side.F
“聖母のパイ”と和菓子の融合……。
夕方店を閉めた後、僕は毎日餡入りのパイの開発に励んでいた。
甘過ぎず繊細で香り高いマダム・レイカのパイ生地は、絶対に餡にもマッチする筈。
子供の頃初めて彼女のパイを口にした時、そう思ったんだ。
この生地で作った和菓子を食べたい、と――!
でもそれには、パイ皮を洋菓子より少しもっちりそしてしっとりと仕上げ、餡は和菓子よりふんわりと仕上げなければ二つの味は分離してしまう。
つまりマダム・レイカと僕の持ち味の双方を進化させることが必要で……
僕は毎日その融合点を探るために試作を重ねているわけなんだけど。
「親方〜、もう帰りましょうよ〜……祖父さんが腹空かせて待ってるんじゃないですか〜?」
「あ……そうだね」
小暮くんの待ちくたびれた声に、やっと顔を挙げて壁時計を見るともう8時前。
納得がいかないけど、これ以上お祖父ちゃんを待たせる訳にいかない。
僕は仕方なく切りあげて片付けを始めた。
「うわっ………寒っ…」
「…ほんと、すっかり秋だねぇ」
戸締まりをしながら僕は、身震いする小暮くんに頷き、ふと後ろを振り返れば……
半年近く工事中だったお向かいの建物のシートが外されて室内に明かりが灯っているのが見えた。
「すっげ〜…豪華そうな店だなぁ」
暗くてよく見えないけれど、小暮くんの言う通り。明るい色の外壁と、大きなガラス張りのドアの向こうに豪華な内装が見えた。
何でもあそこはこの界隈で、も一等地。
始まった当初から囲いこまれていたそこは、長年かけて町長直々に拝み倒して、ようやく誘致した“大本命”の特等席という噂だ。
この辺りは駅が近くて便利だけれど、大通りから一本入り緑も多い静かでいい雰囲気の通りだ。
そして、そこは町をあげた商店街活性化の取り組みで、数年前から有名スイーツ店がぞくぞくと立ち並んできている『稲妻スイーツ・アベニュー』と呼ばれるいわばスイーツ激戦区になっている。
華やかなスイーツのお店が立ち並び、競うように甘い香りを漂わせる話題のスポットなんだ。
僕も半年前に“和の新鋭”として、頼まれてここに店を出した新参で。
僕が越してきた頃から工事が始まった3階建ての建物には、何だか凄い新鋭パティシエが初出店するというが一帯を騒がせていた。
何だか、実力もさることながら店主がイケメンだとか、ヤリ手だとか、モテモテだとか……日々耳に入ってくるその盛り沢山の話題だけで僕はお腹いっぱいで。
でもやっぱ、職人は『味で勝負!』だと思うんだ。
「じゃあ、また明日ね〜」
紙袋に詰め込んだ “今日の試作品”のお裾分けを、満面の笑みで胸に抱く小暮くんに、僕は手を振る。
そしてお互いに回れ右して、家路についた。
――もうすぐ、お向かいの店が開く…
それも町長肝入りの新鋭店主。
和洋のフィールドは違うけれど
奮い立たない訳がない―――。
翌朝。
普段より少し早く店に来て外の歩道を掃き、玄関口をキレイに整えてから、蒸場に入る。
和菓子の下地を作るのはどんな時でも僕の仕事だ。
味覚以外にも……天候や自分の心持ちなど、すべてに配慮しながら、常に“最高”の饅頭生地や餡や餅を目指して仕込みをすること。
これを毎日集中して続けるのは、辛いときもあるけれど、何物にも代えがたい充実した時間だった。
「おはようございます」
「あ、小暮くんおはよう」
清掃を終えて調理場に現れる小暮くんに、今日の蒸しや焼きの時間を秒単位で伝えて引き継ぐ。
今度はケープで顔を覆った白い丸天帽子を、きりりとバンダナに撒き替えて……さあ、接客の準備だ。
「向かいの店の従業員……カワイコちゃんばかり、わんさかいますよ〜ウシシ」
「………?」
店の窓ガラスを拭く振りをしながら、お向かいの店を何気なく覗いてみる。
『PATISSERIE ISHIDO』
白いシンプルな建物に金のロゴ。
1・2階の店舗とカフェ部分はガラス張りの部分が多くて、中の様子がよく見える。
そこには確かに……小暮くんが言う通り、数名の従業員が見えた。
従業員は背を向けているけれど、こちらを向いて指導している褐色の肌に金髪の……上下白っぽいスーツでバッチリ決めた男の人は目が覚めるようなイケメンで。
遠目からでもただ者ではないオーラが伝わってくる。
でも……なんだか、あんなに精悍に肌を焼いて、背も高く体つきもしっかりして、パティシエという感じじゃないなあ。
お向かいを見る目が、いつしか睨みつけるような目線になっている……でも、窓に映ったお客さんの姿に、僕はハッと我に返った。
店の外には、列をなす年配のご婦人たち。
「いらっしゃいませ」
開店10分前だったけど、僕は自動ドアを手で開け、お客さんを中に招いて、にこやかにお茶をふるまった。
「まだ早いのにご免なさいね」
「まぁ美味しいお茶だこと…」
「あの子が“もちふわ皇子”よねぇ」
「かわいいわぁ……本当に食べちゃいたい」
「あはっ……ありがとうございます」
うちの店の佇まいは和のテイストだから、華やかさ重視じゃない。
むしろ……
お客さんの笑顔ひとつひとつが……
僕にとっての、華なんだ。
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