※蛇神さまと烏天狗の異色カップル



ふわりと水の匂いがした。と、思ったら案の定。


「迅さまー」


ぎゅっと脚に抱き付いてきたのは、ひとりの童女だった。


「……お嬢ちゃん?」
「はいっ、お久しぶりです!」


童女は嬉しそうに顔をあげた。


「しばらく見ねェうちに転変できるようになったのか」
「はい、頑張って練習しました!」


どうですか、と着物の袖を持って振って見せる。頭を撫でてやると、えへへと笑って満足そうだ。


「あ、用事を忘れるところでした」


はたと気付いて、童女はつぶらな目を瞬かせた。


「迅さま、主さまがお呼びです」
「なまえが?」
「きんきゅーじたい、って仰ってました」


童女は言葉の意味を分かっていないようだが、本当なら今すぐ駆けつけなければならない。しかし彼は急ぐ風もなく、むしろ面倒そうに岩場から立ち上がった。


「どうせまた、ロクでもねェことなんだろ」


そんなことを言いながら、指笛を吹いた。すぐさま、1羽の鷹が現れる。


「お呼びですか、主」
「ちょっくら出かけてくる。お嬢ちゃんの相手してやってくれ」


鷹が返事をする前に、「ギンさーん」と童女が鷹に抱きついた。両手で抱え込み、むぎゅむぎゅと頬ずりする。鷹が一瞬「ぐえ」と呻いた。


「…す、すると…なまえ様のところですか」
「ああ。緊急事態なんだとさ」


便利な言葉だねェ、と苦笑して、彼はバサリと翼を広げた。漆黒のそれをはためかせると、辺りの木々が揺れる。


「いってらっしゃーい」


地上で童女が手を振る中、彼は慣れた道を飛んだ。






目的の場所は、彼の住まいよりもっと山奥にある屋敷だった。屋敷の傍には泉があり、地下から湧き出た清らかな水が満ちている。そこから幾本もの細い川が伸び、山に住む木々や動物たち、麓に集落を作った人間たちに恵みを与えているのだった。麓に住む人間たちの間で旧くから伝えられる話によると、こんなにも清らかな水が湧き出るのは、山におわす『水神様』のおかげらしい。水神様は白蛇の姿をしていて、たくさんの蛇たちを眷属としている。だから、蛇はとても神聖なものなのだ。―――そんな風に、言い伝えられているようである。それは、『当事者』からしてみれば半分当たりであり、半分外れであるのだが。


「緊急事態だ、って呼び出し受けたんだが」


屋敷の玄関付近を掃除していた童女に話しかけると、童女は彼の顔を認めて手を止めた。


「てんぐさま!」


童女は見慣れた客人ににっこり笑いかけた。彼を呼びに来た童女よりも年下に見える彼女はこの屋敷――水神の屋敷の小間使いであり、ここで働くほとんどの者がそうであるように、本性は蛇だ。今頃彼の相棒である鷹と武道ごっこに勤しんでいるであろう彼女も、しかり。


「待ってる!ぬしさま、てんぐさま、待ってる!」


まだ人の姿をとれるようになって間もないのだろう、舌の使い方が分からずおかしな区切りで童女は喋った。そうして、箒を壁に立て掛けて彼の手を引いた。


「ぬしさま、きんきゅーじたい。ぬしさま、こっち」


緊急という割に全く焦っていないので、彼女も言葉の意味を理解していないのだろう。多分、主である水神に言われたとおり真似しているだけなのだ。歩きなれた屋敷内だったが、童女は律儀に案内してくれた。途中ですれ違う者たちが揃って彼に頭を下げてくる。着いた先は、屋敷の最奥に位置する部屋だった。すると、案内した童女はすっと膝をつき、中に声をかけた。


「ぬしさま。てんぐさま、きた」
「お入り」


襖の向こうから、艶やかな声が届く。しかし何故かくぐもっている。童女が音もなく襖を開けると、部屋の中央に大きな布団が敷かれているのが見えた。質素だがよくよく見ると凝った模様の入った布団の下からは、白い何かが覗いている。


「ありがとう。戻っていいわよ」


言われて、もう一度礼をして童女が部屋を出て行った。艶めいた声は、布団の中から聞こえてくる。


「…遅かったわね、迅」


緊急事態って、あの子言ってなかった?不機嫌そうに問われて、ちょっと笑った。


「あんたの場合は、何でもかんでも緊急だよな」
「仕方ないでしょ。一回一回、すっごく困ってるんだもの」
「自分で解決しろよ、あんた神様だろが」
「神様だって万能じゃないのよ」


女の声に合わせて、布団から覗いた何かがぱたぱたと畳を叩く。何とはなしにそれを掴んで一気に引きずり出すと、不意をつかれたのか「きゃっ」と悲鳴が上がった。布団の下から現れたのは、美しい白蛇だった。人間たちが崇め奉る、水神様である。白蛇はゆっくり頭を上げて、紅色の双眸を細めて彼を睨んだ。


「…なにするの」
「蛇に戻ってんぞ」
「別にいいでしょ?自分の家なんだから。それより寒いから早く布団かけてよ」


蛇は変温動物である。それは彼女も変わらない。神位にあろうとなかろうと、寒いものは寒いのだ。今日は太陽も出ていないし、早春だがまだまだ気温は低い。小間使いたちはみんな厚着をしていたが、このためだったのか。くったりした彼女を抱え直して布団に戻してやると、引っ張り出されるのを警戒してかすっぽり収まった。


「あんたも服着りゃいいじゃねェか」
「めんどう」
「なんだそりゃ」
「だって、服着る時って人間の姿にならなきゃいけないじゃない?今そんな力残ってないわよ」
「蛇のままでも着れないわけじゃねェだろ?」
「嫌よ、美しくないわ」


ワガママなことだ。いつもどおりだけれど。かの水神様がこんな性格だと知ったら、麓の人間たちはどう思うだろうか、とこれまで何度考えたことだろう。思えば、彼女との不思議な縁も長きにわたっている。彼がまだ人間だった頃からなので、かれこれ数百年になるだろうか。一瞬、初めて会った頃の彼女を思い出して、今とほとんど変わらないことを再確認した。その際に少しだけ隙が出来たのだろう。しゅるりと彼女の尻尾が胴体に回り、あっという間に布団の中に引き込まれた。すぐさま、くるくると巻き付かれる。


「…何すんだよ」
「湯たんぽ」
「あ?」
「いったい何のために、おまえを呼んだと思ってるの?」


軽く笑う声が聞こえる。どうやら、彼で暖をとるためにわざわざ呼びつけたらしい。


「…まったく、大した神様だよ」
「うるさいわね。つべこべ言ってないで、さっさと私を暖めなさい」


言っていることは高飛車であるが、彼の首筋にすりすりと頭を寄せる様子は何だか可愛らしかった。へいへい、と返事をして、彼は愛すべき白蛇の頭をそっと撫でた。





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また蛇夢主でした。ちなみに、ギンちゃんをむぎゅむぎゅしてた眷属は『ふわふわる』のあの子だったりします。で、夕神さんは烏天狗です。修験者っぽい格好似合いそう…。烏天狗って、元人間でもなれるという説をどこかで見た気がするので、夕神さんは元人間ということで。では、読んで下さってありがとうございました。

20140402




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