Log1 | ナノ


筑土町、『銀楼閣』。

葛葉ライドウは、急ぎ気味にその階段を上っていた。

目的の階まで上がると、真っ直ぐひとつの扉の前に立ち、ノブを捻った。

扉が開いた瞬間、



「ちぇすとー!!」



そんな掛け声とともに、鳩尾に衝撃。

どごっ、と鈍い音がした。

息が一瞬止まる。

吹っ飛ばされそうになったところを何とか踏み留まった。



「…ヒホ?」



腹部に突撃してきた何かは、そんな間抜けた声を出した。

頬を冷気が掠める。



「………ジャックフロスト」

「あ、ライドウ。おかえりホー」



小さな雪だるまのようなその悪魔は、ライドウの服にぶら下がったまま無邪気に言った。

ライドウの方はそれどころではないのだが、ジャックフロストは己の攻撃がどれだけの効果を示したか分かっていないようだ。
 


「あれ?フロスト?」



と、部屋の中から可愛らしい声がした。

続いて戸口に5、6歳の少女が現れる。

ライドウの姿を見とめると彼女の顔がぱっと輝いた。



「お兄ちゃん!」



言うが早いか、がばっと飛びついてくる。

よろめいたが、何とか持ちこたえた。



「おかえり!」



弾けるような笑顔に、腹部の痛みもすぅっと治まる。



「…ただいま、なまえ」



ライドウはふわりと微笑んで、少女の髪をそっと撫でた。









「フロストとおすもうしてたの。わたし勝ったよ、すごいでしょ!」

「ああ、そうだな」



事務所のソファに落ち着いて、ライドウは今少女を膝に乗せた状態で珈琲豆を挽いていた。

ジャックフロストは、アルコールランプを出してきた時点で「熱いの嫌ホー」と言って、管に戻っていた。

どうやら、先程飛んできたジャックフロストは、彼女が投げ飛ばしたかららしい。



この少女の名はなまえという。

といってもそれは彼女の親が付けたものではなく、彼女の周りの『友達』が呼んでいたものだ。

なまえとは以前とある出来事を通して出会い、現在はこの鳴海探偵社で一緒に暮らしている。

その『とある出来事』は、今ここで語るべきことではないが、機会があればいつか明かされることもあるかもしれない。

今の時点で言えるのは、出来事の原因のひとつに、彼女の特異な外見があるということだ。


銀髪に紅色の眼。

およそ日本人とは思えないその容貌は、親から子へ遺伝する過程で何らかの理由により発現したものらしい。

加えて、彼女は悪魔を見ることができた。

ライドウ達に会う前からの『友達』も悪魔であり、彼女にとって人以外の存在は日常的なものだった。

だから、探偵社で暮らすことになってからもライドウがいない時は、悪魔と遊んで過ごしているのだ。

最初はどう接していいか分からなかったライドウも今では妹のように可愛がっているし、所長の鳴海にいたっては娘を見るような目で彼女を見ている。

ライドウの仲魔とも仲が良いし、ここに連れてきて本当に良かったと思うライドウ達であった。



「ねぇお兄ちゃん、こーひーっておいしい?」



と、出来上がった珈琲がカップに注がれる様子を見つめながらなまえが訊いた。



「なるみさん、いつも飲んでるよ」



ライドウが机についている鳴海に視線を向けると、所長はちょっと苦笑いした。



「そうだなぁ、なまえちゃんにはまだ早いかな」

「どうして?」

「うーん…大人の味?っていうか、」

「おとな?」



大人、という単語に反応して、なまえが膝の上で身を乗り出した。

慌てて落ちないようにライドウが支える。



「おとな?こーひー飲めたら、おとな?」

「え?」

「お兄ちゃん、わたしもこーひー飲む!」

「…やめておいた方がいいと思う」



真面目な顔で首を振るライドウに、鳴海が横から言った。



「まぁ、一回飲ませてみたらいいんじゃない?毒じゃあるまいし」



大人の味を体験するのも、レディへの一歩だよ。

鳴海がそんなことを言うものだから、「れでぃ!」と意味も分からず反復して飲む気まんまんのなまえである。



「…嫌だったらすぐやめるんだぞ」



自分のカップを渡しながらそう言う彼に、「ライドウってばすっかりお兄ちゃんだなぁ」と鳴海が感想を洩らした。

黒い液体が揺れるカップを小さな手で包み、なまえは唇をつけた。

そのままくいっと傾け―――



「……!!!」



ぴたっ、と彼女の動きが止まった。

次の瞬間、ものすごい早さでカップがテーブルに置かれた。



「〇×△■↑↓←↑→↓…!!?」

「あらら、ちょっと刺激強すぎたみたいだな。…何かのコマンド入力しちゃってるし」



鳴海が堂々と時代錯誤の発言をしている間に、未だ珈琲の苦さにおののいているなまえの前にさっと大学芋の皿が出される。

