何なんだろう。本当に、それしか出てこない。ダメもとで、抗議してみる。 「…看守長どのよ。いい加減、退いちゃァくれんかね」 「断る」 ため息が出た。何故か腹の上に乗っかっているこの女は、間違いなく仕事中で。しかも看守長という、この施設においてかなり上の位置にいる人物だ。この国の制度は一体どうなっているのだろう。これも法の暗黒時代の影響か。 「考え事か。随分と余裕ではないか、夕神」 女看守長は、にやりと底意地の悪い笑い方をした。世の中にはこういう笑い方をする女が好きな輩もいるのだろうが、少なくとも彼には、そんな趣味はない。 「初耳だな。私にはそうは見えていないぞ」 「そりゃぁ、アンタの見方が捻じくれてるからだろうよ」 「全くもってその通りだ」 形すら否定せず、彼女は愉しそうに笑う。どうしてこんな状況になっているのだろう。 看守長直々の呼び出しというから、またロクなことじゃないんだろうと彼女の執務室に向かった。行ったらいきなりソファに投げ飛ばされて、今に至る。 「…で、何か用かい?」 「黙れ。今は、その話をする気分ではない」 身勝手すぎる。 「何子供みてェなこと言ってやがる、アンタもう三十路過ぎてるだろが」 「正確ではないな。正しくは三十路ちょうどだ。貴様もあと2年で同じ立場だぞ」 彼女は変わらず邪悪に微笑む。その表情に、昔は背筋が寒くなったものだ。今は慣れてしまって何とも思わない。慣れとは恐ろしいものだ。すると、不意に彼女が面白くなさそうな顔をした。 「つまらんな」 今度は一体なんだというのか。 「その、目」 「…目?」 「達観しているつもりか。昔の貴様はどこへ行った」 「話が見えねェな」 「ここに来た当時は、随分と良い声で啼いていたものを」 「…あれは、別にアンタの所為でもなんでもないだろ」 「あの時は愉しかったな。斯様に好ましい泣き顔は久方ぶりだった」 「聞けよ」 「なぁ、夕神」 話を聞いていない彼女は、手袋を外した指で彼の顎を持った。 「泣け」 「は?」 「貴様が泣くところを、見たい」 顎を持った指は、今度は目の下に移動する。拭わなかったしずくの痕を、伸びた爪がなぞった。 「夕神よ、私の一番好きなタイプを知っているか」 「知りたくもねェ」 「罪を犯してもいないにも関わらず、囚人に甘んじている者だ」 彼女の目は、相変わらず意地悪く細められている。 「そういう輩は、決まって何等かの事情がある。例えば、大切な『何か』を守るため―――といった、な」 「………」 「己は潔白。しかし、『何か』のために咎を受ける。己で選んだことと割り切ろうとしても、ヒトの心はそこまで高尚な代物ではない。必ず、心に矛盾が生じる」 どこかうっとりした調子で、彼女は話す。 「そういう者は、大抵重圧に耐えきれず壊れる。壊れ方は様々だがな」 その様を見届けるのが、愉快でたまらぬのだ。 「…やっぱりイイ趣味してやがるぜ、アンタ」 「そうだろう?」 「ああ。反吐が出る」 歪んだ笑い方でそう吐き捨てる彼に対し、彼女はますます愉快そうな顔をした。 「いい返事だ。非常に加虐心をくすぐられるが、今の貴様を虐めたところで面白くないゆえ、大目に見てやろう」 全く、最近“躾け”られない囚人が多い。そんな風に看守長がぼやくが、夕神は聞いていないふりをした。 「その筆頭は貴様だぞ、夕神。比較的やりやすそうな好青年だと思ったら、年を追うごとに捻くれるとは。可愛がり過ぎたか」 「アンタの技量が足らねェんだよ」 「それもあろうな」 意外にもあっさり認める。この女は、己のことをよく把握している。だから余計、性質が悪いのだ。 「まったく、つまらないことだ。泣かぬ貴様など、ホトトギスよりもつまらぬわ」 そう言って、看守長は夕神の上から退いた。いささか唐突な行動だった。ああ面白くない、と呟きながら彼女が机の引き出しから何か取り出した。味も素っ気もない、白い封筒である。 「貴様宛てだ」 そう言って、ぞんざいに封筒を放る。指先で捕まえたそれには、宛名も何も書かれていなかった。ただ、厳重に封がされているのみ。 「…なんだ?」 「恋文だよ」 差出人は、検事局長どのだがな。そんな風に嘯く。 「局長…ってぇと、最近就任した…?」 「ああ。御剣怜侍…検事局長どのだ。あの、弄りがいのない男」 彼女の面白さの基準はどうでもいいとして、夕神は封を破った。中にはただ1枚、紙が入っていた。明朝体が並んだだけの殺風景なそれを一読し、夕神の表情が変わる。 「…どういうことだ」 「全く、酔狂なことをするものだ。面白味のない男だと思っていたが…存外そうでもないらしいな、新任検事局長どのは」 明日、本人が面会に来る。急に事務的な口調になって、女看守長は事実を伝えた。未だ“恋文”の中身を信じられていない夕神は、彼女の言葉を呆然と聞いていた。 「奴は貴様という疑似餌を使って、本格的な釣りをする気になったようだな」 『亡霊の一本釣り』か、楽しそうだと彼女は笑う。そして、ふと目を細めて彼を見た。7年間嫌でも顔を合わせてきたが、これまでに見たことのない不思議な表情である。――夕神よ。低い声音で彼女は呼ばわる。 「ここまで頑固に壊れなかったのは、貴様くらいのものだ。――もう、興が冷めた」 だから。 「さっさとここから出ていけ。その図体で日の光でも遮りながら、往来を歩けばよい」 ああ、つまらぬ。彼女は少し大げさにため息をつく。その様子に―――彼は、若干口角を持ち上げた。 「言われなくても、こんな所とっととおさらばするさ」 どういう出て行き方になるかは、まだ分からないけれど。それは口に出さなかった。そんな彼に、彼女はちらりと視線を寄越す。が、すぐに興味を失ったようにそらした。 「用件は以上だ。下がれ」 「はいはい。邪魔したな」 「本当にな」 「アンタにゃ言われたくねェよ」 言い返し、ドアノブに手をかける。扉を開いて室外に出る―――その一瞬。 「…看守長どのよ」 「ん。まだ何かあるのか」 振り返らなくても、彼女はこちらに視線など向けていないだろうと分かる。だから、こちらも前を向いたまま肩越しに言った。 「…ありがとよ」 「何がだ」 「これ、届けてくれたろ」 白い殺風景な“恋文”をかざす。すると彼女は鼻で笑った。 「馬に蹴られて死ぬのはごめんだからな」 扉を閉めながら、案外似合った死に方じゃねェかと思った。 恋文 ―――――――――――― 何だか強気な看守長ですが、彼女は長年の勘から夕神さんが無罪なのを察してます。そしてきっとツンデレ。最後も「罪犯してないんだから、さっさと自由になりなさい」と分かりにくくデレてます。御剣からのラブレター(?)は、多分検事に復帰することに関する辞令みたいなもんです。 もっと甘いのが書けるようになりたい。 20131018 |