7年ぶりに立った証言台から半壊した法廷を見渡す。隣には誰もいない。証言台は狭いから、俺ひとり立てばそれで埋まってしまう。検事席には、鋭いんだかボケてんだかたまに分からなくなる上司が立っていた。そっちはまだスペースがあるが、上司ひとりだけだ。


『現実から、目をそらしてはならないのです』


十も年下の小娘が、前に言っていた。


「……成の字」


弁護席の青いやつが頷いた。






すべてが終わった後。旦那が俺に、携帯を差し出してきた。


「…声を聞かせてやれ」


真面目な顔でそんなことを言う。いったいどういう――尋ねかけて、旦那の表情にはっとした。


「…嬢ちゃん…?」
「ああ。たった今、病院から連絡があった。志奈子さんが意識を取り戻したそうだ」


先日、審理中に法廷が爆破される騒動があった。幸い死者は出なかったが、怪我人は大勢いた。その中でも彼女――志奈子が一番ひどいとばっちりを受けた。傍聴人の誰かが落としたバナナの皮(傍聴席で物食うな)ですっ転んで証言台に後頭部を強打、倒れ伏したところに更に瓦礫の追い打ちをかけられ――たところで、何とか追いつき外に連れ出すことができた。
その時にはすでに意識がなく、転がるようにやってきた救急車に乗せられていった。ド○フかよ、とツッコむ余裕はさすがになかった。あれから数日、ようやっと目が覚めたらしい。


「担当看護師に繋がっている。これから病室まで行って彼女に代わってくれるそうだ」


何でわざわざ俺に話させるんだと言ってやりたいところだが、何よりもまず彼女の無事な声を確認したかった。いや、厳密には無事じゃないか。電話を耳に当てて名乗ると、看護師は委細承知らしくもうすぐ病室に着く旨を伝えてきた。向こうでガラガラと引き戸がなる。


『岡さん!彼氏さんからですよ!』


いやおいちょっと待て、何か勘違いしてねェかこの看護師?


『え…?』


え、じゃねェよ。


『あ、あああああああああ!?』


いきなり耳を襲った悲鳴に、思わず携帯を思い切り離した。周りにいて志奈子の意識回復を喜んでいた連中も、びくっと飛び上がる。


「どうした?」
『あ、ああ…岡さんが…!』
「嬢ちゃんがなんだ?」


『岡さんが、いないんです…!』




「ええええええええ!?」
「志奈子さ…うわあああああん!」
「み、みぬきちゃん!泣かな…つられて…わああああああん!」
「は、ハミちゃんまで…!ううう、なんだかわたしも…!」
「おおお願いだから落ち着いて!どどどどうしましょう成歩堂さん!」
「うん、君も落ち着くんだよ、王泥喜くん。…看護師さん、志奈子ちゃんの携帯は残ってますか?」


混乱と不安で未成年面子が泣き出す中、成の字が電話の向こうに問いかけた。


『ええと…携帯とお財布がなくなってます』
「そうですか。…ユガミ検事」
「ああ」


皆まで言われなくてもわかる。一旦看護師との通話を切り、例の11ケタを正確に入力した。こんなところで役立つとは思いたくなかったが。

1回、2回、3回と呼び出し音が続く。周囲が固唾を飲んで見守る中、ぶつりと通話がつながった。


『はいっ、もしもし!こちら、岡志奈子のスマートフォンでございます!』


とりあえず元気な声にひとまず安心した。どうやら誘拐とかではないようだ。


「嬢ちゃん、今どこだ?」
『その声は!…げほ、ゆ、夕神さま!ごほがほ、ということは…!』
「あァ。運が良いのか悪いのか、まだ生きてるよ」
『……っ!』


電話口で短く息を吸う音が聞こえた。が、すぐに激しく咳き込む。…走ってるのか?


『よ、良かったぁ…!うう、うわあああああんぐふっ、げほ、ごほげほがほ!』
「とにかく、迎えに行くから大人しくしとけ!どこにいる?」
『もう着きました!』
「は?」
『ですから、』


「来ちゃいました!」


耳元と少し離れたところと、同時に聞こえた。よりはっきり聞こえた肉声に顔を上げる。――そこには。


「ゆ…夕神…さま、」


頭や腕などいたるところに包帯を巻いて、入院患者が着る寝巻きにスリッパというなんとも場違いな出で立ちの、彼女が立っていた。やはり走ってきたらしく彼女は肩で息をし、片手に携帯を持っている。


「…嬢ちゃん、」
「ゆうがみ、さま……ホントだ…よかった…」
「…良くねェよ」


へにゃりと情けなく笑っている彼女に、大股に近づいた。身長差のせいで、間近に立つと彼女は相当見上げなければならない。首が痛そうだ――知ったことか。


「ちょっと前まで意識不明だった奴が脱走だァ?阿呆か!」
「あ、あはは…すみません、」
「笑い事じゃねェ!何かあってからじゃ遅ェんだぞ!」
「…怒った顔も、すてき、ですね…」
「お前はッ…!」


こっちは真面目に喋ってんだと抗議しかけて、彼女の体がぐらりと傾いで中断せざるを得なくなった。


「あ、い、いたい…いたいです、夕神さま」
「自業自得だ。このスカポンタンが」
「どっ…ド○ンジョさま……うう、痛みが後から…」


俺にすがるようにしてやっと立っている彼女は、どういうわけか泣いていた。


「泣いてませんわ」
「じゃあなんだ?」
「雨、です。外、雨ふってたんですの」


衣服が濡れた様子はないが、そういうことにしておこう。


「夕神さま、手錠…」
「…さすがに飽きちまってなァ。旦那に返したよ」
「ふふ…7年もしてれば飽きもしますわよね」


ようやく涙が収まってきたらしい。やっぱり、彼女はむかつくほど満面の笑顔の方がそれらしいと思う。…大分毒されてんな、こりゃ。


「…これは、わたくしが言うよりふさわしい方がいると思いますけれど…」
「なんだ?」
「ええと、」


彼女はそこで少し迷った後、


「――おかえりなさい、夕神さま」


いつの間にかこっちが影響を受けつつある例の笑顔を浮かべた。


「……迅でいい」


ありがとう、なんて言う柄でもない。ひねくれ者?今更だな。
すると彼女は、包帯で隠れていない肌の面積いっぱいに赤くなった。なんだかデジャヴだ。




生きてて、よかった。
(つ、ついに名前で呼ぶお許しが…!)
(おい。とっとと病院戻るぞ、志奈子)
(……!!)
(わあああ志奈子さんが吐血したああああ)
(…ユガミ検事って確信犯か?)
(…さぁな)



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