少し寂れてはいるもののまだまだ活気を感じる商店街をゆったりとした足取りで通り抜ける。魚屋、八百屋、洋服屋、肉屋、花屋。
商店街の出口にある花屋で目にちらつく柔らかな髪、細いうなじ。俺のお気に入りの彼。丁寧に店先の花に水をやる彼を横目に見て今日も自宅へと帰る。
トントントン、とステンレスの錆びた階段を上り、油の切れた扉を軋ませて見慣れたアパートの自室へと辿り着く。散らかった雑誌とゴミを足で掻き分けてベッドに身を投げる。
今日のバイトはうるさい客がいて大変だった。ああいうのは大抵教師。変なやつばっかだし世間を知らない。屁理屈ばっか押し付けてくる。おとなしく授業だけしてりゃいいのに、出しゃばって迷惑をかけてくるから面倒だ。
壁にかかった時計を見ると、短針は7の少し手前を指していた。8時半からはまたバイトだし、夕飯食わないと。
重たい身体を起こしてカップ麺を出してきてお湯を沸かす。食べ慣れた焼きそばの味はくどくて全然美味しくなかった。
食べ終えて早々に家を出る。家にいてもすることもないし、早く着くくらいのほうが遅れるよりいいかとか、それくらいの考え。
さっきも通った道をスマホを見ながらのそのそと歩く。スマホばかり見ていたから気づかなかったんだろう。いきなり上から水が降ってきた。
「…………は?」
「お客様すいません!!」
何が起きたかわからず呆然とする俺に焦った若い声が飛ぶ。声のほうを振り返ると目に飛び込む色とりどりの花、花、花。そして俺と同じく水浸しの少年。
「すいませんほんとに、手が滑ってホースが……いや言い訳じゃなくて、えっとあの、タオル持ってきます!」
「え?ああ、うん……」
俺が口を挟む間もなくタオルを取りに走って行ってしまった少年の後姿を見送り気付く。ここは花屋、彼は帰り道にいつも見る花屋の息子。細いうなじは水に濡れた髪が張り付いて更に輪郭を強調されている。
すぐにタオルを抱えてやってきた彼は一言断ってすぐ俺の服を拭きだした。いつも見ていた彼の手が全身を飛び回るというのは何か優越感がある。
そういえば彼も濡れているんだった。突然すぎて色々と失念している。
「あんた、濡れてるじゃん。俺自分で拭くからお前も拭きなよ」
「え? あっ」
タオルを取り上げて有無を言わせず自分で拭く。それにしても本当、かなり全身濡れてしまったなあとため息をつくと、すぐにそれを察知した少年に平謝りされた。
「いや、ほんと気にすんなって。故意じゃないなら悪くねえし」
「でも俺がちょっと考え事してたからです、すいません」
「あー……じゃあわかった。次謝られたら俺怒るから。オーケー?」
「はいすいま……ありがとうございます」
途中で気付き言い直した口が綻ぶのに一瞬目を奪われる。それなりに顔面偏差値は高いけれど、ものすごくというわけでもないくらいの少年だったが、それくらい彼の笑みは綺麗だった。
「……メアド」
「え?」
「メアド、教えてくれない?」
「はい?」
綺麗な子、可愛い子を見るとついアドレス交換を迫ってしまうのは悪い癖。それはわかってはいたし、ましてや今回の相手は男だということもわかっていたけれど、悪癖に慣れた身体はどんどん自動的に話を進める。
「いや、なんでですか?」
「これも何かの縁だろ?」
「はあ……」
「いや?」
「いや、とかいうわけでも、ないんですけど……」
水をかけてしまったという引け目があって断れないのをわかっていて聞くのは卑怯だとも思ったけれど、アドレスは欲しいから仕方ない。
念押しすると、渋々ながらも頷いてくれた。アドレスを交換する時に時計を見ると、もうバイトまであまり時間がなかったので、軽く別れようとすると待ったをかけられ立ち止まる。
「服、うちのでよければ着替えて行ってください!」
「え、いいよ別に。これからバイトで着替えるし」
「……そうですか」
とことん責任を果たしてくる。しっかり者なんだろう。
そのまま別れてバイトへ行くとバイト仲間に笑われたけど。
水浸しのこの時が俺、大垣出海と鳥羽咲帆の出会いだった。



