Log2 | ナノ

※さつきあめ番外編


あなたがいない世界に、何の価値があるだろう。偽りだらけのこんな世界、壊れてしまえばいい。―――物語の題材としては、よくある話だ。彼女が以前読んだ小説にも、そんな文が出てきた気がする。そういった思考を持った登場人物は、往々にして世界を我が手中に収めようとする、もしくは世界そのものを壊してしまおうとする。しかしそれは、あくまで物語の中の話だ。彼女は小さな島国のある都市の、もしかしたらちょっとは優秀かもしれないがただの一検事であり、『世界』なんて規模の大きいことには無縁、と今まで思っていた。だから、世界をどうこうしようという登場人物たちには特に感情移入することはなかった。―――でも。


「泣くなよ、なまえ」


今なら、彼らの気持ちが少しだけわかるかもしれない。……なるほど、こんな気分だったのか。


「――被告人に、判決を言い渡します」


これは、世界を壊したくもなるかもしれない。―――ねぇ、


「……、…」


なまえは、はっと目を覚ました。見慣れた天井、慣れた感触。地方裁判所、検察官控え室のソファの上だ。そうだ、今はとある殺人事件の公判中で、自分は担当検事。休み時間の間に少しでも寝る努力をしようとソファに横になったんだっけ。時計を見るにたった10分程度だけれど、自力で眠れたということに少し驚いた。最近、どんなに疲れきっても眠ることができないのだ。ベッドに入って目を閉じたとしても、自然に眠りに落ちるということがない。心療内科から出された睡眠薬を飲んでやっと、という状態が数週間続いていた。眠らないと仕事にならないので、どうしても薬に頼りきりになる。そのせいか、近頃は薬を飲んでも眠れないことが時々あった。この時も、そのおかげでまる3日ほど睡眠をとれておらず、今回の休み時間の仮眠が久方ぶりの睡眠だった。


「……あは」


なまえは自分を嘲るように軽く笑った。不眠症の原因は、よく分かっている。ゆっくりと起き上がると、ちょうど部屋の扉がノックされて係官が顔をのぞかせた。


「比良城検事、そろそろ開廷します。検事席に……」


顔馴染みの係官は、なまえの顔を見て小さく息をつめた。


「……なまえさん。…大丈夫ですか?」
「…ええ。問題ありません」


そんなに酷い顔をしていたのだろうか。いつもの笑顔を作って、つとめて悪戯っぽい調子になるように問うと、係官は真剣な表情を崩さないまま言った。


「顔色がビリジアンです」
「…はは。なんですか、それ」


顔が緑色って何事、と乾いた笑い声を立てながら、ジャケットを羽織って身なりを正し、扉に向かう。控え室を出ると、初動捜査を担当した刑事が寄ってきた。


「比良城検事、次の証人ですが―――」


休憩時間中に手続きを済ませてもらうよう言ってあった証人の様子を聞くに、相当厄介な御仁のようだった。


「…つまりは、凶器とされてる拳銃が実際に使えたかどうか…ということが分かればいいんだよね?」


証人の主張を刑事から聞いて、なまえが結論を言う。


「それはそう…ですが。今となっては、確認する術は―――」
「あるよ」
「…え?」


即答した上司を、若い刑事は目を丸くして見た。上司は振り返らずに、法廷へ続くドアのノブを握った。―――と。


「……、…」


遠目に、白いスーツをまとった長身の背中を見つけた。しかし、すぐに角を曲がって消えてしまう。


「…比良城検事?」
「…なんでもない」


そのまま、彼女はノブを引いた。



* * * * *



「……要するに。提出された拳銃に実用性があったかどうか証明されればいい。…そうですね、証人?」


案の定厄介な証言しかしない証人は、なまえの言葉に不審げな目をして一応頷いた。


「しかし、比良城検事。それを証明するのは不可能では?」
「いいえ?裁判長。検察側は、立証の用意があります」


意外な一言に傍聴席がざわざわと騒がしくなった。それを木槌を叩いて鎮め、裁判長はなまえの方に頷いてみせた。


「分かりました。では早速お願いできますかな?」
「はい」


短く答え、なまえは手袋をはめて凶器として提出された拳銃を手に取った。残弾は1発。正真正銘の鉛玉が入っている。慣れた手つきで弾倉を戻し、グリップを握る。そして、そのまま―――銃口を、自分のこめかみに当てた。


「!?け、検事!何を―――」
「簡単なことですよ」


なまえは至って冷静に――微笑んでみせた。


「実際に、撃ってみればいいんです」


人差し指が引き金にかかり、法廷の喧騒もいっそう高まった。しかし、なまえだけは騒ぎなど耳にも目にも入らない様子で、傍聴席を見つめていた。


「……」


白いスーツも……黒い人影も、ない。目線をずらし、監視カメラがこちらに向いているのを見て。彼女は、ふわりと笑い―――引金を、引いた。


「―――ッ!」


その場の誰もが息をのみ、ある者は顔を背け。ある者は目を閉じた。……しかし、いつまでたっても、彼女の体が床に倒れる音はしない。恐る恐るそちらを見ると―――


「……ね?」


検事席には、担当検事が至って普通の様子で立っていた。


「簡単だったでしょう」


法廷内が唖然としている中、彼女は拳銃を下ろした。


「この銃は、事件発生時から検事局で厳重に保管されていました。正確には、私の執務室の金庫にね。今日まで執務室に出入りしたのは私だけ、金庫の番号を知っているのも、私だけ。細工の仕様はないでしょう?つまり、これは事件当時も撃てなかったはず。……あぁ、私が真犯人で、公判までの間に銃に何かした…と仰るなら、それでも構いませんよ?反論の用意はありますから、どうぞ遠慮なく」


