Log1 | ナノ


追いかけられると逃げたくなる、と唄ったのは、どこの歌い手であったか。

女心を巧みに表現したその唄を、この前女中が口ずさんでいたような気がする。

が、生憎彼は女心という難攻不落の迷宮の如き代物を解するには頭の構造が適していないと言える。

これが難攻不落の城であったなら、彼も大いに励んだだろう―――その、超絶技巧といってもいいほど巧みな剣術を以てして。

そんな彼が、柄にもなく思い出した唄の一節。

成程どうして、巧みな表現である。



「待ちなさい!!」



後ろからあんなに猛然と追いかけられたら、如何な肝の据わっている男でも逃げたくなる。

あれでは嫁の貰い先が切実に心配―――おっと。

こちらの心の内が通じたのであろうか、よく手入れされた鍼が飛んできた。

別に先程の嫁の貰い先云々は、彼が思ったわけではなく、地の文が勝手に付け加えたものであるのだが、そんなことは彼女には察することなど不可能なので、引き続き彼には、彼女による鍼の襲撃を受けて頂こう。

彼女は雑賀衆への加入を熱望されたほど、遠くのものを狙い撃ちするのが得意であるが、そのくらい避けられない彼ではないので心配は要らないだろう。


さて、話を戻す・・・といっても、これを初めて目にする第三者には何が何だか状況が全くつかめていないことと思う。

ゆえに、そろそろ勿体ぶらずに描写していくことにする。


簡単に言えば、とある城の敷地内でふたりの人間が壮絶な逃走劇を展開している。

とある城とは大阪城。

そしてふたりの人間とは、若い男女。

年の頃は20に届くか届かないかくらい、女の方が少し年上に見えた。

黙って並んでいればなかなか絵になるふたりであった。

あくまで、こんな穏やかでない状況でなければの話だが。


逃走劇とするからには、当然逃げて走っている方と追って走っている方がいるわけだ。

この場合、追われる方は男の方で、追いかけている方が女である。

まったく、女心を唄う唄も真っ青な速度だった。

それから逃げる男の方もなかなかであったが。



「待ちなさいって言ってるでしょ三成!!」

「ならば鍼など投げるな!」

「あんたが待たないからよ!」



これだけの速度で走っていて会話できるのが、傍からみれば既に呆れて笑ってしまえる域に入っている。


追われる男の名は石田三成、追う女の名はなまえ。

世にも奇妙な鬼ごっこである。






そもそも、彼が悪いのだ。

彼女もさすがに鍼まで投げることはないと思うが、それを差し引いてもやっぱり彼が悪い。

事の発端はその日の昼餉時。



「…どういうことなの、三成?」



仁王立ちで素晴らしい微笑みとともに低く言ったのは、割烹着を纏った若い女だった。

こんな家庭的な見た目だが、彼女―――なまえは、豊臣家出入りの医師である。

大阪城下で名医と謳われ、惜しまれながらも急逝した父親の跡を継いで数年、既に父親に引けを取らぬ腕だと評判の町医者だ。

まだ父親が健在の頃、ひょんなことから豊臣家と縁のできた彼女は、城下で診療所を切り回しながらも呼び出しがあれば大阪城までやって来るのだ。

なまえ親子と知り合ってから、この城の主である秀吉は彼ら以外の医師を城に呼ばなくなったので、自然と親子は城の者たちと仲良くなり、今では呼ばれていなくとも顔パスで入城できるようになっていた。


そんな若き医師・なまえの目の前で何となく青いような顔をしている青年。

いっそ痩せ過ぎというくらいに細身で、そのくせ背が高いので全体に細長い印象を受けるが、色白で目元涼しい美青年である。

いやむしろ、涼しいを通り越して冷たい。

これでもう少し目つきと纏う空気が柔らかかったら、おきゃんな町娘たちが舞い上がって騒ぐだろう。

もちろんなまえはそんな今時の娘には数えられないので、青年にじっと見つめられても舞い上がらないし、たじろぎもしない。



「また残してるじゃない」



そう言って、なまえは足元の膳を指した。

質素ではあるが栄養の偏りがないよう配慮された、作り手の気持ちが感じられる昼餉である。

しかしそれらは、出された時と殆ど変わりない様相を呈している。 
 
 
 
「最低これだけは食べなさいって言ったわよね?そうじゃないと栄養失調寸前で倒れちゃうから、とりあえず食べなさいって言ったわよね?そうよね?ねぇ、三成」

「……」

「なのに何でこんなに残ってるのかな?煮物に至っては具材の位置すら動いてないじゃないの」

「……」

「ねぇ?何とか言ったらどうなの?ねぇ?」

「……っ…」



貴様の威圧感の所為で口が開けないのだ、察しろ!

…と、三成は心の中で叫んだ。

が、実際はじわりと重圧が増しただけだった。

それに比例して(あるいは反比例)笑顔が深くなっている。


これは、危険だ。

それなりに長い付き合いの中で、彼女がこの顔をした時は三成にとっては一、二を争う緊急事態であった。

こういう時、彼はただ一択のみを選択する。

いささか自尊心が傷つけられることだったが、背に腹は代えられない。

すなわち。



「…なまえ、」

「なによ」



案の定ぴしゃりと返ってきた声に、



「頬に米粒が付いているぞ」

「へっ!?」



彼女が頓狂な声を上げて頬に手を当てた隙に、彼はさっと身を翻して座敷を出た。



「…ちょっと、ご飯粒なんてついてな―――あ、ちょ!待てェェ!!」



要するに逃亡である。

本気を出すと馬よりも速いとまことしやかに囁かれている脚力を最大限使っての、だ。



「騙したのねッ!?」



なまえはわずかに頬を赤らめて声を上げた。

当の三成にはそんなつもりは毛頭ないのだが。

彼は、友人である某輿愛用者の言ったことを素直に実行しているだけなのだ。


―――やれ三成、なまえから逃げたくば、頬に米粒でも付いているぞと言ってやればよい。


どこまでも純粋っ子である。



「今日も今日とて平和よな」



待てぇぇぇ!!!と年頃の娘らしからぬ気迫に満ちた咆哮とともに追いかけはじめた女医の背中を見送って、一部始終を傍観していた某輿愛用者は食後の茶を一口飲んだ。

つまらぬことよ、と彼は何故か楽しげに呟いた。





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何の変哲もない日マンセー。(え

タイトルは、かの名曲のパロディです。

時代錯誤とか気にしたら負(ry

てか曲関係なくなってるけどね…





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