※夫婦設定。本編後の話。 ※夢主攻めっぽい。 『亡霊』に関わる7年越しの事件が収束して、数週間。冤罪で死刑判決を受けていた検事も釈放され、仕事に復帰している。そして、検事局を束ねる彼―――御剣の忙しさも普段に輪をかけたものとなっていた。UR-1号事件の解決に伴い、御剣は『法の暗黒時代』に本格的にメスを入れ始めていた。まずは身内から、と検事局内部で疑わしいところはないか調査している。彼だけでは到底無理なので、信頼のおける部下や、事件の渦中にいた検事・夕神迅も協力している。それでも暗黒の根は深く、叩けば叩いただけ、ぼろぼろと露呈していくのだった。そのおかげで、ここ数日は家にも帰れていない状態である。 書類の整理がひと段落したところで、御剣は顔を上げた。部屋の時計を見ると、午後8時。 (…少し、休憩するか) 長く息をつき、眼鏡を外す。目の奥を押しながら背もたれに深く寄りかかると、急に眠気が襲ってきた。茶でも飲むか。そう思い、席を立とうとする。―――と。 「どうぞ」 とん、と目の前にカップが置かれる。驚いて見上げた先には、 「お疲れ様ですわ」 輝くような、極上の笑顔があった。 「…!!?」 驚き過ぎて、椅子から落ちそうになった。それを見て笑顔がまた綻ぶ。 「あらあら、そんなに驚かなくても良いではありませんか」 「……なまえ…」 何とか椅子に座り直して心を落ち着け、状況を整理しようと試みる。 「何故、君がここにいるんだ?」 尋ねると、なまえと呼ばれた女性は自分のカップにもポットを傾けつつ、答えた。 「窓の外、ご覧になって」 「外…?」 言われた通り、窓の方を見やる。カーテンを引き忘れたガラス越しには、くっきりとした三日月が浮かんでいた。 「…月が、綺麗だな」 「そうでしょう?せっかくですから、怜侍さんと一緒に見たくて」 さらりとそう口にする。職業柄か、彼女はそういう言葉回しを恥ずかしがらずに言えてしまう。そんな彼女は、御剣の6歳下の妻である。派手さはないが凛とした気品漂う、美しい女性だった。検事局には既婚者もそれなりにいるわけだが、正直、御剣は自分の妻が一番綺麗だと思っている。それはさておき、局長自慢の妻は、何故か立ったままカップに口を付けている。 「座ったらどうだ?」 「いえ、このままで大丈夫ですわ」 にこり、と彼女は微笑む。その笑顔に、重たかった頭が少し、すっきりしたような気がした。 「それにしても、いつの間に部屋に入ったんだ?全く気付かなかった」 「実家に伝わる秘術です。…なぁんちゃって」 「自分で終わらせてどうする」 「あら、ツッコミたかったのですか?」 「そういうわけではないが…」 面白がる彼女に良いように転がされそうで、御剣はそこで一旦口をつぐんだ。 「…それで、本当の理由はなんだ?」 「私に言わせるんですの?」 「?」 彼女はカップを机に置くと、音もなく近づいてきた。すぐ隣に立って手を伸ばし、彼の眼鏡をとった。 「…最近、あまりお帰りになりませんよね」 眼鏡を机の上に置く。 「お仕事が大変な時期なのは分かっているつもりですが…少し、寂しいですわ」 「…すまない」 それしか言いようがない。すると、妻は一瞬悪そうに笑った。 「…本当に、そう思ってらっしゃる?」 「ああ、君にはいつも申し訳ないと思っている」 「そう…ですか」 それは、嬉しゅうございます。そう言って彼女は御剣の手を取り、軽く引く。 「…なまえ?」 「今は休憩中なのでしょう」 楽しそうに口にしながら、白い指で御剣の頬に触れる。彼が何か言う前に、彼女はその口を塞ぎにかかった。 「…職場、なのだが」 「良いではありませんか。たまには、」 褒められないことをしてみても。 「………」 彼も言葉を駆使する職業ではある。しかし、仕事以外のことに関して言葉を操るのは、彼女の方が数段上手いと思った。今だって、ほら。休憩中とはいえ仕事中にも関わらず、彼女の腰に手を添えてしまっている。完全に、乗せられているようだ。 「鍵は、かけておきましたから」 最後の一押し、とばかりにそんな言葉が耳元で囁かれた。 夕神迅は、何種類かの書類を持って局長室の前に立った。検事局長のサインが必要なものがあったので、持ってきたのだ。いつもなら補佐の事務官などに任せるのだが、今日はもう帰っているし、自分で持って行った方が早いので夕神自らやって来た。捻くれてはいるが礼儀礼節はしっかりしている彼なので、ちゃんとノックしてから局長を呼ぶ。しかし、返ってきたのはちょっと予想していなかった声だった。 「どうぞ。お入り下さい」 鈴を鳴らしたような、涼やかな声。予想はしていなかったが、覚えのある声ではある。一瞬で大体の事情を察し、ある意味恩人である局長の名誉のためにも、回れ右したくなった。 「鍵は開いておりますよ」 そんな夕神の気持ちに畳み掛けるように、部屋の中から例の声がする。ちょっとため息をついて、夕神はドアノブに手をかけた。 「あら、迅さん。ご機嫌麗しゅう」 扉を開けると案の定。 「…姐さん」 局長の奥方であるなまえが、綺麗すぎる笑顔で迎えてくれた。肝心の局長は、というと。 「〜〜〜ッ…!」 「………」 触れるべきか、否か。寸の間迷い、彼女の笑顔に行きつき、答えを否にした。同時に、今目の前にしている光景は己の心の中だけに留めておこうと思った。 検事局きっての天才であり、若くして局長に就任した御剣怜侍その人が。美しい手弱女に裏十字固めなんか決められているなんて。それは見事な決まりぶりで、そういえば彼女は見た目に反して柔道の有段者だったことを思い出す。 「来てたのか」 「ええ。最近、とんとご無沙汰な旦那様の顔を拝みに。危うく、忘れるところでしたから」 ねぇ、あなた? 御剣の背中に乗せられた両足に、ギリ、と力が入る。彼の表情は見えないが、苦悶の色を浮かべているに違いない。痛すぎて声が出ないのか、手でバシバシ床を叩いている。ギブアップの意思表示だ。それを知らないわけでは決してないのに、彼の細君はなかなか解放しようとしない。どちらかというとサディスト気質の部類に入る夕神だが、何だか拝みたい気持ちになる。それでも局長の境遇に触れることなく、机の上に書類を置く。 「…局長のサインが要る書類だ。期限は明日の昼だから、それまでに頼まァ」 「承りました。お伝えしておきます」 あくまで優しい声音で言う彼女と、その下に敷かれる上司を見比べる。 (…御剣のダンナ、すまねェ) 柄にもなく心の中で手を合わせ、彼はそのまま退室した。ふと廊下の窓に目を向けると、切り取られたような夜空が見えた。 「…月が、綺麗だなァ」 今日はもう帰ろう。そう決めて、夕神は歩き出した。 愛妻家の夕食 おまけ↓ 「…関節技は、まずいだろう」 「そんなこと言って。気持ち良かったでしょう?」 「断じてない」 「ふふ…帰ったらお詫びしますから、許して下さいな」 「……次は、せめて投げるくらいにしてくれ…」 ―――――――― あれ?何か局長ドM?タイトルは林檎さんの『愛妻家の朝食』より。原曲はどことなくバイオレンスな雰囲気が漂ってますが、局長夫妻は今日も平和です。 20130930 |