(後日。。。)



「俺は大垣出海な。お前は? 鳥羽で合ってる? 鳥羽フラワーショップ」
「合ってますよ」
「下の名前は?」
「……咲帆」
「さきほ? かわいいな、女子みてー」
−−なんなんだこの人は。
包み隠さない言葉とは裏腹に要件はいつまでも話そうとしないその態度に段々とイライラが増していく。普段はそこそこ気が長いほうだという自負がある咲帆も、意味も理由もわからないやり取りに淡白な答えしか返さない。
自宅である花屋から少し離れた寂れた公園に、昨日交換したアドレスから届いたメールで呼び出されてもうしばらく意図のわからない問いに答えている。初めこそ水をかけた謝罪になるならなんでもするという気持ちだったが、大垣と名乗った彼には何かをさせる気もないようだ。大垣の自己紹介は、名前と5つ上だということの他は聞き流してしまった。
「……なあ、なあ聞いてる咲帆くん?」 
「なんですか」
「冷たいなあ、おい」
「大垣さん」
「はいはいなに?」
「本題をお願いします」
「本題なんてないけど」
「……帰っていいですか」
苛立ちを隠しもせず本音を零すと、途端ににやりと嫌な笑みを浮かべた大垣が頬をつついてくる。
「怒った?かわいいね」
「いいかげん嫌なんですけどなんなんですか。仕事も勉強もしなきゃいけないんで暇じゃないんですけど」
「しょうがないなあ、本題を言おうか」
本題あるのかよ。
呆れも怒りも通り越して若干引き気味の咲帆を意にも介さず、大垣はさらりと言い放った。
「俺と付き合って」
声も出ない咲帆と、にこやかにそれを眺める大垣の間で小鳥の鳴き声だけが時の流れを物語っていた。
しばらくしたのち、なんとか声を絞り出すようにして咲帆が「え……?」と疑問符を口にする。
「だから、付き合って」
「あの、俺男ですよ?」
「偏見ある感じ?」
「いや、偏見はないですけど、でも俺ですか……?」
「そう」
「はあ……」
もう何と言っていいかわからない。普段つるんでいる友達も大概変なやつが多いけれど、この人は変というより理解出来ない。
大垣はイエスもノーも言わない咲帆に首を傾げて「どうした?」なんて聞いてくる始末。この人にとっては男同士というのは男女とたいして変わらないような、経験済みの有り触れたことなのだろうか。
答えははっきりさせず、仕方なく別の問いでお茶を濁す。
「…なんで俺なんですか?」
「なんでだろうなー」
わからないのかよ。
がっくりと脱力する咲帆を見て、なぜか少し嬉しそうに頬を歪める。それからふと思い出したように付け加えた。
「花が似合うから、かな?」
「花……?」
「花を見てる目が、すごい優しかったから」
だから惹かれた。
さらりと恥ずかしいことを言われたことに遅れて気付き赤面する。そんな細かいところだとは思わなくて、不意打ち。
そっぽを向き口を手で覆い赤くなった顔を隠す姿に、また大垣の頬が緩んだのに咲帆は気付いていない。その笑みが優しいものであることにも。
「ま、いきなり男から告られても困るよな。付き合わなくていいから、仲良くなってくんない?」
「まあ、それなら……」
「やった。じゃあ帰ろーかな。ごめん、長く引き留めてて」
「いや、いいんですけど」
「あーそうだ」
つい、と人差し指で鼻先に触れながら「敬語やめようよ」と指を左右させる。
「年上とか年下とかそんなんめんどいし。タメじゃないと落ち着かないんだ。おっけ?」
「いいですけど……」
「敬語じゃなくて」
「……"うん"?」
「そーそー上出来」
くしゃり、と咲帆の頭を撫で回し手を振って、あっさりと大垣は去っていった。
その背中をぼんやり見送ってから撫でられた頭を自分で触ってみる。身長が低くはない咲帆が撫でられるなんてことは随分と久しぶりで、つい甘えたくなってしまった。大垣は高身長だから咲帆くらいの背丈なら撫でる対象になり得たのだろう。それでも子供の頃以来のその感覚は咲帆の頬を再び薄赤く染め上げるには十分だった。
さあっと吹いた風で熱くなった顔を冷ましながら、少しだけ"恋人になる"ことを意識して公園を後にした。

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