※拍手お礼文『龍虎の妻』、白澤さんサイドの夢主



彼は軽薄であるが、漢方の権威で一応知識の神である。神ゆえ、捧げ物をもらうことはままあった。大多数は食べ物や作物なんかだが、時々人間が混じっていることがある。生贄という奴だ。人を食べる趣味はないし、正直もらっても困る。かといってそのまま返しても、捧げられた本人が生贄になりたくないから逃げ出したなどと言われかねないので、知り合いに紹介したり別の場所で暮らせるようにしたりして対処していた。もちろん可愛い女の子だと、相手の反応次第でちょっと楽しい思いをさせてもらうけれど。

しかしながら。


「……っ、…」


短く息を吸う音が聞こえた。目を瞬かせて、間近にある彼女の顔を見つめる。彼と視線が合うと細い肩がぴくりと震えた。滑らかな頬を雫がひとすじ、伝っている。そんなに泣かなくても大丈夫なのに、と涙を拭おうと手を持ち上げようとして―――やめた。だって、今の己の手で彼女の頬に触れたら、せっかくの綺麗な肌を汚してしまう。ゆっくり視線を下げた先の手のひらには、真っ赤な鮮血がべっとりとついていた。そして着物の腹部も同じ色で染め上げられており、おまけに大きな穴が空いていて、今しがたそこから引き抜かれた短剣は彼女の手に握られていた。小刻みに震える切っ先を見つめながら、力の抜けた足が崩れた。膝をついて呼吸を整えるよう努める。


「…随分と、アグレッシブな花嫁さんだねぇ。そういうところも好きだよ」
「……、…」


あくまでへらりと笑っている彼を、彼女は目を見開いて見つめていた。今にも崩れ落ちそうな体を気力だけで無理やり立たせているような、そんな様子だった。

彼女は、神獣白澤へ“花嫁”という名の生贄として捧げられた少女である。見目の良い女は見慣れているはずの白澤が一目見て「おぉ」と感嘆の声を洩らしたくらいの、可愛い娘だった。元々日本出身で、小さな頃に母国で中国人の奴隷商人に捕まって訳も分からず海を渡ってきたという話なので、日本まで送り届けてあげようと思っていた矢先のことであった。

彼の腹を刺した短剣には、呪いがかけられていた。それも、かなり気合入りの。おかげで、普通の刃物では傷をつけても何てことはない彼の体が、腹部に大きな穴をこしらえるという大ダメージを負っている。


「ふぅん…なかなかいい腕の術者だね。その人が、きみに命令したの?」


花嫁として近づき、彼を殺せと。すると彼女は、不安定な声で答えた。


「…そう…です」
「どうしてかな。僕、何か恨まれるようなことした?」


あの辺の村の子にはまだ手出ししてないはずだけど。小首を傾げて尋ねる。腹を思い切り刺されても軽々しく会話を続ける彼に、彼女は何とも言い難い表情をしていた。


「…貴方は、なにも悪くないのです。……ただ、あの方が…村長が…」


良いか、―――よ。神獣の心臓には、不老長寿の力があると聞く。そこで、日頃の御加護への感謝の印という体で、お前を花嫁として神獣へ献上することにした。必ず奴の心臓を持ち帰るのだぞ。


「…そういうことか。日頃の感謝ねぇ、別に加護与えた覚えないけど」


そもそも、神獣の臓器に不老長寿の力があるなど誰が吹聴したのだろう。そんな霊薬を自己生産できるなら、わざわざ金丹の研究なんてしない。


「ていうか、そんなに僕の心臓が欲しいなら自分で来いっての。こんな可愛い女の子に押し付けないでさ」


ねぇ?見上げた先で、彼の美しい花嫁は頼りなげに短剣を握ったまま。


「…どうして」
「ん?」
「どうして、怒らないのですか」
「なにが?」
「わたしは…貴方を騙して、殺そうとした」
「だって、それは村長に言われてやったんでしょ。きみが悪いわけじゃないよ」
「刺したことに変わりはありません」


何とか言葉をつないではいるが、目尻からは後から後から涙が溢れてこぼれ落ちていった。…これ、僕が泣かせたことになるよね。どこか場違いなことを考えて、白澤は手を腹部の傷に当てた。軽く目を閉じ、口の中で何事か唱える。すると、みるみるうちに血が止まった。


「…!」
「全く…いくらなんでも、神獣の霊力見くびり過ぎじゃない?この程度の呪いで殺せるわけないでしょーが」


文句を言いつつ、着物をちょっと避けて傷口を確認する。さっきまで存在感のありすぎる穴があったそこは、最早短い線状の痕が残っている程度だった。驚愕で彼女の目を丸くなる。そんな様子に、神獣はふわりと笑ってみせた。


「この通りだよ。だから、そんなに泣かなくて大丈夫」
「……、」


彼女は恐らく、奴隷商人から村長に買われたのだろう。それゆえ、逆らえなかった。


「……っ…」


血塗れた短剣が、白魚のような手から滑り落ちた。地面に突き刺さった刃のすぐ横に、今度は彼女の膝が折れるように崩れる。


「あ、あぁ…」


かたかたと震える体と頼りない声に、触ったら血で汚れてしまうなどという気遣いは、もうどこかへ行ってしまった。そっと近づいて彼女の頭を己の胸に引き寄せると、生贄の娘は小さく息を呑んだ。


「あ、あの…神獣様…」
「…今までよく耐えたね」


奴隷として売られたのなら、周囲からどんな扱いを受けていたのかは想像に難くない。若い彼女にとっては、想像を絶するものだっただろう。そんな状況下で、何年も。


「もう、あそこへは帰らなくていいんだよ」
「…!…神獣さま……わたし、」


ここにいても、いいの?


「もちろんだよ」


だってきみは、僕の花嫁だから。

耳元で囁かれる優しい声に、元々壊れかけていた彼女の涙腺が、完全にほどけた。着物の胸元をぎゅっと握り、押し殺した嗚咽が漏れる。ごめんなさい。何度も何度も、そう繰り返した。これまで溜め込んでいた淀みが涙ですっかり押し流され、泣きつかれて眠ってしまうまで。彼はその艶やかな髪をゆっくりと撫で続けた。






「…さて」


安らかな寝息を立てる彼女を自宅の寝台に横たえて、自分も傍らに腰掛けた。


「可愛い奥さん紹介してくれたお礼、しに行かないとね」


神獣は薄らと笑う。その顔は、ちょうど影になっていた。


「せっかく呪いまで用意してくれたんだもの。こっちも久々に気合入れて贈らなきゃね」


神の怒り――神罰、ってやつを。


「……ん、」


と、その時、小さな呻きとともに彼の指がきゅっと握られた。視線を下げれば、未だ夢の中の彼女だった。握る力は弱いが振り解けない。無意識の行動がいとしかった。


「…晩安宝


お礼は今度でもいいか。そう思い直し、柔らかな頬をそっと撫でた。



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拍手お礼文『龍虎の妻』の白澤さんと、嫁の馴れ初め。案外あっさり結婚したようですが、白澤さんのところに来てからいくらか時間が経っています。彼から信頼と好意を得て、ついでに夢主側も白澤さんに惚れちゃってからのタイミングで計画を実行したので、夢主躊躇いまくってました。この後、彼女がいた村は何らかの制裁を受ける模様。最後の中国語は「おやすみ、ハニー」的な意味です。では、読んでくださってありがとうございました。

20140521




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