【美人】
久々に高熱を出した弟を両親が慌ただしく世話しているのを横目に静かに家を出た。夜も耽り星が瞬く。息が詰まりそうな家から抜け出して一息つき行くあてもないまま歩き出す。どうしようもなく誰かに泣きつきたいけれど、弱さなんて見せたくないから全て押し込めて結局いつもしばらく歩いて帰ってくる。昔から家の中にはあまり居場所がなかった。慣れてはいたけど、それでも苦しくなると一人で外を歩いて戻る。足跡に一つずつ枷を落とすようにして、風や臭いや温度や音、五感で街を味わう。冷たい風が首筋を切る。今日は楽になりそうもなかった。すん、と鼻を啜り頭を振る。誰かに会いたい、そんな夜。


【咲帆】
時々、子供みたいに全部投げ出して泣き叫びたくなることがある。どうすればいいかわからなくて、抱えていたものがいつの間にか大きくなってたことに気づいて。それでも俺は強くいなくちゃいけない。だから少し、ほんの少しだけでいいから、甘えさせて欲しい。指は無意識に君へ電話をかけていた。


【麻季と時雨】
もし先輩がいなくなったらどうすればいい?そう尋ねると先輩は笑いながらそんなこと考えるな、なんて言った。俺が死ぬわけないじゃん。先輩は嘘つきだ。俺はもう病院に行くこともなく、毎日学校に通って、入院前と変わらない日々を送っている。ただ、先輩を知ってしまったこの世界は少し色褪せている。


【小枝】
「名前が小枝なら俺より身長低くなれよ」先輩に言われた言葉を声に出さずに復唱する。身長計に足をのせ、背筋を伸ばすべきか縮めるべきか迷う。結局精一杯伸び切って測った結果は前回よりも伸びていた。男子だし、伸びたのが素直に嬉しくてガッツポーズ。まあ先輩を見下ろすのも好きだから、いいかな。


【咲帆】
声にならなかった空気が音無く零れる。言いたいことはたくさんあった。それでも何も言えないのは俺が弱いから。自分でもわからない心のもやもやを振り払うように道路を駆け出す。周りの人が奇異な目で見てくるのが気分良かった。このままどこまでも何もない所まで走って行けたら良かったのに。


【小枝→理都】
先輩なんて見たくない。好きでもそう思うことがある。俺は先輩のことを一番に思っていても、先輩からはそうじゃないから。どうして好きになってしまったんだろう。なんで同い年じゃないんだろう。先輩との距離にどうしようもなく泣きたくなる。せめて俺といる間だけでも、俺のことだけを見てよ。


【理都→小枝】
俺は小枝に好かれてる。それは言葉でも態度でも伝わってくるから自信を持って言えていたはずだった。初めて反発されて、メールが来なくなって。後輩ってこんなに遠いものだったっけ。好かれることに甘えていた。関係なんて、互いに努力しなきゃ簡単に壊れるのに。久しぶりに俺から、メールしてみようかな。


【大垣】
「ほんとに恋したことないの?うっそだあー」
嘘じゃない。ほんとにしてないんだから仕方ない。
「じゃあ今までの彼女全部好きじゃなかったの?」
うんそう、遊び。本気になるなんて馬鹿らしい、みっともない、面倒。
だから俺は、これからも恋をすることはないだろう。
(咲帆と出会う前の大垣)


【時雨でカフェパロ】
時雨「ご注文は」客「コーヒーとショートケーキで」時雨「チョコレートケーキはいかがですか」客「? いや、いいです」時雨「嫌いですか?」客「いや、嫌いではないですけど」時雨「コーヒー、ショートケーキ、チョコレートケーキおねがいしまーす」客「あれっ!?」


【麻季と時雨】
「シグレ…そろそろ夏だな」「そうですね、なんすか」「夏だな」「何です」「俺花火したい」「どうぞ」「一緒に!やろうよ!」「俺蚊に刺されたくない」「ふざけんなお前のれよ」「俺以外を誘ってください」「…俺、ずっと病院生活で友達もいなかったし花火って憧れだったんだけどなあ…」「それ卑怯」


【咲帆と大垣】
「別れよ」売り言葉に買い言葉、そんなのわかってる。どうせ本気じゃないんだって。でも絶対に仲直り出来る保証なんてない、このまま別れてしまうのかもしれない。そう考えてしまうとどうしようもなくその言葉は俺の心臓に深く鋭く突き刺さる。そうして俺は血の代わりに涙を流すのだ。


【美人】
自分の名前は嫌い。心が美しい人に、という両親の想いはありがたいけれどそれで散々苦労しているのだから少しは恨み言も言ってやりたい。名前を書けと言われたら苗字だけ書く、名前教えてと言われれば苗字だけ教える。それは昔から変わらないけど、咲帆と会って、ちょっと自信もてたような気がする。


【大垣と咲帆】
名前も性格も年も通っている学校も趣味も誕生日も好きなことも嫌いなことも、彼に対しての興味はほとんどなかった。けれど彼の笑顔とうなじにだけは不思議と魅入ってしまう。毎朝毎夕の日課と化したその視線は彼に気づかれているのか。まあそんなこと、どうでもいいけれど。


