※『健やかなるとき』続き 今日も、彼が来ていた。 私が犯人追跡中に怪我をしてから、ひと月以上が経過した。 一瞬生死の境をさまようほどの大怪我だった割に、回復の度合いは人より早いらしい。 担当医からは、退院の話もちらほら聞かれていた。 真面目な性格らしいその医師は、退院後の生活をとても心配していた。 私は天涯孤独の身の上なので、それを案じているようだった。 その辺はまぁ、何とかするしかない。 「…オレ、あの刑事好きじゃない」 そして、あれからほぼ毎日面会に来ている彼は、一柳検事。 対して私は刑事で、検事の言葉を借りると彼の「相棒」だ。 私が休職している間、違う刑事と組んでいるらしいが、その刑事のことがどうにも気に入らないらしい。 未だに彼の父に媚びるような、そんな態度を取ってくるという。 父は元検事局長だったのだから無理もないが、彼はもういない。 「父上は父上。貴方は貴方ですよ」 起こしたベッドに背を預け、私はそんな当たり前のことを今更のように言った。 しかし彼は、何だか少し嬉しそうな顔をした。 「…やっぱりなまえがいいな」 仕事の相棒として、という意味だろうけど。 そういう言い方をすると勘違いする人もいるんじゃあるまいか。 「まだ退院できないのか?」 「そうですね…先生は今月の終わりくらいには、って言ってましたね」 具体的な日どりを告げると、彼の顔がぱっと明るくなる。 …何だか、胸が締め付けられるような笑顔だった。 「やっと戻って来るんだな!」 裏表なく嬉しそうな様子。 対して私は、どんな顔をしていいか分からない。 多分、曖昧に笑っているんだろう。 …言わなくては。 もうそろそろ…限界だ。 私の容体が安定し、やっと面会が許された日。 担当医が複雑そうな顔で話したこと。 落ちてきたあの鉄材は、私のあばらや足などの骨を何本か折り、ついでに背骨も傷つけたらしい。 そして背骨に守られた脊髄も、とばっちりを受けた。 「おそらく一生、歩けない」 辛そうな顔をしつつもそこは医師、事実をはっきりと告げてくれた。 刑事は足が基本になる職業だし、それ以前に日常生活を満足に送れるかどうかも分からない。 それを、私は未だに、彼に伝えられないでいる。 意外と臆病なんだな、と自分の新たな一面を発見したところで何にもならない。 今日こそはと決めて、彼の笑顔に断念する。 この繰り返しでここまで来た。 もういい加減、限界だろう。 「…一柳検事」 名前を呼べば、彼は「ん?」とこちらを向く。 また私と組めることを喜ぶ彼の顔を前にして、ぐらりと揺らぐ。 …大丈夫。 いや、内容は大丈夫じゃないけど。 こういうことは、変に重くせずさらりと言ってしまった方がいい。 「あの…ですね」 「なんだ?」 「……仕事の、話なんですが」 逡巡した後、やっと切り出す。 生憎、「?」マークのアホ毛を愛でる余裕はない。 「…もうしばらく、お休みさせて下さい」 「?退院まではまだかかるんだろう?」 それに、さすがに退院してすぐ働けるわけじゃないし。 彼にしては常識的な言い分だった。 …いや、失礼か。 「退院してからも…なんですが」 「?」 「…というか、私警察辞めます」 自分で自分にじれったくなって、言ってしまう。 検事は目を見開いていた。 「…辞めるって、どういうことだよ」 「刑事の仕事…続けられなくなってしまいましたので」 思ったより冷静だな、と意外に思う。 「あの時…骨数本のついでに、脊髄もやられちゃったみたいで」 つとめて軽い調子を保ちつつ、窓の外に目を向ける。 いい、天気。 「多分一生歩けないって、言われました」 眼下の歩道では、今日も様々の人々が往来している。 みんな自らの足でしっかりと歩いていた。 私にはもう出来ないことだなんて、何だか遠い世界の話のようだ。 「刑事は足イノチなところありますから。歩けないんじゃ、話になりませんよね」 ちゃんと笑えていただろうか。 「…今まで黙ってたのか」 彼にしては低い声だった。 怒ってるかしら。 ちらりと顔を見ると…今にも泣き出しそうな顔だった。 「余計な心配をおかけするわけには、いきませんでしたから」 違う。 本当は、ただ割り切れなかっただけ。 もう自分の足で歩けないこと。 彼の「相棒」には戻れないこと。 受け入れられていなかっただけだ。 「……、…」 詰め寄ってくるかと思っていたけれど、彼は何も言わない。 代わりに、拳を強く握りしめていた。 それを視界の端にとらえて、ため息をつく。 …こんな顔、させたくなかったんだけどなぁ。 すると、突然検事が立ちあがった。 ガタンと椅子が大きな音を立てる。 「…一柳検事?」 「……なまえ…オレは、」 じっと見上げる私の目を見返して。 彼は何か言うように口を開き―――結局、閉めた。 「……っ…!」 唇を噛み、彼はそのまま病室を出て行ってしまった。 高い靴音が遠ざかる。 「………」 ベッドに頭を預け、深く息を吐いた。 (…辞表って、茶封筒でいいんだっけ…) ぼんやり考えながら窓の外に目をやった。 もうすぐ、日が沈む。 病めるとき ――――――――――― 弓彦さんの泣き顔ジャスティス。 20131015 |