※夢主が病んでて不死身です。グロ・血表現注意。 ふと、自分の血の色が気になった。普通、血液というのは赤い色をしているものだ。昨日見た時は私のも赤かったが、果たして今日もそうなのだろうか。気になったので、見てみることにした。 「……」 愛用の小刀を首筋に当てて、滑らせた。日課になりつつある行為だから、一番たくさん血の出る場所はよく分かっている。ふつり、といつもの感覚がした。最初はあまりに刺激が強すぎてそこらをのたうち回って苦しんだけれど、もう慣れた。この鋭角の痛みや、そこから温かな水が飛び出す様子を見るのにも。慣れた。 「…赤いよね、やっぱり」 もう長いこと寝泊りしている洞窟の壁を、水が濡らす。終わったらちゃんと掃除しているけれど、壁は大分黒く変色してしまっていた。赤で塗りつぶして、掃除して、黒くなって、また赤色を塗る。その繰り返し。いま何度目かなんて覚えてない。どうでもいい。 「そっかぁ。まだ赤いんだぁ」 何だか残念なような、安心したような。自分でもどっちだかよく分からなくて、小刀を放る。早めに洗わないと使い物にならなくなるけれど、今はちょっと動きたくない。首筋から水分がたくさん飛び出していったおかげか、自分がしゅるしゅると縮んでいくような、妙な錯覚を覚えた。このまま体の水分が全部出て行ったら、私死ぬのかな。死ねるかな。――やっと。 「…何してるんです」 と、突然洞窟の入口近くから声をかけられた。低い、とっても耳触りのいい声。首を巡らせると、案の定。 「こんにちは、鬼様」 黒い着物に髪をお団子に結い上げた、背の高い男の人。…いや、ヒトじゃなくて鬼だけど。彼の額には角が一本生えている。なんでも、地獄で閻魔様の補佐をしているという。嘘みたいな本当の話だ。最初聞いた時は信じられなかったけれど、彼の角と尖った耳と、何より私自身が嘘みたいな存在だと指摘されて、それもそうだなと納得した。 「今日も現世見学ですか?」 「そんなところです。…そういう貴女は、お楽しみ中ですか」 「そんなとこです」 鬼様の言葉を真似して返すと、鬼様はこっちに歩み寄ってきた。私の目の前の壁と床、それから私を順に見る。それからため息をついた。 「今日は頚動脈ですか」 「へぇ、ここ、『けいどうみゃく』っていうんですか」 この鬼様は色んなことを知っていて、人の体の構造にも詳しい。他にも薬の調合なんかも出来て、すごいなと思う。 「ええ。傷つければこんな風に大量出血し、早々に死に至るはずです」 言いながら、鬼様は私の前に膝をついた。ぺしゃりと気の抜けた音がする。なんだろうと視線を下げれば、水をたっぷり吸った私の着物が、鬼様の膝に潰されて立てた音だと分かった。 「…まぁ、貴女以外の人間の話、ですけれど」 鬼様が私の首筋に触れた。長くて綺麗な指の下で、私の首――鬼様によると『頚動脈』――がとくとくと脈打った。その速度と強さは、血の色を確かめようと思い立つ前と変わらない。変わってくれない。 「鬼様、私まだ生きてますよね?」 「残念ながら」 短い返答に、今度はこっちがため息をつく。 「今日こそイケるかなぁって思ったんですけど」 「まだ試してなかったとは、意外ですね。頚動脈なんて真っ先に考えつきそうなものですが」 「試しましたよー、何度も」 「…では、何を根拠に」 こんきょ。そう言われても、何もない。何となく、今日は大丈夫そうな気がしたんだ。…何日か前にも同じことを思って、海に飛び込んだ気がするけど。私の返事を聞いて鬼様はちょっと首を傾げた。一見冷たそうな美形なのに、こういう可愛い仕草がけっこう似合う人だった。 「計画性がないのはいけませんね。こういうことは、先々まで見通した上でプランを練らなければ」 そう言ってくれる鬼様には悪いけど、私はその“先々”を見たくない。というより、見るのに飽きた。いつもいつも、私ばっかり先を見る。ひとりで。…もう、うんざり。 「それにしても、人魚の肉の効力がこれほどとは思いませんでした」 人魚、という単語にぴくりと体が反応する。当時のことはもうほとんどおぼろげだけど、それだけは鮮明に思い出すことができる。柔らかで程よい弾力の舌触り。花にも果物にも似ていない、甘く瑞々しい香り。淡い薄桃色の見た目から淡白なのかと思いきや濃厚な味。覚えてる。忘れられない。あれを興味本位で食べたばかりに、私は。 