「マジか…」


見慣れない部屋、脱ぎ捨てられた服、気怠い身体、隣で眠る裸の男。完全に事後だ。必要最低限な家具だけが置かれた少し殺風景な部屋はこの男のものだろうか。大人ふたりで寝るには狭いシングルベッドの上で頭を抱える。久しぶりに浴びるほど飲み過ぎたせいか。残念なことに、昨夜のことは全部覚えている。いっそ全部忘れていたほうが幸せだったのに、なんて溜め息をついても後の祭りだ。


「茅ヶ崎、今日行くよ」

エレベーターから降りて受付を通り過ぎようとした後輩に御猪口を傾ける仕草をしながら声を掛けた。すると、彼はそれまで貼り付けていた笑顔を無くし、心底迷惑そうな顔を向ける。あのさ、それは先輩に向ける顔じゃないからな。

「またですか?今日は金曜日ですし、徹夜でイベ走る予定なんで無理です」

「ゲームか。卯木さんも出張でいないしなぁ」

「同じ部署の女の子でも誘えば」

「アンタと仲良いから恨まれてんの」

「ワロタ」

どうでもいい話をしながら会社の外へ出ると、茅ヶ崎がある一点を見つけてあ、と声を漏らした。その視線を追うと、会社の目の前にあるコンビニからどう見てもヤクザっぽいのとチンピラっぽいの人物が出て来た。眼鏡の男性の方はどこかで見たことがある気がする。茅ヶ崎が左京さん、と声を掛けた。そうだ、茅ヶ崎と同じ劇団の人だ。彼が茅ヶ崎に気付いて軽く手を挙げ、隣の小さいチンピラはぶんぶんと手を振っている。犬みたいだな。ぼーっと眺めていると、紹介するから来て、と茅ヶ崎に腕をひかれて向かい側のコンビニへ。

「お疲れ。仕事帰りか?」

「はい、左京さんも?」

「ああ」

「お疲れ様です。ああ先輩、俺と同じ劇団の古市左京さんとその部下の迫田さん」

茅ヶ崎に紹介されお互いにぎこちなく会釈する。受付業務で身につけた愛想笑いで職種でも聞こうかと思ったが、本当にヤクザだったら面倒だなと思いニコニコと笑うだけに留めた。茅ヶ崎が私のことも紹介し、他部署の先輩後輩ではあるがたまに飲みに飲みに行く仲であることなどを話すと、古市さんもお酒が好きなようでいつも行く店を聞かれた。茅ヶ崎や卯木さんとよく行く駅にほど近い居酒屋の名前を上げると、彼はそんなとこで飲んでんのか、と少し呆れたような顔をした。何でももっと美味しいお店があるらしい。二人で居酒屋の話でも盛り上がっていると、いつの間にかスマホを弄っていた茅ヶ崎がしびれを切らして言った。

「せっかくだからこれから二人で行ってくればいいじゃないですか」

「茅ヶ崎くん?」

何言ってんだお前、と笑顔のまま凄んだが、彼は目線をスマホに落としたままだった。お前、早く帰りたいだけだろ。

「神崎先輩、この機会に知り合い増やせば?アンタ、飲む時も俺か先輩しか誘わないし」

頼むから古市さんたちの前で、遠回しに茅ヶ崎たち以外に飲み友がいないということを発表しないで欲しい。そして迫田も、車出しやしょうかとか気を遣うな。大体初対面で一緒に居酒屋に行くなんてハードル高いだろう。茅ヶ崎に向かって笑顔のままギリギリと歯を食いしばっていると、古市さんから気遣う様に声を掛けられた。

「あー、その、なんだ...お前がいいなら連れて行ってやるが」

「へ?」

ばっと振り返ると古市さんが可哀想なものを見るような目で私を見ていた。ああ、完全に友達いない人だと思ってんだな。ほっとけばいいのに声を掛けてくれるなんて、ヤクザ(仮)でも面倒見が良いんだろうか。

「あそこの焼き鳥は最高に美味い」

大好物の名前を聞くや否や頷いていた私は、あれよあれよという間に古市さんと少し敷居の高い居酒屋へ連れて行かれ、それはそれは美味しい日本酒に酔いしれた。古市さんとはお互いに色んな話をした。劇団のこと、仕事のこと、過去の恋愛のこと。古市さんにはずっと片想いしている子がいるらしい。何でもその子が初恋だとか。その子との昔話を延々と聞かされたが、30にもなってみっともねぇと苦笑する古市さんに叶うといいですね、なんて心にも思ってないことを笑顔に乗せて次々と日本酒を煽った。そして薄々気づいていたが、改めて職業を聞くと、やっぱり本物のヤクザだった。


「あー飲んだー」

殻になった御猪口を置いてテーブルに突っ伏すと、古市さんの手が遠慮がちに背中を摩った。多分この人、酔っ払いを相手にするのに慣れてるんだろうな。ヤクザとお酒って密接してそうだしね。しかし、大丈夫かという声もどこかふわふわしている。そういえば古市さんもかなりの量を飲んでいた気がする。初対面の人に迷惑かけるのも悪いし、帰りましょうと荷物を持って席を立つ。会計しようと財布を出すと、すっと古市さんが割り込んでお金を出し、気づいた時には外に連れ出されていた。

「え、あの、お金...」

「いい、俺のつまんねえ話に付き合わせちまった詫びだ。気にすんな」

申し訳ないとは思ったが、ここで押し問答するのも面倒なので素直にお礼を言った。時間を確認しようとスマホを出すとするりと手から滑り落ちてしまう。あれ?

「おい、何やってんだ」

落ちたスマホを拾って渡してくれた古市さんの手を両手で握る。古市さんが私の顔を見てぎょっとしていた。

「ふるいちさ...」

「おい、神崎お前」

「ぎもぢわるい...」


奇跡的にリバースすることはなかったが具合が悪くなった私を見かねて、古市さんが借りているマンションに連れてきてもらった。基本的には劇団の寮に住んでいるらしいが、仕事部屋としてこの部屋を利用しているらしい。通りで物が少ないわけだ。それから急に酔いが回って熱くなって、私が脱ぎ始めて、それから、


「私は阿保か...」

長い長い溜息をついて脱ぎ捨てられた服を拾い上げる。最後にジャケットを着るまで古市さんは起きなかった。悪いけどなかったことにしてもらおう。古市さんははっきりと言わなかったが、初恋の女の子のことをまだ好きな様だし、お互いの為でもある。静かに玄関まで行ったが、靴を履いている途中で背後に気配を感じた。振り返ると古市さんが腕を組んで私を睨んでいた。

「...何か言う事は」

「...大変ご迷惑をお掛け致しまして申し訳ございませんでした」

本物のヤクザに睨まれたら謝るしかない。一息で謝ると、古市さんが大きな溜め息をついた。怒っているようで呆れているようだが、目を逸らしながら言いにくそうに口を開いた。

「その、何だ...身体は大丈夫か」

その台詞は少しお姉さん向けの少女漫画で見たことがあるな、なんて考えたが、即座に顔面に笑顔を貼りつける。

「ベッドまでお貸し頂いたのでぐっすり眠れました。ありがとうございました」

「...覚えてねえのか?」

「え?何のことでしょう?」

それではお邪魔しました、と白々しく言い逃げして早足にマンションを出る。最後に見た古市さんの顔は、それはそれは般若みたいな顔をしていた。次会ったときが私の命日かもしれない。鈍く痛む下腹部に気付かないふりをして、朝の住宅街を後にする。とりあえず、月曜日に出社した際には、茅ヶ崎に一発お見舞いしてやろうと思う。



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