【小理】
押し倒したその肩は抵抗もなく、震えもなく、至って平然としていた。何考えてるんだろう。全然伝わってこない。「…先輩」踏み出せばいいのか、引けばいいのか、分からない。いっそぐちゃぐちゃにして自分しか見れないように…とか。出来るわけもない考えに自嘲気味に笑って静かに手を引いた。


【理枝で喧嘩】
「なあお前いい加減鬱陶しいよ」「鬱陶しいとかそういう問題じゃないでしょ、俺はそういうの嫌だって言ってるだけです」「だあからそれが鬱陶しいんだって!もうほんっとお前うざい」「は?先輩だって悪いの全部俺みたいに言わないで下さいよ!っともう、なんで俺先輩と付き合ってんだろ」「嫌なら別れればいいだろ、俺だってお前なんて好きで選んでねえよ」「あーあーじゃあいいですもう別れましょ!ほんと最悪!」「勝手にしろ馬鹿!その方がせいせいする」「っもう、先輩のバカ!(電話切る) ……あーあ、もう、ほんっと……さいてー……」


【小枝→理都】
時々、潰されそうになった。こんなにも俺は先輩のことを好きなのに、報われない。いつまで一人なんだろう、これからもずっと好きになった人みんなに報われないままなんじゃないか、って。だって事実、先輩は応えてくれないし、獅篭の気持ちにも応えてあげられてない。じゃあいつ、誰と、結ばれるんだろう。こんなにも、消えてしまいたくなるほど先輩のことを好きなのに、それでもいつか諦めなければいけない時が来るのだろうか。その考えはあまりにも大きな不安を抱えていて、立ち止まりたくなってしまうけれど、俺の"好き"が勝手に走り続けてる。止まれ、ない。人生の全てを先輩に捧げてもいいなんて口では言うけど、本当はそんなの詭弁なんだ。俺が報われないと嫌、同じだけ返してくれないと嫌。結局あれもこれも全部自分のため、自分が幸せになりたいだけ。こんな俺に先輩に好きっていう資格があるの?誰かに好かれる、資格があるの?いつだって餓鬼だったのは、俺で。そんな、悲しいくらい明白な、現実。


【獅篭誕生日】
苦しかった時。そう、何があって苦しかったのかなんて今ではもう思い出せないけれど、確かにそう思っていた時。その時の話をしよう。俺は泣きたいくらいの気持ちで、けれど渇いた目で一言苦しいと吐き出した。それしか言わなかったと思う。そうしたら隣にいた小枝が少しだけ微笑んで俺を頭から抱きすくめた。頑張ったな、ってそれだけ言って、あとはずっと頭を撫で続けてくれていたんだ。別にその時初めて好きと思ったわけじゃないけど、その時にすごく強くはっきり好きだと感じた。暗い苦しみがカラメルのような甘みを帯びた苦さに変わる。好きで胸が締め付けられて、でもやっぱり好きだとは言えなかった。今も、言えてない。もちろん言いたいけど、言っても困らせて関係が変わってしまうだけだし、言うつもりはない。今近くにいられるのがすごく幸せだから。でもいつか、言えたらいいと思う。その時は出来れば笑って伝えたい。


【祐太と獅篭】
面倒だ。誰も立候補せず余っていただけの係りである学級委員になんかならなければよかった。進路の資料をとってこいと、わざわざクーラーの効いた教室から追いやられた昼休み。じんわりと滲む汗と資料室のきな臭さが不快だ。さっさと資料を探し出して帰ろう。そう手を棚に伸ばした背後で勢い良く扉が開き、どたばたと誰かが滑り込んできた。すぐさま扉は閉じられる。「……おい、お前」知らぬふりをしようとしていたところで呼びかけられ、仕方なく緩慢に振り返る。そして自らの運のなさを悟った。制服の下に着込まれたパーカー、うなじでひとまとめに括られた髪。見間違い様もなく、変人で密かに有名な二年の先輩だった。「…なんでしょう」「生徒指導に追われてんだけど、匿ってくんない?」「嫌だって言ったらどうするんです?」「その時は…」すぐ外で噂の生徒指導の教師の声がした。瞬時に物陰に隠れる先輩と溜息をつく僕。資料を探す動作に戻ると扉が開き教師が顔を覗かせた。先輩が来なかったかという問いに、知らないと答える。そのまま閉じられた扉をぼんやり眺めていると、「チクられるかと思った」と笑いを含んだ声がした。「別に隠れてる人間をわざわざ突き出す必要もないでしょう」「反省文書く覚悟もしてたのに」「今からでも先生に居場所知らせましょうか」「嫌だ、ありがと」つっけんどんな僕に対し、先輩は少し楽しそうだった。「もういいかな。じゃあ俺行くから」「報告なしで出てけばいいじゃないですか」「…ごめん、邪魔した?怒ってる?」気を遣われてしまった。それすらも苛立ちを増幅させる。「怒ってませんよ」「じゃあ素なの?それ」「悪いですか」「いや、面白い」面と向かって面白いと言うのは褒めているのか馬鹿にしているのか。眉を寄せ黙り込むと、ごめんごめんと頭をわしゃわしゃと撫で回された。「じゃ、次も頼むな。ありがと」あっさりと扉を開けて軽い足取りで出て行った背中を見送る。ハッとここへ来た目的の資料探しを思いだし再開する。頭は撫で回された時の熱で熱くうわの空だった。心の中に残った小さな痛みが恋だと気付くのは、また後のお話。
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