぐいと思い切り押してみてもさすがこうがみくん。びくともしない。わざわざソファーの上で背中合わせになっている私たちはお互いに別々のことを行っているところである。
 こうがみくんは明日お仕事なので資料のチェック。私は明日非番なので友人からのメールのチェックや、ブックマークしているニュースサイトの閲覧というものだ。


「……突然だな」
「んーとね、この前友達と話題になってさ」


 視線にあわせて、映し出されている画面がスクロールされていく。目にはちゃんと文字が映っているのに、脳にちゃんと届いてないのに気づく。上滑りする視線に、小さく笑った。文字を読んでいる実感はあるのにまるで内容が頭に入っていかない。これ以上読んでいても意味ないなと、強制的にシャットダウンする。ネットをするときにだけかけているメガネをとって隣のテーブルに放り投げた。


「友達はね、ずるいことを罪悪感なくできるようになったら、だっていってた」
「ずるいこと、ねえ」
「そういうの実感するようになると年取ったなあって思うんだってさ」


 長時間サイトを閲覧したせいか疲れきっている目を伏せた。伸ばしていた足を引き寄せる。所謂体育座りの体勢になって溜息をついた。
 こうがみくんに体をよせるとふわりと煙草のにおいが鼻をくすぐる。その匂いになんだか胸がいっぱいになった。と、今度はこうがみくんが背中に寄りかかってくる。ぐいぐいと私のように加減なしだ。


「重たいっす、せんぱい」
「お前もやったろ」
「先輩とは鍛え方が違うんすよー」


 かっこつかないないせりふだなあと心の中でつっこみを入れて、こうがみくんの背中に体をあずけた。こうがみくんの背中は鍛えられているせいかちゃんとがっしりしている。そしてそれはあたたかで、決して私を拒絶しない。そんな彼の背中はふれていると何だか安心してしまう。


「お前はどう思うんだ」
「わたしー?うーん。いろいろ考えたんだけどなんかしっくりこないんだよねー」


 大人と子供の境ってなんだろうねと小さく呟いて、足の上に組んでいた腕の中に顔をうずめた。彼の背中の確かな体温と幽かな疲労で睡魔が私をぐるぐると誘惑してくる。あ、やばいと思うのもつかの間。私の意識は眠りの世界にひきずり込まれてしまう。こちらを向かないで、でもちゃんと私に向けられていた彼の小さなおやすみという言葉にうすく、笑った。









゜。









 私の黒いスーツは血とべったりと汚れていた。それにならうようにドミネーターもまた血で汚れている。もちろん私の血ではない。先程まで息をしていた、―――生きていた、人間の血だ。この世界にはいらないとシビュラシステムに判断された彼は、私のもつドミネーターにより肉塊となった。
 荒い息が耳に付く。馬鹿みたいに荒いそれが私のものであることに現実感がない。犬のようなそれがいやに耳に障った。地面に座り込んでしまったせいでスカートもすっかり汚れている。地面は血の海だ。
 アナウンスとともに通常モードへと切り替わったドミネーターは血のせいでなまあたたかい。その温度がひどく気持ち悪くて、思わず手を離す。血の海の中で肉の塊となってしまった彼に気持ち悪さを覚えてしまう私に腹がたった。やりとげたという達成感と、手に残るドミネーターをうった瞬間の反動が、心臓を震わせる。

…連絡、しなきゃ。この死体を片付けてもらわなきゃ、いけないし。


「名前」


 肩をつかまれた感触に目を見開いた。思わず体を強張らせると、こうがみくんが私の瞳を覗き込んでた。座り込んでしまっている私と視線をあわせるように彼はしゃがみこんでいる。…彼がこんなに近くに来るまで気づかなかったのか、私。
 荒い息のまま、小さく彼の名を呼ぶ。そんなわたしの様子に彼は眉をひそめた。彼の存在に少なからず安堵して息を深くはく。


「立てるか?」


 その言葉にうなずいてよろめきながら立ち上がる。体が重かった。彼の大きな手が私を支えるために背中に回る。熱いその温度がどうしようもなく心地よかった。ふらふらとしながら彼の腕につかまる。誰かにつかまらなきゃ倒れてしまいそうだった。


「ギノには連絡した。もうすぐ来るとさ」
「うん」


 こうがみくんの腕をつかんでいた手に力を込めた。私の手に力が入ったことが分かったのか、彼は薄く目を細める。その瞳に、ごまかすように笑って首をかしげて見せた。すると、こうがみくんの私の背に回っていた手がなだめるように背中を撫でた。
 その感触に体をまかせてる。撫でられるたびにひろがるのは安堵感だ。けれどそれと同時にこころに重たいものが沈んでるのが分かる。彼がふっと口を開いた。


「……前に大人になるということがどういうことかお前は俺に聞いたことがあるな」
「うん。それがどうしたの?」
「俺は意識しないでウソをつけるようになったら、だと思う」

大丈夫じゃないならちゃんと言え



 そんな風に続けられた言葉に、小さく目を見開く。私のその反応に彼は前を向いて、背中から手を離してドミネーターをひろいあげた。血だらけのそれをこうがみくんはためらいもせず握り締める。そうしてそれの背中を私にしたようにゆっくりと撫でた。
 彼の言葉をゆっくりと頭の中で咀嚼する。その答えは友人の言葉よりもしっくりと脳になじんだ。それと同時にウソを彼にはつきたくないなあと思った。あいしている彼には、あいしているからこそつきたくないと、思った。肉の塊とかしたあの男性があるはずもないけれど哂っているような気がして何だか少し泣きたくなった。

嘘吐きより愛を込めて

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