にこりと笑いかけられ、証人の血の気が引いた。溺れた金魚のように口を開閉するも、ついぞ言葉は出てこなかった。すると、なまえは今度は弁護席と裁判長席に向かって言った。


「…この銃は、凶器ではなかったようです。恐らく、形状が同一の別物でしょうね。鑑識に、遺体から検出された弾と他銃の線状痕の照合を頼んでおきました。急いでもらったので、そろそろ結果が出るかと」
「は、はぁ…」
「弁護士さん、君の主張が正しかったみたいだね。申し訳ない」


そう言って、なまえは弁護人に向かって柔らかに笑んだ。己の主張が崩れたというのに、焦りや悔しさは微塵も感じられない。それ以上に、自分のこめかみに銃口を当ててあっさり引き金を引き、それでも平然としていられる彼女が、何か得体の知れないものに感じた。


「…以上です、裁判長」


小首を傾げて言うなまえに、裁判長は曖昧な返事しかできなかった。



* * * * *



ばさばさと重い羽音がしたので振り返ると、1羽の鷹が真っ直ぐ飛んできた。


「あれ、ギンちゃん」
「クエー」


返事をするように鳴いた鷹は、一瞬ふわりと舞い上がり、なまえの肩にとまった。公判が終了し、帰る前に自販機で飲み物を買って、廊下の椅子に座って一息ついているところだった。


「ごめんね。ご飯、検事局の冷蔵庫に置いてきちゃったんだ。また後で持ってくるよ」


そう言って喉元を撫でてやると、気持ちよさそうに目を閉じた。…かわいい。近頃は、この鷹が貴重な癒し成分だった。周りに誰もいないのをいいことに、思わず彼に話しかけてしまう。


「…ねぇギンちゃん。今日の公判、見てた?」
「クエ」
「ちょっとやりすぎちゃったかなぁ。みんな、すごい引いてたし」
「クエー」
「あの証人黙らせるには、手っ取り早い方法だったんだけどね」


『あの人』が見たら、すっごく怒られちゃいそう。あはは、と笑ってみるが、たぶん、うまくはいっていない。


「…ギンちゃん。もう少しだよ」
「クエ?」
「あと少し…あとちょっとで、君のご主人様を自由にしてあげられる」


あと少し。そうなのだ。いいところまで来ている気はする。けれど、まだ―――何かが、足りない。


「…もう、やんなっちゃうな。…時間、ないのに」


7年前から動き始めた時計は、あと数ヶ月で止まる。…それまでに、なんとしても。


「寝てる暇なんて、ないよね」


ねぇ、と鷹に指を差し伸べると、軽く噛まれた。そんなに痛くないので、甘噛みだろう。…何だか、今日は疲れた。動きたくなくなったので、もうちょっとだけここに居座ることにした。



* * * * *



「……、…」


こんな寒いところでよく寝られるな。寒がりのはずなのに。廊下に置かれたソファで居眠りしている彼女を見下ろしながら、夕神迅はそんなことを思った。膝の上には、何故か彼の相棒であるギンまで丸くなっている。とりあえず、こぼす危険性回避のため、彼女の手からミルクティーの缶をとって脇に置いた。手錠をされた両手では少しだけぎこちない動作になった。それから、どうするかしばし考えた。本来なら、すぐに刑務所へ戻らねばならない。元々、今日は無理を言って彼女の裁判を傍聴しにきたのだ。監視役の刑事が酔狂な人物だから許可が下りたものの、いつまでもここに残るわけにはいかない。自分は、死刑囚なのだ。


「…おい。…お嬢さんよ、」


彼女のことをそんな風に呼ぶのはいささか変な心持ちがした。当の『お嬢さん』は、全く目を覚ます気配はない。色々と、今日の裁判について言いたいことがあったのに。


「……なまえ」


ちょっとためらってから、名前を呼ぶ。しかし、それでも起きない。余程深く眠っているのだろうか。以前、局長が「最近顔色がインディゴだ」と彼女の体調を心配していたが、今見る限りでは眠っている。と、彼女の顔に髪が落ちてきた。反射的に手を伸ばして直そうとし―――じゃらり。鎖の音がした。


「……」


伸ばした指は、彼女にぎりぎり届かないところで鎖に引き止められた。ふ、と長く息をついて、手を戻した。ちょうど、と言うべきか否か、聴き慣れた早い靴音が近づいてくる。ユガミくん。そう呼ばれる前に、彼は踵を返した。




―――――――――――
死刑執行日が迫ってきた時期の柊ちゃんです。元々、ケロっとした顔でやんちゃするタイプの検事ではありますが、この頃は大分精神すり減ってます。表向きはいつも通りなのがなお悪い感じ。夕神さんと番さんは多分別室から監視カメラで傍聴してたんじゃないですかね。いつも甘いのばかり書いてるので、たまには暗めの「さつきあめ」も。では、読んで下さってありがとうございました。

20140313




「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -