「お邪魔しまーす…」
戸惑うことなく靴を脱いであがる爆豪くんの後ろで私はそう恐る恐る口にした。なんといっても初めての爆豪くんの家なので正直にいうと声が掠れそうだった。
しゃがみ込んでローファーをそろえて端によせる。玄関はしっかりと整頓と掃除をされて出ている靴がない。爆豪くんのおうちはみんな爆豪くんのように几帳面なのだろうが。
「おい」
そんなことを考えていると声をかけられた。爆豪くんがこちらを振り返ってたっている。声をかけられて私はうんとうなづいて、彼の背中を追いかける。
夏休みが終わり、高校に入って二度目の秋になった。ほとんど実践訓練が日常的に行われながらもそれでも実施されるのが中間テストだ。順位としては常に真ん中かその下あたりをさまよっていた私だったけど(さすがの爆豪くんは常に上位に食い込んでいる)最近順位が落ちてきていて、特に理数において少し遅れて、いるような。という話をしたところ爆豪くんが見てくれるということになったのだった。
ご両親は共働きらしく、この時間はふたりともいないらしい。そのまま部屋に通される。男の子の部屋に入るのは生まれて初めてだった。
適当に座れとカーペットを指し示されたのでいそいそとローテ―ブルに向かう。
カバンを放ってから少し待ってろといって爆豪くんが部屋の扉から出て行く。私はというとひとりにされなんとなく居心地が悪くなってしまった。ちらと部屋の様子を伺う。なんとなくイメージした通りというか黒が基調となっている爆豪くんの部屋はそのまま爆豪くんの雰囲気っぽい。
ほかの男の子がどうなのかはわからないけどたぶん部屋が綺麗な方なのではないだろうか。約束したのは今日の昼なので常に整頓されているのだろう。
そんなことを考えているとお盆を抱えて爆豪くんが戻ってきた。
「オラ」
「……」
「なんだよ」
「爆豪くんもお客さんにお茶とか出すんだね」
「よっぽどいらねえみてえだな」
「ウソ!冗談!」
ぱたぱたと手を振る。照れ隠しで言ってみたもののせっかくなのに少し悪かったかなと思った。
差しだされたマグカップに遠慮なく口をつける。飲んでから自分が喉が渇いていたことが分かった。やっぱり緊張していたのかもしれない。マグカップに注がれているのは紅茶だった。じんわりと冷えていたてのひらが温まっていく。
ふとみると同じように口にしている爆豪くんのマグカップの中身は私と違って黒い。どうやらコーヒーのようだった。
「爆豪くんってふだん紅茶飲まない?」
「飲まねえ」
「そっか」
それなのにわざわざ私のために淹れてくれたらしい。ありがとうと言うと、なにがと言われたので黙ってくびをふる。
マグカップとともにタルトが載せられてお皿が私の方に差し出される。食べろということらしい。私の分ひとつだけで爆豪くんの分はない。甘いもの嫌いだもんなあと思いつつ、さすがにケーキを一人だけ食べるのは気が引けた。
「半分こする?」
「いつもバクバク食ってんだから遠慮してんじゃねえよ」
「そんなに食べてないよ!」
遠慮なわけではなかったんだけど。だからといって嫌いなものを無理に勧めることもできず、私は添えられていたタルトを添えられていたフォークで切り分けて口にした。果物の甘みとさっくりとした生地の香ばしさが口に広がる。おいしくて思わず頬が緩むと爆豪くんがこっちを見て笑っていた。
「バカ面」
呆けた顔をした自覚はあって、思わず口にタルトをほおばったまま無言で視線をそらす。でも半分照れ隠しだった。だってバカといっているくせに嫌な笑い方じゃなかったから。楽しそうだったから。それ以上意識すると顔が赤くなってしまいそうでいそいそとケーキに集中する。
「やっぱりすごくおいしいよ。爆豪くんのお母さんが買ってきてるの?」
「あ? クソオヤジしか甘いモン食わねえ」
じゃあ爆豪くんの味覚はお母さんに似たのかな。爆豪くんのお母さんも辛いものが好きなんだろうか。爆豪くんのご両親ってどんな人なんだろう。
爆豪くんを見ながらぼんやりと想像してみる。けれどその想像の前にマグカップをかたむけてコーヒーをのんでいる爆豪くんがかっこいいということにしか思考がむいてしまいうまく想像できなかった。自分でもなんといえばいいのかわからないけど付き合うようになってから爆豪くんが余計にかっこよく見えてしまうようになってしまって駄目だ。