十四代目の早業である。

出された大学芋を、こちらも早業で口に放り込み、もぐもぐと咀嚼するなまえ。

甘い菓子のおかげで口直しになったのか、彼女の動揺は少しは静まったようだ。

それでもまだ涙目だが。



「……お兄ひゃん」
 


竹串を加えたままで、彼女が小さな声で言う。



「わたし…おとな、なれない…」



それほどまでに衝撃的だったのだろうか。

牛乳と砂糖をたっぷり入れてから渡せば良かった、と後悔するライドウである。

先程まで元気だった彼女が、目に見えて萎れている。



「なまえちゃん、そんなに大人になりたかったの?」



鳴海が問うと、なまえはうなだれるように頷いた。



「だって……そうじゃないと、お兄ちゃんのおよめさんになれないの…」

「「『え?』」」



意外な一言に、鳴海とライドウ、ねこじゃらしに気をとられていたゴウトまでもが間の抜けた声を上げた。



「…ねぇ、それ誰から聞いたの?」

「タエちゃんだよ。『およめさん』って、おとなにならないとなれないんだって」



やっぱりか、と鳴海が納得する横で、ライドウは呆けたように固まっていた。

彼のそんな珍しい表情を見て、鳴海がちょっと悪そうに笑った。



「そっかぁ、なまえちゃん、ライドウのお嫁さんになりたいんだ?」

「うん!」

「じゃぁさ、お嫁さんになるにはどうしたらいいか、ってタエちゃん言ってた?」

「おとなになる?」

「それ以外にだよ」



きょとんとした顔をする彼女に、鳴海の笑みがいっそう深くなる。



「そこは教わってなかったか。一番大事なことなんだけどなぁ」

「だいじなこと?なに?」

「あのね、なまえちゃん。お嫁さんはね、相手もお嫁さんにしたいって言ってくれないとなれないんだよ」

「あいて?」

「なまえちゃんの場合は、お兄ちゃんだね」

「…なっ、」



そこで、今までやり取りを見つめていたライドウが声を発した。



「…ほんと?」

「ああ、ほんとだよ。お互い好きじゃないと、『夫婦』はやっていけないもんだからね」

「ふうふ…」



噛みしめるように反復して、なまえはライドウの方を向いた。

ぴくっと彼の肩が跳ねる。



「お兄ちゃん。なまえのこと、およめさんにしてくれる?」

「……っ、…」



笑って流せばいいのかもしれないが、あまりにも真剣な目で見つめてくるので答えに詰まってしまった。

紅色の視線が注がれ、何故かどきっとしてしまう。

助けを求めるように鳴海を見れば、「頑張れお兄ちゃん♪」とでも言うような目で見返してきた。

ついでに、ゴウトはゴウトでいつもより集中して毛づくろいをしている。

逃げ場を失って、ライドウは視線を戻した。

相変わらず真面目な顔。



「……、…」

「……」

「………っ…」

「……」



無言のやり取りが続いた後、



「……お…」

「……?」

「…大きくなったら、な…」



ぼそぼそと答えた。

すると、ぱっとなまえの眉根が寄って、鳴海に詰め寄る。



「やっぱりおとなにならないとダメなんじゃない!」

「まぁまぁ。逆に言えば、大人になったらお嫁にしてくれるってことだから」

「あ、そっか」



あっさり納得し、途端に嬉しげな顔になる。

珈琲の苦さに打ちのめされていたのはどこへやら。

久し振りに、悪魔との戦闘以外で心臓に悪い思いをした、とライドウは内心息をついた。



「えへ、およめさん!」



本当に嬉しそうにそんなことを言う彼女の可愛さに、こっちが打ちのめされそうだと『兄』は思った。








(ではまず、)


ミルク八割から始めましょう。






オマケ↓
―――――

『なまえ、「ぷろぽーず」っていうのは普通男の人からするものなんだって』

「え!ピクシー、それほんと!?…どうしよう、あたしからしちゃった…」

『大きくなったら、その時にライドウから言ってもらえばいいんじゃない?』

「あ、そうだね」



「…せめて、いないところで話してくれ…」

「いやー若いっていいねぇ」

「そう言う鳴海さんは紛れもなくオジサンです」









十四代目を動揺させたかったんですけど、何かライドウがライドウじゃないような…

それから鳴海さんが悪い大人だ(笑

普段はこのくらいいじってたらいいなぁとか思ってます。


また、夢主の外見の話が出てましたが、彼女はアルビノです。

とある出来事については、機会があったら……ね。


夢主にお兄ちゃんって呼ばせたかったので、満足でした^^

シスコン十四代目、おいしいです←


では、読んで下さった方、ありがとうございました。





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