「どうやら、我が忍軍に土の違う『草』が紛れ込んでいるようです」 「…当てはあるの?」 「はい。既に探らせております」 「……そう」 素っ気なく答え、薄い耳朶を食む。 柔らかで弾力のある感触が癖になるようで、少しばかり歯を立てた。 「先程の報告によれば、『草』は2名とのことです」 「ずいぶん少ないね」 「少数精鋭なのでしょう」 「……そうだね」 いったん耳朶を離して、彼はふふ、と笑った。 「君が侵入に気付かないくらいだもの」 「……申し訳ございません」 「謝らなくていいさ。別に怒ってないからね」 再びかぷりと耳を含み、唇と歯で挟んだ。 しかし彼女は、変わらぬ調子で淡々と言った。 「如何致しましょう、半兵衛様。もう少し泳がせますか?」 「……君に任せるよ、」 「…分かりました。では、そのように」 耳の形に沿って、外から内に舌が這い、水気の多い音が彼女の鼓膜を震わせるが、眉ひとつ動かさない。 あくまで静かに、次のご報告ですが、と切り出した。 「……三成様が、お体を案じておられました」 ぴた、と動きが止まる。 「近頃は冷え込むから、新しい綿入れを差し上げようと吉継様と話しておいででした」 「………」 「……半兵衛様?」 返事がないので、彼女はここで初めて疑問形の言葉を発した。 どうかなされましたか、と尋ねかけて―――途中で途切れた。 唐突に、首筋に噛みつかれたからだ。 かなりの勢いだったので、きっと跡がついているだろう。 しかし、それにも彼女は顔色を変えず、平坦な声音のままで、言いかけた言葉を再度紡ぎなおした。 「どうかなされましたか」 「……君は本当に、生意気な子だね」 彼女の髪をいじっていた手と、反対側の手に力を込め、体を起こす。 見れば、細い首元にはやはり赤い痕が残っていた。 わずかな灯りに照らされて、ちらちらと陰る様子が美しい。 「この状況で、他の男の名前を出すのかい?」 どろりと絡みつくような声を発すると、腕の下から釣り目がちの無表情な視線が見返してきた。 「…報告をせよと仰ったのは貴方様ですよ、半兵衛様」 「言い訳は聞かないよ」 「言い訳は結構ですが、話は聞いて下さらないと困ります」 「いいね。前々から、君を困らせたいと思っていたんだよ」 「今でも充分ですが」 ため息をつきたそうな調子で言った。 すると、彼女の顔の横につかれていた手が片方持ち上げられ、さっきから全く色の変わらない目元に触れた。 「…もっとだよ、」 するり。 華奢な指先が睫毛をなぞる。 「もっと、困らせてやりたいんだ」 「…珍しく、非生産的なことを仰るのですね」 ただの時間の無駄でしょうに。 「時間の無駄か…」 彼女の言葉を反芻して、何故か彼は薄く笑った。 「確かにそうだね」 「分かって頂けましたか」 「よく分かったよ。―――僕は、時間を無駄にしている君を見てみたいんだ」 「………」 彼女はちょっと黙った。 「…全然分かっておられないではありませんか」 「そんなことないよ?さっきも言った通り、非生産的なことをしている君を見たいということが分かったんだ」 「私が言っているのはそのことでは――「うるさい」………、……」 短く一言、後に続く言葉を強引に押し戻すように、唇を塞いでやった。 ほんのり甘いそれを軽く食んで顔を上げても、ただ一度瞬きをしただけだったので、彼はいささか残念そうに嘆息した。 「全く、どうやったら時間を無駄に使ってくれるんだい?」 「今は仕事中ですから、無理ですね」 「…これも、仕事のうち?」 言いながら、目元に触れていた指が下がり、むき出しの肩からくっきりした鎖骨を通って、心ノ臓の辺りを撫でた。 とくん、と遅い心音が伝わってくる。 「………お忘れですか?」 少しでも動けばまた触れ合ってしまえるほど近いところで、彼女は呟いた。 「私はまだ、今日はもう休んでよいか許可を得ていません」 「…三成君みたいなことを言うんだね」 「おや。この状況で、他の殿方の御名を出すのですか?」 ほんの少しだけからかうような響き方をしたその声は、続ける。 「貴方様が一言、今日のなまえの仕事は終わりだと仰って下されば、なまえは改めて時間の使い方を考えねばなりません」 貴重な時を無駄に浪費するのも、あるいは。 言外に含まれた言葉に、彼はふっと口元を緩めた。 「……本当に、素直じゃないね」 「それはお互い様でしょう?我が主」 そう嘯く彼女は相変わらずだと思いつつ、その耳元に唇を寄せる。 「―――なまえ、」 声帯を極力震わせずに囁いた。 「今日の仕事は終わりだ。休んでいいよ」 それと、 「これから、僕の非生産的な時間に付き合ってくれる?」 「―――……」 彼女はしばし沈黙した。 言葉を探す静寂ではない。答えなど、とうに決まっているのだから。 「――いいわよ」 しゅるりと何かが解ける音がした……ような気がする。 彼女は目を細めて笑み、畳と散らかる着物の上に投げ出されていた腕を彼の首に回した。 「仕方ないから、付き合ってあげる」 温度の低い唇が先程の咬み痕に触れた。 「時間をこんなことに使うなんて。半兵衛あなた、けっこう贅沢者ね」 「お互い様だよ。それは」 解ける音が心地良い。 帯、眼差し、声、唇、そして―――彼女。 「…さっきの、」 「ん?」 「三成君の話を出したの、わざとだろう」 「あら。ばれた?」 少し癖のある柔らかい銀髪に口付けながら、しゃらりと言う。 「ちょうどね、私もあなたを困らせたかったのよ」 私の方は成功だったみたいね、と咽喉の奥で笑う彼女に、やっぱり生意気な子だよとわざとらしくため息をついて。 「まぁ、たくさん顔を見せてくれたら許してあげるけど」 「それはあなた次第ね」 「…よく言うよ」 皮膚を滑り落ちた指の下で、鼓動が少し速くなった。 |