夏のあの告白を経て、少しずつだけど変わったことがある。例えば偶然のうえにだけ成り立っていた一緒にいるということが約束できるようになったことだとか、そういうことだ。
ただ、たとえばその、キス、だとか。そういうことを私たちはしたことがない。一緒にいてもあんまりそういう空気にならないのだ。
だけど私が好きな紅茶をなにも言わなくても出してくれるところとか、私があまいものが好きでよく食べていることを把握していることだとか。そういうことで、私は満足だった。爆豪くんから確かな感情が向けられているのが嬉しい。爆豪くんとこうして話をしているだけで幸せで、胸がいっぱいになってしまう。
「で、数学からか」
「うん。お願いします」
出されたタルトをおいしくたいらげながらお互いに少しだけ世間話(といってもやはりインターンだとかそういう話になってくる)をして私たちは勉強を開始することにした。
◇
「終わった〜…」
「まだ終わってねえ」
教えてほしい範囲は大体教えてもらったけれどきっちりちょうどいいところまでやれということらしい。スパルタだ。前に教えてもらっていた切島くんがすごかったといった意味がわかった。同じ間違いをするとすごく怒られるし。でも分かりやすかったし分からないところを言えばなんでわかんねえんだと怒りながらもわかるまでしっかり教えてくれるので爆豪くんは意外と先生がはまり役なのかもしれない。
どうどうと爆豪くんをいさめながらシャープペンを筆箱に片付けようとして、爆豪くんに肘があたった。ごめんととっさに謝罪しながら彼の方を見る。爆豪くんも同時にこちらを見ていた。肘があたるような距離だから当然近い。今更、こんなに近い距離にいたことに思い当たった。
びっくりして頭で考えるよりも先に体が勝手に距離をとろうとする。そんな私の手を、私が逃げるよりも先に爆豪くんがつかんだ。
「なんで逃げてんだ」
理由なんてない。だからそんなことを聞かれても答えられない。
私の手をしっかりと握る爆豪くんの手はあたたかい。私の手はどちらかというとあたたかい方だと思うけど、爆豪くんの手はもっとあたたかくて、いっそ熱かった。一年前に風邪で倒れかけたときや、あの夏に、こうして握って手を引いてもらったことを思いだした。こうして触れていることがなんとなく不思議に思えてくる。手をひく必要性がなくても、触れることができる。それはとても、幸せだ。
「爆豪くん」
思わず呼んだ名前に、彼はそっと手を離した。だから今度は私から握りしめて触れた。爆豪くんがびっくりしたような顔でこちらを見る。爆豪くんの手はかたくてごつごつしていた。
確かめるように触れてみる。そもそもわたしよりひと周り大きいのに触ってみると厚みすら違う。
「大きいね」
私の言葉に爆豪くんが怒ったようななんとも言えないような顔で口を開きかけて、言うことが見つからないというように言葉を発さぬまま爆豪くんの口はとざされる。ほんとうに発作的にキスしたいと思った。そんなこといままで一度も、思ったこともなかったのに。
頭に浮かべてしまった衝動に、顔がじわじわと赤くなるのが分かった。手を引いた爆豪くんが、その手で私の耳にふれる。触れられたその瞬間に体がびくりとはねた。
「耳まで赤え」
囁かれて、私の顔を覗き込む爆豪くんの顔を見た。爆豪くんの顔に表情は浮かんでいない。意地悪するときとかからかうときの表情とも違ってなにを考えているのかまったく伝わってこない。
ずるい。爆豪くんにこういう表情されるともう駄目だ。ずるい。好きだ。
吐息すらふれる距離で、私は目をつむった。もう言葉はいらなかった。爆豪くんが動いたのか衣擦れの音が耳に届く。ちゅ、とやわらかな感触がくちにふれる。
どうしてなのか目に涙がにじむ。唇が離れて、もう一度角度を変えて重なった。そうやっているともっともっと触れたくなって、ねだるように爆豪くんの胸に手を伸ばした。
「……煽んな」
はあ、とどちらがついたのかもわからない掠れたため息が耳にふれる。
もう一度かみつくようにキスされる。奪うようなそれに、私は応える。だけど、きっと煽られているのはずっとずっと私のほうだ。