当時の自分の愚かしさを思い出して腹が立ち、腕におもいきり爪を立てた。滲んだ色は、やっぱり赤だった。 「ねぇ鬼様、私を地獄に連れて行ってくれませんか?」 「どうしました、突然」 「いや、先にあの世に行っちゃえばそのうち死んだことにならないかなと思いまして」 「そんな努力すれば結果はついてくるみたいに言われても…。それから、死ぬために努力したら大抵は地獄行きですよ」 死ぬための努力をした結果死ぬ、つまりは自ら命を絶つということ。確かに重罪だろうけど、今の私に罪の重さはあまり関係なかった。とにかく、あの世に行きたい。この世には、いたくない。人魚の肉を食べて数百年、私は時間の流れから弾き出されたように当時の姿のままだった。周りの人はみんな等しく老いていく。そして、置いていく。私だけを残して逝ってしまう。もう嫌だ。ひとりは、嫌。みんなの後を追おうと色々試したけれど、どれも効果はなかった。ただ痛くて、苦しいだけ。 「…辛いなら、もうやめたらどうですか」 と、鬼様は言った。 「いくら死なないといっても来る日も来る日も自分の体を痛めつけるのは、見ていて気分の良いものではありません」 「そうは言いつつけっこう頻繁に来てくれますよね」 「実際に人魚の肉を食べた数少ない事例ですから。普通は、捕獲しても気味悪がって捨てますよ」 あくまで私を研究対象のように彼に、かえって好感を抱く。下手な同情や憐れみよりずっといい。私の境遇を知った人の大半は、怯えて去っていく。残った稀有な人は、かわいそうにと憐れむか羨ましいと口にする。かわいそう。ねぇあなた、死ねないって経験したことあるの?ないでしょう?じゃあ何故、私の気持ちが分かったような口ぶりで話すの?分からないなら分からない、でいいのに。その点この鬼様は、私のことが分からない。傷を負ってもすぐ回復する仕組みや、私が普段なにを思っているか。何も分からないから、研究する。観察する。質問する。“貴女”のことを、知りたいから。会って間もない頃、鬼様はそんなことを言った。 「そうだ、鬼様が私を食べてくれればいいんですよ」 「…それはまた突拍子もない」 「え?鬼って人食べるんじゃないんですか?」 「鬼といっても色々いますからね。そういう方も中にはいるんでしょうけど…とりあえず私はそんな趣味ないです」 なんだ、そうなのか。回復する余地もなく食べ尽くしてくれれば、と思って提案したけど、ちょっとがっかりした。その反応があからさま過ぎたのだろうか、鬼様は若干目を細めて、首筋を触っていた手を引っ込めた。白い指先を濃い赤が遠慮なく濡らしていた。そして、何を思ったか鬼様は、その指を自分の口に持っていく。 「趣味ではないですが、貴女は美味しいと思います」 これも人魚の効果なのでしょうか。そう言って珍しく薄らと笑う鬼様は、とても綺麗だった。 「そうですね……気が向いたら、食べて差し上げるかもしれません」 「ほんとですか?嬉しいなぁ」 「…貴女、本当は死にたがりじゃなくて単なるドMなのでは?」 どえむ?なんだろ、その言葉。意味が分からず首を傾げていると、お気になさらずと視線を外された。 「とにかくこれで体拭いて下さい。顔やら腕やら、酷い有様ですよ」 いつの間に用意していたのか、濡れ手ぬぐいを差し出される。お礼を言って受け取り、赤い色が飛び散った肌を拭っていく。胸の方までべっとりついていた。面倒なので帯をとっぱらって拭こうとすると、 「男の前で、それはちょっとどうかと思いますが」 「?」 「見てもいいなら遠慮なく拝見しますけど、どうします?」 「ええと…よく分かりませんがとりあえずあっち向いてて下さい」 あんまり凝視されてもやりにくいのでそう告げると、鬼様は「そうですか」と一言、私に背を向けた。ちょっぴり残念そうな声に何だか笑いがこみ上げる。 「…ふふ」 「何笑ってるんです?気色悪い」 「もっと言って下さい」 拗ねたように言葉を投げてくる鬼様が面白くて言ったつもりだったけれど、鬼様は違う意味でとったらしい。「やはりただのマゾ…」とかなんとか、ぼそぼそと呟いていた。 ふと、壁に目をやる。黒の上に塗られた赤が、後ろを向いた鬼様の着物のようで、胸のあたりが少し暖かくなったような気がした。 ―――――――――――――― 八百比丘尼的な夢主と鬼灯さんでした。病んでる子もいいもんですね。 20140612 |