※7年前の夕神さんと年上女優さん。 「待ってくれ、サチヨ!」 青年は、立ち去ろうとする彼女を必死に呼び止めた。しかし彼女は、足を止めただけで振り返らない。 「もう終わりよ。あなたと私は、こういう運命なの」 「そんなこと言うな!親父のことは、俺がなんとかする!」 「…ジョゼフィーヌさんのことはどうするの。許嫁…なのでしょう?」 「あれは、親父が勝手に決めたことだ。俺が本当に愛してるのは―――」 「そこまでよ」 ぴしゃり、と言葉が遮られる。 「サチヨ…?」 「あのね、イワレンコフ。私、愛してるとか好きだとか、そんな言葉信じてないのよ」 女性は肩ごしに振り返る。その顔は笑っていたが、ひどく寂しげでもあった。 「さよなら、イワレンコフ。楽しかったわ」 「…サチヨ!」 ふわりと前に向き直り、彼女は歩き去る。残された青年の女性を呼ぶ声が、いつまでも木霊していた――― 「バッカみたい」 冷たく一言、彼女はぶつりとテレビを消した。そのまま夕神の方にリモコンを放ってくる。咄嗟に受け止め、ジト目でそちらを見やる。こっちは、彼女が所望したお茶を運んでいる途中だ。幸いこぼさなかったから良かったものの…という文句を含めて見つめると、彼女はのどの奥で笑った。 「ナイスキャッチ」 「…なにがですか」 テーブルにお茶を置くと、「ありがとう」と言って口を付けた。ソファの上でうつ伏せになったまま。行儀が悪いが、それを指摘したところで彼女に効き目は皆無である。せいぜい、「君は私のお母さんか」と笑いながら言うだけだ。これまでの経験上、それをよくわかっている彼なので、彼女の行儀には突っ込まずにリモコンをテーブルに置いた。 「さっきテレビでやってたの、昨日公開になった映画ですよね」 「そうだっけ?」 「そうだっけって…あなた主演でしょう?」 夕神の執務室に突然やってくるこの女性、名前はなまえといい、今をときめく女優である。その類まれな美貌と演技力で人気を誇っている。出演する作品が軒並みヒット作になるので、映画にドラマ、舞台に引っ張りだこだ。そんな彼女が、何故ここにいるのか。夕神の先輩である、赤が好きな検事の友人であることは知っている。しかし、わざわざ夕神の仕事部屋に出向いてくる理由は、見当もつかない。 「私、あの映画出たくなかったのよねぇ」 主演として問題発言である。 「担当プロデューサーさんが昔お世話になった人だから引き受けたけど、ああいう話嫌いなの」 ああいう話。つまりは、恋愛ものということだろうか。 「他人の惚れた腫れたなんて、どうでもいいのよ。親に反対されてるだとか実は兄妹でしたとか、勝手にしてくれって話」 彼女について、夕神が持っている情報は少ない。しかしこれだけは分かる。箱の中の彼女は、箱の外とは別人だということだ。 「…なまえさん、今さらっと映画のネタバレしましたよね?」 「したわよ。どうせ君見ないんだから、いいでしょ」 「そうとは限らないじゃないですか」 「え?見るの?」 いやに驚いた顔で彼女は聞いてきた。彼が彼女の出演作を見ることが、そんなに驚くべきことだろうか。夕神は、テレビはニュースと教育番組と笑点しか見ないし、映画は主に洋画を好んでいる。彼女が多く出演する邦画は正直見たことがない。それでも、彼女にそんな反応をされたら反論したくなるものだ。 「えー、見ちゃうの?」 「…駄目ですか?」 「いいけど…ねぇ?」 ソファの肘掛けに乗り出し、ちょいちょいと彼を呼ぶ。近寄ると眉をひそめ、 「…位置が高いわ。かがんで」 背の高い彼をうつ伏せで見上げるのは、腰と首に堪えたらしい。素直に腰を折る。どういうわけか言われたとおりにしてしまうのは、彼の姉との20年あまりの付き合いからくる、経験談だろうか。身をかがめた彼の頬を、整えられた爪が滑った。 「見てもいいんだけどさぁ。…坊やにはちょっと、刺激的かもしれないよ」 あからさまな子ども扱いに眉をひそめる。普段は腹なんて立たないのに、何故か今日はむっとする。己もまだまだ未熟だ、と頭の隅で思った。 「…臨むところです」 「あら、今日は珍しく挑戦的じゃない」 いつもはカワイイ坊やちゃんなのに。彼女は楽しげに、夕神の頬をつついた。 「挑まれちゃぁねぇ、受けて立つしかないわよね」 そう言って、ソファから立ち上がる。 「さっきのあれ、今から見に行こうか」 「仕事が、あるのですが」 「怜侍には私から言っとくわ。後輩1人分くらいの穴、どうにかしてくれるでしょ」 あいつ、仕事だけは出来るからねー。軽々しく言ってのけ、さっさと出口に向かう。 「なまえさん、」 困った夕神が名前を呼ぶ。どうせ足を止めない―――と思いきや、彼女は立ち止まって振り返った。 「ねぇ、夕神くん?」 「なんですか」 「強気な君も好きよ」 「…え?」 すき、という単語に思わず声がもれる。そんなもの、彼女は仕事の一環で数え切れないほど口にしてきただろうに。国民的女優とは思えない態度の彼女は、にっこりと笑んだ。 「年下の男の子が背伸びしてる姿って、お姉さんぞくぞくしちゃう」 「…なまえさん、そんな趣味だったんですか」 「どうやって遊んであげようか、って夢が広がるわ」 やはりそういうことか。もう止めることはできないのだろう、観念した夕神は、車のキーを取って彼女の後に続いた。 「もちろん、素直な坊やちゃんも大好きよ」 「その呼び方やめて下さい」 ―――――――――――― 年上お姉様が好きです。でも子ども扱いされて拗ねる初心な夕神さんはもっと好きです。タイトルは、スクリーンで見るとお姉様がすごく素敵ないい人に見えることから。 20140104 |