恋と呪う | ナノ

恋と呪う

 私が連れ込まれたビルからでるとすでに日は落ちて暗くなっていた。風が冷たくて思わず身震いすると阿含さんは私の手を離してスカジャンのチャックに手をやった。上まできっちりしめられる。
 私に貸してしまったせいで阿含さんは中のティシャツ一枚だ。半そでで寒くないのかな。体温が高いからなのかも。……でもこれで風邪ひいたら。私は阿含さんの体を気遣わなければいけない立場なのに、せっかく着せてくれたから言いづらかった。ううん、違う。阿含さんがしてくれたからおしいって感じてしまったのだ。
 阿含さんは私をじっと見下ろしている。どうかしましたかと言葉にする前に、手がのばされた。指先がくちびるをぬぐう。
 その動作になぐられたときに唇が切れたことを思い出した。くちびるにふれた指先はそのまま頬を撫でる。私の手を握ってくれた阿含さんの手はあんなにも熱かったのに、冷たいようにすら感じた。そこでようやく腫れてるんだということに気が付いた。
「……痛くないですよ」
「……」
「なんか、ぜんぜん、平気です」
「今はな」
「や、やっぱりそうなんですか?!」
 殴られたのにそこまででも痛くないような気がしたけどやっぱりこれはアドレナリンとかそういうやつなのかな。そんな反応をした私に阿含さんは舌打ちして、頬から手を離した。あっさりと離れていくそのてのひらは惜しくてもっとしてほしいって思った。言えるわけなかったけど。
 そうして阿含さんはそのまま携帯を取り出すとどこかに電話をかけ始める。話している最中なので誰ですかと聞くこともできない。ぼんやりと手持ち無沙汰で待っていると、阿含さんは突然私に話題を振った。
「おい、顔以外にケガしてんのか」
「あ、大丈夫です! ないですよ!」
「今車まわさせるからお前それに乗って帰れ」
「えっ。阿含さん帰っちゃうんですか?」
 面くらった顔をされた。それから苦虫を噛み潰したような顔になる。阿含さんは私の問いに肯定も否定もすることなくそのまま電話を再開した。何かを断っているようだ。その話方からなんとなくヒル魔さんだろうなと、思った。
 電話を終えて、阿含さんはちいさく私の頭をこづく。痛っと思わず声をあげてしまったたけどあまり痛くはない。阿含さんは大きく息を吐いてから言った。
「お前さあ」
「なんですか?」
「……」
「阿含さん?」
「……なんでもねえ。それよりなんで俺のこと売らなかった」
「……」
「俺が売られたぐらいでどうにかなるわけじゃねえってお前分かってるよな」
 阿含さんは私を見ている。私も阿含さんを見上げた。なんとなくかなあって笑って答えようとして、ちょっとだけ、迷う。阿含さんもたぶんそんな答えを待っていた気がしたし、本気で答えるようなことでもなかったはずだ。でも結局そのまま自分の気持ちを吐き出した。
「いや、だったから」
「あ゛?」
「……どうせ阿含さんが悪いことしたんだろうなあって思いました。阿含さんの言う通り、このままあの人たちに教えても阿含さんは返り討ちにしちゃうんだろうなっていうのも分かってました。素直に従ってたら殴られなかったのかなって、今考えても思います」
「だったら」
「でも駄目です。私がいやでした。私は阿含さんのこと裏切りたくなかったです」
「……」
「そ、それだけなんです」
 本当にそれだけのことだった。選択肢を迫られたときに、それに伴う結果がどうこうじゃなくて、私はそれを選びたくないって思った。他に理由らしい理由なんてない。
 実際考えてみれば変に深入りしないで阿含さんのこと話して逃げればこうはならなかったはずだ。阿含さんは私が黙秘することを望んでもいないし期待してもいないだろう。今度会った時にお前俺のこと売ったってどういうことだ?って怒られていびられてからかわれて、それで終わりになった気がする。もしかしたら私がそうしたこと自体ばれなかったかもしれない。でもそう思うのに、私はこっちを選んだ。
 じわっと、目が熱くなった。まばたきとともに涙がこぼれてあわてて手でぬぐう。服を裂かれたときも連れ込まれたときも殴られたときも泣かなかったのに、ここにきて耐えられなくなってしまった。
 阿含さん、私、と、何を言いたいのかも分からなくてしゃくりあげる。阿含さんの顔は怖くて見えない。ごめんなさいと謝ろうした瞬間、涙をぬぐっていた手をぐいっとひかれて思いきり抱きしめられた。
 体を引き寄せられて、おでこを胸に押し付けられる。これまで冗談やいたずらとかで抱きしめられたりかかえられたりすることもあったけど、今までのそれらのどれとも違かった。
 大きなてのひらがあやすように私の髪を撫でる。どうすればいいのか分からずしているようにたどたどしかった。阿含さんは女の人に触れることだってたくさんあったはずなのにと思って、ああ多分阿含さんは誰かに優しくしたいと思って触れたことがないんだなって気づいた。だからこんなにもためらい交じりに、阿含さんは私に触れる。
「バカな女」
 ただ私は阿含さんの体をきつく、きつく抱きしめ返した。縋りつきたい気もしたし、阿含さんを抱きしめてあげたいような気分だった。こんな風に思わせられるから阿含さんは年上の女性にもモテるのかな。好きなようにふるまってこんなのずるい。
 今まで気づかないようにしていたことを思い知らされて、私はその自覚にどうすることもできなくてただ目をつむる。この気持ちがどうなるのかとか、きっとどうでもよかった。こうやって抱きしめてくれるなら、私はもうそれだけでよかった。
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