話がある。そう言って尽(じん)にこのカフェを指定されたのは昨日の夜。平日の昼間、学生のいないカフェで私たちは向かい合って座っていた。受験を終え長い春休みを迎えた私たちには、閑散としたこの時間が心地いい。
穏やかな春の陽射しが柔らかく注ぐが、私たちは歓談しに来たわけではなかった。会話のない二人の間の空気は重い。
コーヒーの飲めない尽は今日もココアを注文する。私はコーヒーを頼んだ。付き合って一年半、ずっと変わらない。
飲み物が来るまで尽は何も喋らなかったけれど、もう話の内容はわかっていた。最近の私たちを知っていれば誰もが予想できるような簡単な結末が、待っている。今日一回だけ合った目は、証明写真のように冷えていた。
届けられたアイスココアを一口含み、とうとう彼はナイフを放つ。

「俺と別れて」

人魚姫は、ナイフで想い人を殺すか、自らが泡になるかを選んだ。私にも、選べた。

「うん、わかった」

ものわかり良くそう言うと、尽が小さく息をつく。安心したのだろうか。
一気にココアを飲み干すと、「それだけだから」と言い残して足早に会計へ向かう。その背中を、私は声もかけずじっと見ていた。Tシャツに描かれたLOVEの文字が空々しい。どうやら私の分まで会計を済ましてくれたらしい。別れた彼女にも気遣いは欠かさない、そんな愚直な彼のことが好きだった。
そうして私はひとり店内に残される。ゆったり流れるジャズに耳を傾けながらまだ湯気をたてているコーヒーをすすった。
それにしても、予想以上にあっさりと終わってしまったなあ。さっきまで彼はすぐ目の前にいたはずなのに、今は空のグラスでさえ片づけられてしまい私一人分のものしか残っていない。
カバンにつけたストラップは、デートの時に尽に買ってもらったものだ。フェルトで作られたちいさな羊のマスコットを、似合わないなんて笑いながらもレジに持っていき、プレゼントしてくれた。そういえば、いつから尽の笑顔を見ていないのだろう。笑うのが下手な尽が眉をしかめてつくる不格好な笑顔が見たくて、いろんなことを言ったし、やった。



気が付けば尽が去ってからしばらくたち、マグカップにも冷めた液体がわずかに残っているだけになっていた。喉に流し込んで飲み下すと、勢いをつけて席を立つ。いつまでも居座っていても仕方ない。
店員さんに会釈をして店から出ると、まだ少し肌寒い風が頬を撫でていった。上着をはおりなおして家路を行く。乾いた青空は遠く、雨の気配はない。
道の両側で等間隔を保つイチョウ並木は、秋になると道路一面を黄色に染め上げる。道というよりはスケートリンクかパーティー会場だ。道路が見えないほど隙間なく降り積もる黄色の合間に薄橙の銀杏が転がる。陽の光を反射して眩しいほどの黄色に呑まれる。
積み重なった葉に尽が滑って転んでしまったのをからかって、一週間口をきいてもらえなかった。銀杏がくさいと文句を言ったら、料理して見せてくれおいしさを教えてもらった。
一歩踏み出すごとにこぼれ落ちる尽との記憶。
いつか、口が滑って尽に未来の話をしてしまったことがある。一方的な希望を言って馬鹿にされるのが怖くて言うつもりのなかったこと。どこへも行かなくていいからふたりで暮らして、いってきますとおかえりなさいを言い合いたい。すると尽は予想に反して、「じゃあまずは金を貯めないとな」なんて眉を寄せて笑うから、いつかなんてどうでもよくなったりもした。
道路のひび割れにつまずき、危うく転びそうになる。黄色い木の葉は霧散して、そのあとには枯葉ひとつついていないイチョウの木が無表情で立っていた。
三十分前の尽の言葉を、私はまだ受け止められていないのだろう。これから長い時間をかけて咀嚼して嚥下して消化して、ようやくわかっていく。事実を受け止めない私の足取りはまだ軽い。瞼をおろせば、心はまだ黄色い世界の中心にいた。
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