……霧の濃い夜だ。 左様でございますね、わが君。 …お前はどうして笑っている。 これ以外の顔を知らないからです、わが君。 何ゆえだ。 そのように育てられてきたからです、わが君。 お前を育てた者は、どうしてお前をそのように育てた。 わたしは忍びだからです、わが君。 忍びは、何故表情が要らぬというのだ。 忍びに心があってはならないからです、わが君。 ……そうか。 では、 「何故、お前は泣いている」 温度の殆ど消えた指先が、目元に触れる。 その、緋に染まった指を濡らしたのはあくまで朱で、透明な雫ではなかった。 「忍びに心は要らないのではなかったのか」 「仰るとおりです、わが君」 乾いた目元で、言った。 「今宵の月はことさらに明るいので、目が眩んでしまったのです、わが君」 自分よりも細い腕に預けた頭を少しずらして、そうか、と答えた。 「…霧が濃いな」 「左様でございますね、わが君」 「霧の他は……何も見えん」 「左様でございますか、わが君」 首筋に触れる銀糸の髪に、空からの仄白い光が反射したが、見ることはできなかった。 「……そこにいるか?」 「はい、わが君」 「…ならばいい」 ふ、と長い睫毛が影を落とす。 「……少し、寒いな」 「左様でございますね、わが君」 そう言って、銀色の頭を引き寄せた。 長い吐息と一緒に、首元を生温い鉄の香りが伝い。 「………わが君」 ぽたり、と堕ちた。 「……わが、君」 首元の銀糸は柔らかく、とても冷たい。 「………わ、……」 目元に触れたままの指先を、温かな何かが濡らした。 「……みつなり、さま…」 色のない雫が、朽ちた月に寄り添う夜霧を照らしていた。 |