恋と呪う
むきだしのコンクリートに思いきり打ちつけられた衝撃で思わず目をつぶった。零れ落ちそうになる悲鳴は大きな手のひらがくちびるをふさぐことでかき消される。その手の遠慮のなさに首を冷たい汗が流れた。私の怯える様子に、目の前の男はにやにやと笑ってみせる。抵抗のためにふりあげた手のひらは容赦なく抑え込まれた。ばたつかせた足は馬乗りになられたことで完全に動けなくなる。
その瞬間、すでに朽ちていた扉が破壊される勢いで思いきり吹き飛んだ。私の上に馬乗りになった男も隣でカメラを準備していた男も、もちろん私もそのすごい音がした方へと思わず視線をやる。扉がひらいたことで暗い空間に光が差した。その光の中にある人物は逆光になって私からは見えない。まぶしくて目を眇めた。
その人物に二人は目に見えた慌てていた。なんで、とかどうやってと声をあげるのが聞こえる。私はその人物の顔を見るために目をこらした。一瞬ヒル魔さんかと思った。いつも私がピンチのときに助けに来てくれるのはヒル魔さんだったからだ。でも違う。――阿含さん、だ。
胸の奥があぶられたように熱くなる。それと同時に安堵で力が抜けた。我慢していたのにじわっと涙が浮かぶ。くちをふさいでいた手が離れた。阿含さんと目が合う。
「……あごんさん」
思わずかすれた声で口にした。きっと届かなかったはずだ。
でも阿含さんは見たこともないような顔をした。いつもの馬鹿にするような顔でもにやにやと笑う顔でも怒った顔でもなくて、真顔に近かった。その表情に思わず咽喉がひくつく。助けに来てもらった側の私ですら恐ろしく感じたのだから二人はそれ以上だったと思う。阿含さんが近くにいた方の男に殴りかかるその瞬間を私は認識できなかった。殴打音に反射的に目をつぶる。聞こえる悲鳴に思わず耳をふさいだ。
◇
「……これ以上やったら死んじゃいますよ」
「あ゛あ゛?」
私の言葉に、男の一人の胸倉をつかんだ阿含さんは顔だけをこちらに向けた。すでにぼろぼろになった状態で転がされているもうひとりは体を丸めて泣いている。顔ははれ上がっていた。見えない部分もそうだと思う。押し殺すようななき声になんとも言えない気分になった。
「阿含さん」
たしなめるように呼ぶと、阿含さんはまだ収まらないような顔をしたけれどそのままその男の胸倉を離した。駆け寄って、その手を取る。振り払われるかなって思ったけど阿含さんはされるがままだ。それに、ちょっと、安心する。返り血で汚れたこぶしはかたくて熱い。そして阿含さん自身のこぶしも傷ついていた。あんなにも人をなぐったらそうなるに決まっていた。阿含さん自身は気にするそぶりはないけれど見ていて痛々しい。
こぶしを手に取る私を阿含さんはただ見つめたまま口を開いた。
「……バレないようにする」
「そ、そんな声でいってもだめです」
「チッ」
なぜそんなすねたような声を出すのか。聞いたこともないような声にびびりながら否定すると阿含さんは舌打ちした。いいよって言ったら本当に完全犯罪をなしそうで怖い。そんな風にいろいろいっぱい思ったものいつもの様子に戻ってくれたみたいでほっとする。
阿含さんは私の引き裂かれるようになっていた服装を一瞥した。
「貧相な体だな」
「ほっといてください」
思わず身を隠すように体をよじった私に阿含さんは着ていたスカジャンを脱ぐと無言でこちらにつきだした。阿含さんの顔を伺う。着ろと言うことらしい。このまま外を歩ける格好ではないの感謝して受けとる。サイズが全然違うのでぶかぶかだ。服に着られているみたいな状態になっていた。手間取りながら袖を通しているとかたいなにかがひしゃげる音がして思わずそちらに目をやる。
撮影するために持ち込まれていただろうビデオカメラが阿含さんの手の中で形をかえていた。へし折られてばきばきになったカメラは床に放られて思いきり踏み潰された。執拗に何度も踏み潰される音が恐ろしいのか男のすすり泣きの声が大きくなる。その男の声にいらついたのか、阿含さんはその男を蹴り上げた。
「なに泣いてんだ? コイツが泣いてねーのにテメエが泣いてんじゃねえよ」
「阿含さん、私大丈夫ですから」
「……お前、コイツ等のこと許すの?」
「未遂だからいいです」
ぼろぼろだしもう十分と伝えると、阿含さんは無言でもう一度蹴り飛ばした。ぎゃっと悲鳴があがる。だけどそれでおさめてくれることにしたらしい。阿含さんは私の手を握ると、入口へと向かった。阿含さんのてのひらは大きくて、握られるというより包まれるようだった。私よりずっとその手は熱い。 引っ張られるようにされてもたつく私を見て、阿含さんは何も言わずにちょっとだけ歩みを緩める。きつく確かめるように手に力を籠められると、泣きそうになってくちびるをかみしめた。