「異議あり!」 法廷内に鋭い声が響く。 「裁判長。検察側は、故意に証言を誘導しようとしています」 「自分で聞きたいことも引き出せねェ嬢ちゃんに言われたくねェな」 「…何ですって」 「お勉強ばっかり出来ても、それじゃァ何の役にも立たねェぜ」 小馬鹿にするように嗤い、検事は机を叩く。 その音に、証人がびくりと肩を震わせた。 「…証人」 「は、はいぃ」 何が「はい」なのか。 弁護人が把握しきれていないと見ると、 「尋問だ。そこまで言われなきゃ分からねェのかい、嬢ちゃん」 「その口、今すぐ縫い付けてやりたい気分です」 「やれるもんならやってみなァ」 あくまで軽く受け流す検事に、弁護人は口では適わないと察したのか証人に顔を向けた。 尋問が始まる。 「………」 「あ、あの…なまえさん…?」 「…何ですか、オドロキさん」 氷点下の声が返ってきた。 その威圧感に、王泥喜は「い、いえ…」と目を逸らしてしまう。 そして、上司と後輩に助けを求めるように、そちらに歩み寄った。 「な、成歩堂さん…」 「ん。どうしたの、オドロキくん」 「どうしたも何も…なまえさん、すごい機嫌悪いですよ…」 ちらり、と同僚の方を見やる。 普段表情の変化が少ない彼女は、今も無表情に、しかし近寄りがたい空気を醸し出しながら仁王立ちしている。 「裁判には勝ちましたけど、結局ユガミ検事に言い負かされてばっかりだったからでしょうか…」 その上、裁判の一連の流れの中で、相手検事の夕神は、どこかなまえに助け舟を出すような様子が見受けられた。 検事と弁護士という間柄ではあるが、法曹関係者としては後輩に当たる彼女を、陰ながら導いてくれているように思える。 そんな不器用な気遣いに、多分なまえは気付いているのだろう。 しかし、プライドの高い彼女にしてみればそれは侮辱以外の何物でもない。 大いに自尊心を傷つけられ、機嫌を損ねているのではないか。 王泥喜はそう推測したのだが、上司は穏やかに笑うだけだった。 「オドロキ先輩、そんなに心配しなくても大丈夫だと思いますよ」 「希月さん?」 「なまえ先輩の声には、ノイズがありませんから」 人の声から感情を聞き取れる彼女が言うのだから、本当なんだろう。 逆に、あれだけ怒っているように見えてノイズが混ざらない理由が知りたくなった。 それについては、 「うーん。理由は分からないですけど、『喜』がたくさん出てます」 「え。喜び…?」 表に出ている態度との矛盾に、先輩後輩コンビが首を捻っていると。 「すぐに分かるから、まぁ見てなよ」 所長がのほほんと言った。 その言葉に、2人がなまえを見る。 ―――すると。 「ああああああああ!!もう!!」 「「…!!?」」 突然、なまえが大きな声を上げた。 同僚と後輩はびくりと飛び上がるが、上司は相変わらず余裕綽々。 彼らの視線の先で、当の本人はツカツカと壁に歩み寄る。 そして、何を思ったか―――壁を平手で叩き始めた。 「あああ、もう!!何なのよ!」 「え、えっと…なまえさん…」 「何だっていうのよ!」 おっかなびっくり声をかける同僚には目もくれず、壁を叩き続ける彼女。 おろおろする王泥喜の横で、心音も同じくらい驚いている。 もっとも、彼女は彼女で別のことで驚いているようだが。 「え、感情の暴走…?」 「どうしたの、希月さん」 「よ、『喜』の感情が…暴走してます」 いったいどういうことだろう。 その答えは、すぐに本人が教えてくれた。 「夕神検事!かっこよすぎるじゃない!!」 「「え」」 予想外の一言に固まる2人を後目に、なまえは激しい口調で続ける。 「ウイングカラーに陣羽織にブーツってなに!?私の好きな服装全部詰め込んだ感じじゃない!しかも足細い!長い!スタイルいい!でもちゃんと筋肉ついてそうなのがよく分かってらっしゃる!あとあの、人を小馬鹿にしたような口調!あれはあれで痺れるけど、もっと言えば証人になりたい!あの鋭い目で見下されたい尋問されたい踏まれたい!今日とか何あれ、『そんなことも分からないのか』ってもう最高!低音で低温な声で言われたらもっとエクセレントだわ!手も大きくて指長くてごつごつしてて、検事席の机がうらやましい!私も叩かれたい!あああもう、夕神検事素敵すぎ!」 きゃあああと黄色い声を上げながら、片手を頬に当てて恥じらっているように見える。 しかしもう片方の手は壁を殴り続けている。 なまえのあまりの変貌ぶりに王泥木と心音は声が出せない。 対して成歩堂は「ほんとにドMだねぇ、なまえちゃん」などと笑っている。 「お…怒ってたわけじゃないんだね…」 「そ…そう、みたいですね…」 同僚と後輩は、まだびくびくしているが、なまえは気付いていないようだ。 「あれで甘いもの好きとか鳥好きとか、かわいすぎる!」などと悶絶している。 知らなかったが、彼女の趣味のベクトルは被虐的な方に向いているらしい。 彼女が容赦なく壁を打撃しながら悶えていると、唐突に控室の扉がノックされた。 途端、すっ、と壁殴りが止む。 「弁護士さん達よォ。入っていいか?」 噂をすれば何とやら。 すると、彼女が素早く動いて扉を開けた。 「…何用ですか。夕神検事」 今の今まで騒いでいたのがウソのように、平坦で冷たい声音だ。 あまりの落差に王泥喜と心音はついていけていない。 夕神は応対したのがなまえなのが意外だったらしく「おう、嬢ちゃんか」などと言っている。 「何揉めてんだか知らねェが、ちったァ静かにしろ。廊下まで聞こえてらァ」 「余計なお世話です。…他に要件がないなら早々にお引き取りを」 ばっさりと切り捨てるような言い方だった。 それに対して夕神は、何故か立ち去ろうとしない。 「嬢ちゃんよ。そんな可愛くねェことばかり言ってると、嫁の貰い手がなくなるぜ」 「あなたに言われたくありません」 ぴしりと返すと、検事は低く笑った。 年下の女の子が噛みついてくるのが面白いんだろうか。 「面白ェな、お前さん。次の法廷も楽しみにしてるぜ」 「次こそ泣かします」 「どっちかってェと泣かされたい方じゃねェのか?」 部屋を出ていく際、検事は意地悪い調子でそう言った。 「何を馬鹿なことを。とっとと帰って下さい」 びしりと返すと、夕神はちょっとうるさそうに軽く手を振って部屋を出て行った。 「………」 バタンと閉まった扉を見つめて。 ドン、と拳を扉に当てる。 「…夕神検事」 低い声で、彼女が呟いた。 「やはり、ポイントを分かっておられる…!」 そうしてまた、扉を殴りながら悶絶する様子を、事務所の仲間たちが三者三様に見つめていた。 イタイのがスキ ――――――――――――― 多分、ユガミ検事は分かっててやってると思います。 20130930 |